・髭黒の大将は、
北の方が実家へ引き取られた、
という知らせを受けて、
当惑した。
あのよわよわしい、
うつつ心のない北の方が、
自発的に帰るはずはない。
父宮の指図にちがいない。
(みっともないことをして、
世間の物笑いを招かれるものだ。
若い夫婦の、
痴話げんかではあるまいし、
中年夫婦の子供ももいるのに、
今ごろになって、
何だってまあ・・・)
大将は、
舅の軽率さが不快だった。
このままうち捨てておくわけには、
いかない。
大将は北の方を、
持ち重りする存在に感じているが、
決して別れるつもりは、
ないのである。
大将はこのことを
玉蔓に知らせた。
「あれはおとなしい病人で、
邸のかたすみにひっそりと、
暮らしている人なのに、
父宮が無理に、
引き取られたものと見えます。
このままでは薄情なようですから、
ちょっと顔を出してきます」
といって出かけた。
玉蔓は、
自分からそんな悶着が起きた、
と思うと、いっそう憂鬱になり、
大将の魅力など、
見直す気になれなかった。
大将は、
式部卿の宮の邸へ行く前に、
自邸へもどった。
子供たちはどうなったのか、
北の方の様子など知りたかった。
大将づきの女房が、
その折の話をした。
お父さまにあって、
さようならとご挨拶をしてから、
行きたいと柱にすがって、
泣きじゃくっていた、
あり様を聞くと、
大将はたまらなくなった。
男らしくこらえていたものの、
姫君が柱の割れ目に挟んでいった、
置き手紙の幼い字をみると、
堪えかねた涙が落ちた。
大将は、
涙の顔を人々に見られないように、
すぐ宮の邸へ車をやった。
娘のいとしさは、
どんなに玉蔓を愛しても、
別のものである。
宮の邸に着いたが、
北の方は無論、会わない。
父宮は、
「若い妻に夢中になっている、
男の心が今さら、
元にもどるはずはない。
会う必要はない」
と引き留めていられる。
大将は、
言葉を尽くして説得したが、
北の方の返事はない。
姫君だけでも、
顔を見せてくれないか、
と大将ははかない望みをかけたが、
誰にも、
会わせてくれそうになかった。
男の子たちだけが出てきた。
大将の息子は、
上が十歳、下が八歳である。
上の男の子は、
童殿上をしている、
愛らしい子だった。
利口で、いい子である。
八つの男の子も愛くるしい、
真木柱の姫君にもよく似ている。
大将は、
宮にお目にかかりたいと思ったが、
「風邪をひいてこもっております」
とことわられ、
取りつく島もないあしらいだった。
しかたなく、
二人の若君だけを車に乗せ、
帰ってきた。
しかし、六條院へ、
子連れでゆくわけにはいかない。
「お父さまは出かけるからね。
ここで、今までのように、
暮らしておいで。
お父さまは時々帰ってくるから」
二人の幼い兄弟をおいて、
ゆくことにした。
大将は二人の若君に、
まつわりつかれると、
いじらしくて出てゆく足も、
鈍る思いだったが、
美しい玉蔓を見ると、
新しい勇気がわく。
北の方へ、
大将はふっつりと、
便りをしなくなった。
父宮の冷たいあしらいが、
大将にはこたえ、
男の面目を傷つけられた、
と大将は思っている。
宮の方は、
そういう大将を、
冷淡なしうちと、
くやしがっていられた。
紫の上は、
「困ったわ。
わたくしまで、
怨まれてしまって・・・」
と玉鬘の結婚が、
まわりに引き起こした、
意外な波紋に、
心をいためていた。
玉蔓は、
あれこれもめ事を聞くにつけても、
ますます物思いが積もって、
気は晴れなかった。
大将は、
それをいとおしく思って、
「宮仕えに出て、
気を晴らしてみませんか」
とすすめた。
大将の方からすすめるとは、
たいそう事情も変った。
「この前は私が、
せっかくの宮仕えの準備を、
中止させたようになったが、
それでは主上に申し訳ないし、
源氏の大臣も、
割り切れぬ思いでいられる。
よい折だから、
参内してはどうだろう」
大将の意向は、
すぐ受け入れられて、
玉蔓は美々しい儀式のうちに、
参内した。
華やかに、
人目をそばだてる威勢となった。
何しろ、内大臣・太政大臣という、
強い後ろ盾がある上に、
夫は髭黒の大将、
男兄弟に加え、
夕霧の中将の後ろ盾もある。
後宮はそれぞれ、
妍をきそう方々が、
時めいていらしたが、
玉蔓は承香殿の居間を頂いた。
一方、
大将はいらいらしていた。
(今日一日だけ過ごして、
今夜は退出させよう。
このまま居ついて、
宮仕えしたいなどと、
いい出されては大変だ)
大将はひそかに、
この機会に玉蔓を、
自邸に引き取ろうと思っている。
それでやかましく、
退出を促すのであるが、
玉蔓は取りあわない。
女房たちが、
「源氏の大臣が、
今日参内して、
今夜の退出では、
あまりにもあわただしい。
主上が得心あそばされるまで、
御所にいて、
お許しを得て退出するがよい、
と仰せられています」
と大将にいってきた。
大将はいらいらしている。
参内した玉蔓のもとに、
思いがけなく、
主上のお渡りがあった。
(次回へ)