むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

5、姥野球  ①

2021年09月08日 08時31分44秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・以前、私が仲に立って話をした、
知人の息子の結婚式が終わった、
と竹下夫人が電話をしてきた。

その相手はぼてれんのまま結婚式を挙げた。

「なぜ、そう産みたがるんでしょ?」と私。

「あなた・・・子供を産むのは女の本能ですから」

「本能たって、人間は本能を抑えて、人間らしくなるんでしょ?」

「ハア・・・?」

「私ねえ、
こういう出来の悪い子供を増やしてはいけないんじゃないかと。
子供を産む本能を放置していいのかしら、と考えますのよ」

「奥さま、何てまあ、きついことを!悪いことは申しません。
ちょっと奥さま、荒気になっていらっしゃるようですわ。
どうぞ『天地生成会』にお入りなさいませ」

荒気なんて言われてしまった。

竹下夫人ばかりではない。
息子たちもそう思っているらしい。
が、私はごく普通の気性だと思っている。

ただ向こうが私の気を荒立てるようなことを言うからだ。


~~~


・五十二の長男は私よりずっと古くさい。

「いつ電話かけてもおらへん。
年寄りは年寄りらしゅう、家に落ち着いていなはれ」

大きなお世話だ。
家にじっとしていると、恍惚の人に近づくのが関の山。
足腰立つうちに出歩いた方がよい。

私は習字教室を週に二度、市民会館で持たされていて、
四、五十人の婦人が集まる。
筆や墨の店、紙屋、表具屋へ行ったり忙しい。

長男が電話するのは、

「誰もおらん間にコロッといかれたら風が悪いよってな」

と外聞を気にする男である。

長男の嫁もよく電話してくる。
立て板に水で、

「治子ですけど、お元気?
何かありましたらお手伝いにあがります」

そして、こっちの言うことも聞かず切ってしまう。

ところで、およそ電話をしてこないのは三男である。

もう四十五にもなって、
銀行の支店長だの何だのと威張っているが、
銀行以外の世界は知らないのだから、
井の中の蛙である。

女房も銀行員の娘をもらった。
中学生の息子も銀行員にするらしい。

この息子は女房に巻かれっぱなしで、
私のことは思い出しもしない。

それを思うと腹が立つのでこっちから電話をかけてやる。

「あんた、ちっとはな、電話するもんやで。
七十六のお袋一人で住まわして世間の聞こえも悪い、
と思わへんのか」

「いや・・・そら・・・もう・・・お袋は丈夫やし」

「丈夫いうたかて、
私も今日は丈夫でも、コロッと、という場合もあるかもしれへん」

「わかってる、けど忙しいてな・・・」

「誰でも忙しいわ、
そこを電話してくるのが『かわいげ』いうもんやないかいな。
よろし、私ゃ一人でミイラになって、箕面(みのお)の方向いて、
うらめしや・・・」

箕面というのは三男の住む町のことである。

「どうせなら、西宮や豊中の方向いてほしわ」

西宮は長男、豊中は次男のいる町である。

「堪忍や、お母チャン」


~~~


・ところでおかしいのは次男の電話である。

この男、鉄鋼会社に入って四十八才、
この男は息子たちの中でいちばん欲深で、
私の財産管理ばかり気にしている。

電話でしゃべっていちばんハラが立つのは、この次男である。

何を言うかといえば、上司のワルクチを言う。
会社の内紛を私にしゃべる。

よって私は次男の会社の内情、人間関係を、
頭に入れてしまった。
五十近くになって、実にけったいな息子である。

そのさまは、小学生のころ、外から帰ってきて、
(あのな、お母チャン、今日学校でな・・・)
と報告した子供時代を思い出させる。

なんでこういうことを、自分の女房に言わぬのだ?

「そんなこと道子さんにいうたらどうやねん」

道子というのは次男の嫁で、
かつ虚礼の大家、おしゃべり婆の娘である。

「あいつはあかんねん。
いやな話、聞きとうない、言いよんねん」

当り前だ。誰だって聞きたくない。

「なんでこんなトシヨリに言うのや」

こういう時に私は「トシヨリ」を主張する。

この次男、電話で来宅を予約する。

「今晩、家にいてるか?」

「あかん!」

「あかん、てどっか行くのんか、何しに、どこへ行くねん」

私はせせら笑いつつ、

「今晩は阪神巨人戦や、ナイター見んならん」






          


(次回へ)

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