むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

3、勘定旅行 ①

2022年10月31日 09時17分13秒 | 「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作










・私は一応、女流作家ということになっているが、
しかし公平に見て、私はとてものことに、
そういう威厳ある肩書にふさわしい人物とは申せない。

かつ、外見も中身に見合っており、
「作家」というイメージには甚だ遠い。

どこがどうというよりも、
例えば、観光地などへ行って、
私が一人、ぶらぶらしているとすると、
必ず旗を持った引率者だとか、添乗員、
はたまた、バスガイドといった人々が、
私を見とがめ、

「もしもし、どこへ行きますか?はぐれたら困ります」

と私の肩をつつく。

びっくりしてふり返ると、
人品骨格、私にソックリという一団のおばさんたちが、
固まっている、それは多分、農協婦人部とでもいうべき団体。

私は何も、農協婦人部の人品骨格を論じているのではない。

私がもしその中へまぎれこんだら、
追っ手の刑事も見失う、という例にあげたまで。

或いはまた、
私はさる団体の会合に講演のため出かけた。

講演や座談会、迎えの車が来てくれるのもあるが、
来ぬのもあるわけである。

私はトコトコと一人で行く。

受付で入場券を買って下さい、といわれ、
「講演者なんです」というと、
講演者控室というのを、あごで教えられた。

その部屋には数人、中年の婦人ばかりの先客がいたが、
みな、ちらと私を見ただけで、熱心に話を続けた。

そこへドアがあいて婦人が一人入って来、
腕時計を見つつ、

「浜辺丁子さん遅いわねえ」

と誰にともなくいった。

「まだなの?
もし来たんなら受付でわかると思うけど」

「いま聞いたけど、来てないって」

私はここまで聞いて、やっと椅子を立った。

私はわりに用心深いほうで、
自分のことをいっているのかどうか、
ようく聞きわけてからでないと口を出せないのである。

「あらあら、先生でしたか、うっかりいたしました」

と婦人連は狼狽して、
お茶や、胸につける造花を急いで持ってきた。

要するに私は、受付で見逃されるような人種であり、
平々凡々なるたたずまいだといいたいのである。

あるいはまた、対談、座談会などで、
結構なる日本座敷へ請じられる、
相手の人や係りの記者は、
私に、どうぞどうぞ、と上座をすすめる。

私はいわれるままに床の間を背にして坐っていると、
お茶を運んできた仲居さんが私を見咎め、
相手の男性に、

「お席、いいんですか、そちらで・・・」

と不服そうにいう。

その口調には、
(女のくせに上座に坐るとは何ごとぞ)という、
けん責が感じられる。

かつ、私は世の人に顔を覚えられぬよう、
なるべくテレビにも出ないようにしている。

私の知名度は低いから、
ほとんど知られることはないのも尤もなのである。

尤も、私の名と顔を知っている所でも、
似たりよったりの扱いである。

私は以前、ある放送局へいった。

過去の文学者の文学的業績について、
ひと言、ふた言論評するべく招かれたのである。

私は締め切り前の仕事を抱えていて、
猛烈に時間が欲しかった。

私がラジオ、テレビに出ない理由の一つは、
絶対的に時間が足りないからである。

特にテレビというのは、
五分間くらいしゃべるのに、
前後五、六時間拘束される。

ものを書くという仕事は、
実に時間を食うものなので、
テレビ出演などという時間のロスには堪えられない。

しかも、いったん約束した以上は、
向こうの都合に従って、こちらがその時、
どんなに忙しくても、時間通り出向せねばならぬ。

テレビ出演の不自由さは、そこにもある。

私はそんなわけで急ぎの仕事に心残しつつ、
約束に従って放送局へ向かった。

放送局の受付へついて、
自分の名と、相手の係りの名をいう。

たいていはここで、
係りの人が受付へ迎えにきてくれる。

しかしこの時、受付嬢が電話で打ち合わせをし、
私に向いて、

「×階の右手の応接室へいらして下さい」といった。

私は上がったが、
放送局という建物の中はたいがい内部はわかりにくい。

応接室が見当たらない。
迷路のようで、用心しいしい、探し歩く。

やっと探し当てて入ってみると、
人々はすでにいて、「どうもどうも」などという。

係りの人もいたが、彼らはお茶を飲んでいるが、
私を受付まで出迎える気はないのである。

彼らはそれより、
対談の相手の某氏が来ないので心配していた。

某氏は流行作家で、
東京から新幹線で来る。

係りの人は電話で確かめて、
某氏が仕事の都合で、二時間遅れて東京を発った、
という情報をもたらした。

二時間!私は目をつぶるわけである。

私もここへ仕事を持ってくればよかった、
とひそかに思うわけである。

締切りになると、
一分一刻を争うことが多い。

そのとき係りの人は何というたか。

「作家なんつうものは大変ですなあ。
〇〇さん(某氏)は忙しい人なんですねえ」

かくして、私もまた、作家のはしくれであり、
私もまた忙しい、ということを失念しているのである。

公平にいって、これは私の、
平凡なる農協婦人部風たたずまいのせいであって、
私は、決して私を偉いさん扱いしてくれぬ、
と怒っているわけではない。

私は女流作家らしくなく、
いつの場合もそれにふさわしい扱いを受けないのを、
よいことだと安心する気持ちもある。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2、ミミズの心 ⑨ | トップ | 3、勘定旅行 ② »
最新の画像もっと見る

「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作」カテゴリの最新記事