「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

13、蓬生 ⑤

2023年10月21日 08時14分35秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・十一月ごろともなると、
雪・霙の降る日が多く、
よそでは消える雪もこの邸では、
朝日夕日をふせぐ蓬やむぐらの陰に、
深く積もり消えなかった。

雪の中を出入りする下人も今はいない。

以前は侍従が冗談などをいって、
末摘花をなぐさめ、
泣いたり笑ったりして、
憂さをまぎらわせてくれ、
邸を明るくしてくれたものであった。

しかし、その侍従も今はいない。
寒い暗い邸は、冷え切っていた。

夜も塵の積もった御張台に、
悲しみつつ末摘花は臥していた。

(みんなに見捨てられて、
やがてこの邸で朽ち果てるのだわ・・・)

末摘花の冷たい頬に涙が伝う。

一方、二條院の人々は、
久しぶりの源氏が珍しくて、
みなで大騒ぎで取り巻き、
源氏は自由に外出できないありさま。

それで、格別に大切とも思わない女たちへは、
訪れもしなかった。

まして末摘花のことは、
思い出しもしないまま年も変った。

四月の頃、
源氏は花散里のことを思い出し、
紫の君に告げて、忍びやかに出た。

長雨のころで、
雨もよいの空にやがて月が出た。

なまめかしい夕月夜である。
途中、見る影もなく荒廃した邸の、
木が繁って森のようになった所を過ぎた。

そこはかとなく、
風に花の香りが匂い立って、
源氏は車の簾をあげてのぞいた。

築地も崩れている。
見たような木立だ ・・・

源氏は(お、ここは)と気づいて、
車を止めさせた。

おそば去らずの惟光に、

「あの姫君はまだ住んでいるのだろうか。
わざわざ来るのは大層だが、
ちょうどいい折だから、
声をかけてみてくれ」

源氏でさえ、
まさか姫君がそのままでいようとは、
信じられないでいた。

ちょうどその頃、
末摘花はいっそう物思いに沈んでいた。

今日の昼寝の夢に、
亡き父宮のお姿をみたからだった。

父宮さまがこのまま、
あの世へお連れ下さればよい、と思う。

彼方で老い女房たちがさざめいている。

「お姫さま。
庭にあやしい影がおります。
狩衣姿のきれいな男でございます。
狐の化け物かもしれません」

惟光は邸内へ入ってみたが、
しんと静まり返って物音もしない。

(無人かもしれんな)

と踵を返しかけたが、
折から明るくなった月影に、
母屋の簾の動く気配がする。

思わずぎょっとしたが、
惟光は気を取り直して声をかけた。

ひどく老いた声で、

「どなたさまですか?」

惟光は名乗って、

「侍従の君はいられますか」

「侍従はよそへ行きましたが、
身内の者はおります」

そういえば惟光にも聞き覚えのある、
侍従の叔母の少将という老女。






          
4

(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 13、蓬生 ④ | トップ | 13、蓬生 ⑥ »
最新の画像もっと見る

「新源氏物語」田辺聖子訳」カテゴリの最新記事