「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

26、真木柱 ②

2024年01月04日 09時03分47秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・玉蔓に親しく仕え、
姫君の聡明さや、
ふかい心ざま、
おくゆかしいたしなみなどを、
よく知っている弁のおもとは、

(そうだわ・・・
あの大将となら、
似合わないご縁ではない)

と思った。

人々に立ちまじり、
世間を見ている弁のおもとは、
玉蔓より大人だった。

いくら輝くような美青年でおわしても、
帝のもとへ上がることは、
後宮の女性たちとの気苦労も多く、
またどんなに風流で教養深かろうとも、
兵部卿の宮は、
第二、第三の愛人を作るおそれもある、
と弁のおもとは見ている。

(女の幸福は、
ただ一人の男に、
ただ一人の女として愛されることだ)

弁のおもとはそう考え、
髭黒の大将の恋文使いを引き受けていた。

大将は、くぐもった声でいう。

「どうしても結婚したい。
今までこんな思いをしたことは一度もない。
あまりにも、
私の人生は淋しかった。
冷たい氷のような家庭で、
私の人生は半分死んでいたのだ。
あのひとを知って、
よみがえった気がする。
もう一度、生き直したい」

大将は黒い髭面に涙を滴らせていた。

大将のために、
何かやってみよう、
と弁のおもとは心の中でうなずいた。

しょんぼりした中年男のあわれさは、
髭の黒々といかめしい立派な高官であるだけに、
よけいしみじみした感じを与えた。

髭黒の大将は、
取り持ち役の弁のおもとに、
おびただしい心づけの金品を送っていたが、
弁は、それで心動かされたわけではない。

大将への好意と同情からである。

それに、大将が源氏の胸中の思案を、
分析解明したことも、
弁を勇気づけた。

源氏が、結婚させるなら大将に、
と内々心づもりしているというのも、
ありそうなことに思われた。

それよりも弁のおもとの心配は、
源氏の玉蔓に対する愛情である。

玉蔓を奪われた源氏の嫉妬が、
どんな予想外の波乱を巻き起こすかわからない。

しかし、それについても彼女は、

(大臣のことだもの、
決して表立った嫉妬や怒りや失望は、
お見せにならない。
ぐっとこらえて穏便に取り繕われるに違いない)

と見きわめていた。

(大将のいわれるように、
この結婚はご実父の内大臣がもろ手をあげて、
賛成していられるのだもの。
これほど強力な後ろ盾はない)

その自信が弁のおもとに勇気を与えた。

玉蔓の居間へ、
大将を案内する手引きをしたのである。

大将は狂気して忍んできた。

大将は衣擦れの音がしないように、
柔らかく萎えたものを着ていた。

大将の体は昂奮と期待にこまかく震えて、
じっとしていても音をたてそうなほどだった。

玉蔓は物語を読みふけっていたので、
床へつくとすぐうとうとし、
健やかな眠りに引き込まれたが、
そのうち人の気配を感じて目覚めた。

(右近かしら?
宰相の君かしら?)

乳母はこのごろ老いて、
夜は早く休むので、
女房の一人が近寄ったのかと思った。

しかし、その影は巨きい。
たきしめた香もおぼえのないものだった。

本能的な恐怖を感じて、
玉蔓は起き上がり、
声を立てようとしたが、

「お静かに」

という男の声で息をのんだ。






              


(次回へ)

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