・髭黒の大将の北の方の病気は、
一進一退、
はかばかしくない。
大将が帰るとなおのこと、
病気はぶりかえし、
病人は狂い立ってののしり叫ぶ。
大将はこの前の経験に懲りて、
北の方に近づかず、
帰っても別棟に住んでいた。
ただしかし、
大将も子供は可愛いので、
別棟の部屋に呼び寄せ、
会っていた。
子供たちにだけ会うと、
また六条院に戻り、
北の方と会うのを避けていた。
北の方の周囲の女房たちは、
大将を恨んでいた。
父宮の式部卿の宮は、
「もう、そこまでされて、
辛抱することはない。
戻ってきなさい。
世間の笑い者にさせたくない」
と仰せられて、
迎えの車をよこされた。
北の方は、
病気がややおさまって、
正気でいられる時だった。
迎えの車が来たというので、
強いてとどまって、
夫にいやがられるよりは、
と思い切って、
この邸を去ることに決めた。
北の方のご兄弟が、
迎えに来ていられ、
どうしようもなく、
荷物をまとめ、
残る人、
ついてゆく人、
それぞれ名残りを惜しみ合う。
「お幸せ薄い北の方さま」
と女房達は泣かぬ者はなく、
小さな若君たちは、
何ごともわきまえず、
無邪気に走り回っている。
北の方は三人の子供たちを呼んで、
「お母さまは、
このお邸を、
出てゆくことになりました。
あなたたちがかわいそうで、
ここにいても、
新しいお母さまが、
あなたたちを可愛がって下さる、
とは思えないから、
みんな一緒におじいさまのお邸へ、
移りましょう。
残しておいては、
どんな目にあうかと思うと、
お母さまは気がかりで、
死ぬにも死ねません」
と話して聞かせるうちに、
ほろほろと泣き出し、
それにつられて乳母たちも泣く。
若君たちは車に乗れる、
というのではしゃいでいて、
それはそれであわれである。
年かさの姫君は、
大将が特に可愛がっているが、
姫君も父になついていた。
「お父さまは・・・?」
姫君は、
父に会わずに、
出ていきたくなかった。
「いやよ。
お目にかかって、
さようならって、
ご挨拶してから行きたいの」
少女は泣きじゃくって、
柱にすがりついて、
動こうとしなかった。
日も暮れ雪が降りそうな、
心細い空模様になった。
「降らないうちに早く」
迎えに来た北の方の弟たちは、
促す。
北の方自身も迷っていて、
立ち去りにくいが、
姫君の泣きじゃくるのを、
なだめていた。
「お母さまと一緒に行くのが、
おいやなの?
そんな、
ききわけのないことをいって、
お母さまを苦しめないで」
姫君も、
こうとっぷり暮れてしまっては、
お父さまは、
お帰りになるはずはない、
とわかっていた。
姫君は泣く泣く、
手紙を書いてゆくことにした。
居間の、
いつも姫君が寄りかかっていた、
東面の柱に別れるのも悲しかった。
これからは、
この場所にどんな人が坐り、
どんな人が寄りかかるのだろう?
お父さまの愛情は、
これからはその人に、
移ってしまって、
わたくしのことは、
お忘れになるのかしら。
姫君は涙を拭き拭き、
檜皮色の紙に歌を書いて、
それを柱の割れ目に差し込んだ。
<今はとて
宿離れぬとも馴れ来つる
真木の柱は われを忘るな>
(わたくしが去っても、
真木柱よ、
ここにいつももたれていた、
わたくしを忘れないでね)
という少女の歌だった。
「もうだめよ。
すべては終わりですよ。
ここへ戻ることは、
二度とないでしょう。
お父さまのお心が、
変ってしまったのだもの。
あなたたちのことさえ、
お忘れになってしまわれたのです」
北の方はそういいつつ、
車の窓から住み慣れた邸、
いま捨てていく邸が、
遠ざかるのをじっと眺めていた。
父宮は、
北の方一行を迎えられて、
老いた身にこんな悲しみを、
味わおうとはと、
お嘆きになった。
母君の大北の方は、
泣き騒ぎ、
はては源氏の大臣への、
怨みつらみを述べたてる。
(次回へ)