むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

4、姥嵐  ③

2021年09月07日 08時20分48秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・海はうずまいて、
さながら大きい波のタワシで、この島をこするかのよう。
私は熱心にハワイの嵐に見入っていた。

パイナップルボートというのが昼食代わりに出た。
くりぬいたパイナップルに果物を盛り合わせたもの。

例の老紳士はステッキを撫でつつ、

「おお、これはハワイらしゅうて、珍しいもんやなあ、
食べてみようか」

また、誰かに言うように一人ごちつつ、皿を引き寄せた。

ホテルの私の同室の相手は五十七、八の中婆さん。

「せっかくハワイに来てなあ、こんなお天気で、
ハワイに来た値打ちあらへん!あほらしい、あほらしい・・・」

とぼやく。

「滅多にない嵐に遭うた、いうて、ええみやげ話もできますやないの」

私は息子や嫁たちの事を考えている。
日本にニュースが伝わって、

「ちょいと、新聞見はった?
ハワイは二十五年ぶりの大嵐ですって。
お姑さん、どんな顔してはるやろ」

と電話をかけ合っていることであろう。

しかし、どっこい、私はこの中婆のように、
がっかり、ふてくされる気にはならない。

「買い物、楽しめるやありませんか?」と私。

「私、買い物の趣味はないんです」

「おや、そうですか。
夕食までの間、タクシーでちょっと行ってみます」と私。

「行きますよ!」

私たち二人はタクシーで街へ行き、土産物屋を見てまわった。
中婆は、

「ワイキキなんか鳥取砂丘みたいなもんやし、
雨は降るわ、観光もでけへんわ・・・」

とぶつくさ。


~~~


・夜は大きなレストランへバスで連れ込まれる。
何十組という老夫婦たちは、嵐のあいだ中、外へ出ないで、
部屋にこもっていたということだ。

食事はバイキング形式のセルフサービス。
そうして食事を取りに行くのはみな老妻たちである。

私は一人で好きなものをちょっぴり取り、
舞台を見、楽しんで食事をする。

やれやれ、よかった、一人もんの楽しさ、
なんという幸せであろう。

例の老紳士もそう思うであろうと見ると、
一人で皿に向かい、

「うん、うん、うまいか?そうか、よかった、よかった」

私は笑い出してしまった。
自問自答というけれど、何としゃれっ気のある人だろう。

紳士はきまり悪そうに、

「家内を亡くしてから、杖にもの言うクセが出まして・・・」

「杖?」

「はい、このステッキですが、
これはリューマチを患うとった家内が、
いつもついて歩いておりました。
家内の形見なので、ついモノ言うクセがつきましてな」

老紳士は、いとしげにステッキを撫でた。

「お父さん、お父さん、はい、お茶」

とうしろの声。

誰も彼も、一人でよう生きんのかいな、
この私を見なさい、と私はやたらと腹が立ってくる。

そうして、私の腹立ちに、(そやそや、皆、しっかりせんか!)
と呼応するごとく、二十五年ぶりのハワイの嵐は、
ますます荒れ狂っているのである。

自立姥の凛然たる気概に同調するごとく、
常夏の平和な島、ハワイに警鐘のごとく、
大嵐は吹きすさぶのである。






          


(了)

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