むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

25、藤袴 ②

2024年01月02日 08時38分51秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・夕霧の中将は、
源氏に玉蔓の返事を伝えた。

「やはり、
宮仕えは気がすすまぬようだな」

源氏はいった。

「そのようでございます。
それに兵部卿の宮も、
どう思し召すでしょう。
あんなに熱心に求婚なさっているのをさしおいて、
ということになると、
お気を悪くなさいませんか」

「むつかしいところだ。
私の一存で決められないのに、
髭黒の大将まで私を恨んでいるそうだ。
結婚するとすれば兵部卿の宮の北の方が、
ふさわしいかもしれぬ。
あの、もっさりした髭黒よりも」

「内大臣は、
内々で髭黒の大将に許可なさったそうです」

夕霧は思い切っていった。

「六条院には、
歴々の夫人方が揃っていられる。
そこへ玉蔓を加えるのは具合悪いので、
内大臣の姫という身分を明かし、
表向きは宮仕えという名目で、
誰とも結婚させず自分のものになさる、
と感心していられるそうです」

「それこそ、
邪推というものだ。
私があの姫を引き取って育てたのは、
あの姫の母なる人への愛情からだ。
愛したひとの忘れ形見だったからだ」

夕霧は、
薄く笑っている父の真意を、
はかりかねた。

かの日、垣間見た父と玉鬘の痴態は、
青年の心に不可解な影を落としていた。

源氏の方では、

(もし内大臣が、
そう思っていたとしたら、
よく看破したというべきだ)

と思っていた。

宮仕えという名目にかこつけ、
玉蔓を誰にもやらぬわが心を、
さすが内大臣は見抜いていたのかもしれぬと、
いい気はしない。

玉蔓は喪服を脱いだ。
八月であった。

九月は入内には忌み月である。
いよいよ十月に宮仕えということになった。

主上は、
玉蔓が新任の尚侍として、
宮中に上がるのを待ちかねていらっしゃる。

求婚者たちはみながっかりした。

内大臣の子息たちは、
以前は何も知らず玉蔓に求婚していたが、
姉弟とわかってからは、
ぷっつり訪れなくなった。

しかし玉蔓の入内の日は、
いろいろ世話をしようと張り切っている。

この内大臣の長男、柏木の上司は、
髭黒の大将である。

大将はいつも柏木を呼びつけて、
玉蔓への求婚を熱心に申し入れていた。

柏木の父、内大臣へも正式に申しこんでいる。

髭黒の大将は人柄もよく、
将来は政界実力者と目されている人物である。

内大臣の婿として不足はない。

ただ玉蔓は源氏に養われているので、
養父の意向を無視できないので、
内大臣の一存では返事できなかった。

髭黒の大将は東宮の御母女御の兄君であり、
次の帝の伯父になる人である。

主上の信任あつく世の声望もたかい。

玉蔓の婿としては、
立派すぎるくらいの社会的地位であるが、
結婚の資格としては、
源氏はいい点をつけていない。

大将にはすでに北の方があるし、
子供もいる。

だが大将は北の方と別居だった。

大将の北の方は、
式部卿の宮の長女で、
紫の上の異母姉に当たる。

年齢が三、四歳、大将より年長で、
ここ数年、体具合がおもわしくなく、
夫婦仲はよくないという噂。

ついぞ艶聞もない大将が、
このたびばかりは、
玉蔓に執心し、
どうあっても結婚したいと、
心を燃やしている。

いよいよ九月になった。

この月が過ぎれば玉蔓は、
どんな男たちの手にも届かぬ宮中へ、
入ってしまう。

求婚者たちはいよいよ、
いらだってさまざまな趣向を凝らした文を、
届けてきた。

玉蔓の好んで出る宮仕えではなかった。

しかし、もう、
大きい流れにただようこの身を、
玉蔓はとどめるすべもない。

だが、玉蔓は、
自分を待つ意外な運命を知らなかった。






          


(了)

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