むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

27、真木柱 ⑧

2024年01月10日 09時21分37秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・髭黒の大将の北の方の病気は、
一進一退、
はかばかしくない。

大将が帰るとなおのこと、
病気はぶりかえし、
病人は狂い立ってののしり叫ぶ。

大将はこの前の経験に懲りて、
北の方に近づかず、
帰っても別棟に住んでいた。

ただしかし、
大将も子供は可愛いので、
別棟の部屋に呼び寄せ、
会っていた。

子供たちにだけ会うと、
また六条院に戻り、
北の方と会うのを避けていた。

北の方の周囲の女房たちは、
大将を恨んでいた。

父宮の式部卿の宮は、

「もう、そこまでされて、
辛抱することはない。
戻ってきなさい。
世間の笑い者にさせたくない」

と仰せられて、
迎えの車をよこされた。

北の方は、
病気がややおさまって、
正気でいられる時だった。

迎えの車が来たというので、
強いてとどまって、
夫にいやがられるよりは、
と思い切って、
この邸を去ることに決めた。

北の方のご兄弟が、
迎えに来ていられ、
どうしようもなく、
荷物をまとめ、
残る人、
ついてゆく人、
それぞれ名残りを惜しみ合う。

「お幸せ薄い北の方さま」

と女房達は泣かぬ者はなく、
小さな若君たちは、
何ごともわきまえず、
無邪気に走り回っている。

北の方は三人の子供たちを呼んで、

「お母さまは、
このお邸を、
出てゆくことになりました。
あなたたちがかわいそうで、
ここにいても、
新しいお母さまが、
あなたたちを可愛がって下さる、
とは思えないから、
みんな一緒におじいさまのお邸へ、
移りましょう。
残しておいては、
どんな目にあうかと思うと、
お母さまは気がかりで、
死ぬにも死ねません」

と話して聞かせるうちに、
ほろほろと泣き出し、
それにつられて乳母たちも泣く。

若君たちは車に乗れる、
というのではしゃいでいて、
それはそれであわれである。

年かさの姫君は、
大将が特に可愛がっているが、
姫君も父になついていた。

「お父さまは・・・?」

姫君は、
父に会わずに、
出ていきたくなかった。

「いやよ。
お目にかかって、
さようならって、
ご挨拶してから行きたいの」

少女は泣きじゃくって、
柱にすがりついて、
動こうとしなかった。

日も暮れ雪が降りそうな、
心細い空模様になった。

「降らないうちに早く」

迎えに来た北の方の弟たちは、
促す。

北の方自身も迷っていて、
立ち去りにくいが、
姫君の泣きじゃくるのを、
なだめていた。

「お母さまと一緒に行くのが、
おいやなの?
そんな、
ききわけのないことをいって、
お母さまを苦しめないで」

姫君も、
こうとっぷり暮れてしまっては、
お父さまは、
お帰りになるはずはない、
とわかっていた。

姫君は泣く泣く、
手紙を書いてゆくことにした。

居間の、
いつも姫君が寄りかかっていた、
東面の柱に別れるのも悲しかった。

これからは、
この場所にどんな人が坐り、
どんな人が寄りかかるのだろう?

お父さまの愛情は、
これからはその人に、
移ってしまって、
わたくしのことは、
お忘れになるのかしら。

姫君は涙を拭き拭き、
檜皮色の紙に歌を書いて、
それを柱の割れ目に差し込んだ。

<今はとて 
宿離れぬとも馴れ来つる
真木の柱は われを忘るな>

(わたくしが去っても、
真木柱よ、
ここにいつももたれていた、
わたくしを忘れないでね)

という少女の歌だった。

「もうだめよ。
すべては終わりですよ。
ここへ戻ることは、
二度とないでしょう。
お父さまのお心が、
変ってしまったのだもの。
あなたたちのことさえ、
お忘れになってしまわれたのです」

北の方はそういいつつ、
車の窓から住み慣れた邸、
いま捨てていく邸が、
遠ざかるのをじっと眺めていた。

父宮は、
北の方一行を迎えられて、
老いた身にこんな悲しみを、
味わおうとはと、
お嘆きになった。

母君の大北の方は、
泣き騒ぎ、
はては源氏の大臣への、
怨みつらみを述べたてる。






          


(次回へ)

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