・賀茂祭の騒がしさを過ごして、
四月二十日過ぎ、
薫は宇治へ行った。
造らせている御堂を見て、
あれこれ指図したあと、
弁の尼を山荘に訪れた。
すると、
女車の目立つほどでもないのが一台、
宇治橋をこちらへ渡って来るのが、
見える。
供の者は、
腕っぷしの強そうな、
東国男たちで、
ほかに下人も数多く従え、
いかにも道中安全の様子。
(田舎びた連中だな)
薫は見ながら山荘へ入り、
例の車もこの山荘めざして、
やってくる気配。
薫は、何者か、と訊かせた。
ひどい東国なまりの男が、
「常陸の前司殿の姫君が、
初瀬寺に詣でられて、
お戻りになりました。
行きにもここに、
お泊りになりましたので」
(おお)
薫は思い出した。
(弁の尼の話に出た女だな)
薫は姫君の一行に、
こう告げさせた。
御車を早く入れるがよい、
遠慮はいらない・・・
薫の従者たちは、
狩衣の旅装で質素にしているが、
やはり気配で身分高い人、
とわかるのか一行は、
気を使う相客がいると、
面倒に思うらしかった。
みな小さくなっている様子。
車は邸内に引き入れられ、
廊の西端に寄せられた。
新しく建てられた寝殿は、
まだ調度もなく、
簾もかかっていなくて、
がらんどうである。
格子を閉めきった廂の間の、
隔てにある襖の穴から、
薫はのぞいた。
車の姫君はすぐに下りず、
尼君に使いをやって、
身分ありげなお客さまは、
誰なのか聞かせているらしい。
例の姫君だと知った薫は、
すぐ弁の尼に、
「私が来ているとは、
決して言ってくれるな」
と口止めしていたので、
弁の尼や召使いたちは、
みな心得て、
「早くお下りなさいまし。
お客さまはいらっしゃいますけど、
お気遣いなく」
と車の人々に伝えた。
姫君は恥ずかしそうに、
年配の女房にすすめられて、
車から下りた。
(似ている・・・)
薫は思う。
身ごなしの上品なさまは、
亡き大君にそっくり。
檜扇を顔にかざしているので、
顔は見えない。
薫は胸のつぶれる思い。
濃い紅のうちぎに、
撫子がさねとおぼしい、
表は紅梅、
裏は青の細長、
その上に若苗色の小うちぎを、
着ていた。
四尺の屏風を襖の向こうに、
立てているものの、
薫ののぞいている穴は、
その上にあるのだから、
あます所なく見える。
姫君は薫のいる方が、
気がかりになる風情で、
あちら向きになって、
物に寄り添い横になった。
女房がいう。
「お疲れになりましたか。
今日はずいぶんお辛そうでした。
でもまあ、何といったって、
東路の旅のことを思えば、
なんの恐ろしいことが、
ありましょう」
などと話しているのに、
姫君はひっそりと臥している。
薫は、
だんだん腰が痛くなってきた。
人のいる気配を悟られまいと、
じっとなおも見ていると、
若い女房が、
「あら、いい匂いがしません?
すてきな薫物の匂い・・・
尼君が焚いていらっしゃるのかしら」
いぶかしんでいう。
「ほんとに、
すばらしい香り、
京の人はやはり風流で花やか。
北の方さまは、
風雅にかけては負けはとらない、
とお思いだったけれど、
やっぱり東国の田舎じゃ、
とてもこれほどの薫物の香は、
調合なさることは出来ませんでした。
ここの尼君は、
こんなにささやかなお暮しだけれど、
お召し物の美事さは、
とてもご立派ですてきです」
などとほめている。
薫はのぞき見の欲望に克てなくて、
なおも目を凝らす。
この人々より、
高い身分の貴婦人を薫は、
いくらも見ている。
后の宮をはじめてして、
美しい女や、
気高い女、
いやになるほど多く見てきた。
しかしよほどのことがなければ、
目にも心にもとまらず、
そんな薫がなぜか、
この姫君に心惹かれてならない。
そんなに美しい、
というわけでもないのに、
どうしても立ち去りがたく、
目が離せないというのも、
不思議である。
弁の尼は薫にご挨拶を、
と伝えたが供の者が、
「お疲れになったというので、
ちょっとご休息中で」
と気を利かせていったので、
(この姫君にお会いになりたい、
といっていらしたから、
日暮れを待っていらっしゃるのかしら)
と思った。
まさか、
薫が姫君をのぞき見しているとは、
弁の尼は思いもかけない。
(次回へ)