むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

26、真木柱 ①

2024年01月03日 09時20分17秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・髭黒の大将が、
玉蔓に求愛するについて、
手づると頼むのは「弁のおもと」と呼ばれる、
女房だった。

まだ若いが、
かなりしっかりした女房なので、
大将はあてにして熱心に頼みこんでいた。

「十月になれば入内される。
そうなっては手遅れだ。
たのむ。
入内される前によい機会を作ってくれ」

「姫君も、
ご入内なさるのはお心が進まぬようで、
いらっしゃるのですが・・・
源氏の大臣がお決めになったことでございますもの。
どうしようもございません・・・」

弁のおもともため息をつくばかり。
髭黒はたたみかけた。

こうと思い込むといちずな性格なので、
そのこと以外は考えられない。

「いっときは姫君も動転なさるだろうが、
怜悧な方だ。
運命の流れを見通される力がおありだ。
ご実父の内大臣も、
内々承知していられることなので、
姫君と私は結ばれる縁に思われる。
十月になる前に、
首尾よくいくように頼む」

「でも、源氏の大臣が何と仰せられますか、
もしお心に違うことになったとしたら、
恐ろしゅうございます・・・」

弁のおもとは、
時の権力者としての源氏の怖さを知っている。

「そんなことはあるまい」

大将は自信に満ちて断言じた。

「もしほんとうに源氏の大臣が、
私を拒否なさるなら、
疾うに私は求婚者の群れから、
追い払われていたろう。
あれほど政治力のある方だ。
姫君をその道具にお使いにならぬはずはない。
源氏の大臣はご自分からは動かず、
おのずとそうなったようにみせかけて、
次代の帝の世にも力を保ち続けようと、
考えていられる。
そのためには私と反目することは不利になる。
なぜだか、わかるか?」

「ええ、大将さまは東宮の伯父君、
次の帝の御代の柱になられる方です」

「そうだ。
そのためには私と仲たがいしてはならぬ。
その意味では、
間違っても兵部卿の宮などへは、
姫君を渡されることはあるまい。
宮は皇族の身分がら、
政治には近づけない方。
そういうところへ姫君を与えても、
何もならぬというもの。
源氏の大臣も、
内心ではこの私にこそ、
と思っていられるが、さりとて、
あの美しいひとをむざとやるのも業腹、
それで最後の決心がつかぬ、
一寸のばしに宮中へ上らせ、
求婚者たちの熱をさまし、
婉曲に遠ざけよう、
というところだろう」

髭黒は会心の笑みを浮かべて言い切った。

弁のおもとも目を見張る。

「いい年をして、
という者もあるだろうな。
自分でもこの執心の烈しさに、
とまどっている。
しかしどうしても思い切れぬ。
あの時、なまじ、ひと目かいま見たばかりに、
こんな物思いを作ることになってしまった。
このままの状態では、
死ぬより辛い」

「ええ、よくわかります」

「私は今まで堅物で通ってきた男だ。
色めかしい噂などついぞ立てられたこともない。
不風流、野暮、情け知らずと陰で、
嗤われていたのも知っている。
そういう身には似つかわしくない恋だと、
あなたも思うだろうが・・・」

「いいえ、ご同情申し上げています。
ですから、ひと目姫君を拝ませてくれ、
とおっしゃったのを承知して、
ひそかにお手引きしたのでございます」

髭黒は、
顔半分をおおうような黒い髭面を、
両手でおおって苦しんだ。

体躯の堂々として強大な、
いかめしく無骨な武官が、
恋に憔悴しているさまは、
見る人によれば滑稽であろうけれど、
弁のおもとは深く心を動かされた。

彼女は髭黒の人柄に、
好意を持っていた。

髭黒ほど、
恋に縁遠い人はなかった。

そうかといって、
家庭的にも幸福ではなかった。

式部卿の宮の長女の姫(紫の上の異母姉)である、
北の方は長いこと物の怪がついて、
常軌を逸するふるまいが多く、
大将は同じ邸内にいても、
別居同様の毎日。

ただ、若い頃の愛情はいまだに尾をひいていて、
北の方へのあわれみとやさしさを、
大将は失っていなかった。

それに子供たちもいることではあり、
大将は子供の可愛さにひかれて、
北の方を捨てる気にはならない。

しかし北の方とて、
心なぐさめられる雰囲気ではなく、
邸内は冷え切り、
家庭は荒廃していた。

常人ではない夫人を守って、
大将は子供たちを楽しみに、
味気ない中年の日々を送っていた。

弁のおもとは、
そんな髭黒の淋しさをよく知っていた。

それで髭黒が玉蔓に関心を寄せ、
しだいに恋の烈しさを募らせていったときも、
他の人々と同じように、

「似合わない・・・」

と吹き出して笑う気にはなれなかった。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 25、藤袴 ② | トップ | 26、真木柱 ② »
最新の画像もっと見る

「新源氏物語」田辺聖子訳」カテゴリの最新記事