むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

18、朝顔 ④

2023年11月15日 08時05分59秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・源氏は、
是が非でも朝顔の宮との結婚を、
強行する意志はなかったが、
宮の気高いひややかさ、
情の強さが恨めしく、
このまま引き下がるのが、
いかにも残念だった。

いまの源氏は、
天下一の人として世の声望もあり、
分別にも富み、
経験を積んで酸いも甘いもかみわけた年ごろ。

今さらの浮気沙汰は、
世間の批判を招こうかと思うが、
しかし失恋したということになれば、
いよいよ世の物笑いになるであろう。

(どうしたものか・・・)

と内裏泊りを重ねて、
私邸の二條院へ帰らぬ夜が続いた。

紫の上は、
冗談ごとと見過ごしがたくなっている。
しおれて涙ぐむこともあった。

それを見ると、源氏もいとしくて、
やさしくささやく。

「藤壺女院がお崩れになって、
主上がたいそう淋しがっていられるのが、
おいたわしくてね。
それに太政大臣もいられなくなって、
政務を譲る人もいなくて忙しいのだ。
わが家にいることが少ないのを、
あなたは疑うのは無理はないが、
そんな心配はいらない。
いくら私でも、
今となってはよその女人にどうこう、
ということなど、あるはずもない」

短い定めない世に、
愛する者からこうまで恨まれるのは、
つまらないと源氏は思った。

何といっても、
紫の上は源氏にとって、
誰にもかえられない恋妻であった。

源氏は人の世のはかなさに、
おびえている。

六條御息所も藤壺の宮も、
逝ってしまわれた。

人はもろいのだ。

物欲を信ずる者は永遠を信じ得ようが、
愛を信じる人間は、
人の命の有限を知って、
おののかずにはいられない。

一日中、
紫の上のご機嫌をとっていた。

源氏は御簾を上げさせた。

冬枯れの前栽は草木も淋しく、
遣水も凍って、氷が張っている。

源氏は元気のいい女童たちを庭に下ろし、
雪ころがしをさせた。

少女たちは大喜びで、
雪遊びに熱中しはじめる。

小さな女の子たちは走り回り、
源氏と紫の上の前ということも忘れ、
はしゃいで遊んでいる。

静かな雪の庭に、
可愛い声がみちて、
辺りへひろがっていった。

源氏と紫の上は、
部屋でそれを見ながら、
しんみりと落ち着いてゆく。

源氏はさすがに、
紫の上に朝顔の宮とのことは、
打ち明けられなかった。

紫の上は、
朝顔の宮のことについては、
自分の取り越し苦労かもしれない、
と思うようになっていた。

庭を見やる紫の上の横顔の、
何とまあ恋しい藤壺の女院に、
紛らわしくも似ていることか。

朝顔の宮に向いていた心が、
取り戻される気がした。






          


(次回へ)

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