むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

21、胡蝶 ②

2023年12月14日 09時10分56秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・兵部卿の宮もまた、
北の方を失われて三年ばかり、
淋しい独身生活を送っていらしたので、
熱心に玉蔓に求婚していられた。

そして今日は中宮の御読経のはじめの日。

これは春秋の二季に四日間にわたり、
大般若経を読ませられる。

来客たちは昨夜の宴からひき続いてなので、
そのまま自邸に帰らず、
六条院の一間を休息所に借りて、
正装に着替える。

正午ごろ、
一同、中宮の御殿に参上する。

源氏をはじめ、殿上人はみな座についた。

源氏の威勢で、
すべておごそかにも花やかな法会となった。

紫の上から御供養として、
仏に花が奉られたが、
この献花のありさまも絵巻物のようであった。

紫の上からの手紙は、
中将・夕霧の君がたずさえて、
中宮に奉った。

<花ぞのの胡蝶をさへや下草に
秋まつ虫はうとく見るらむ>

(秋を好むあなたさまには、
春の花や蝶もうとましくお眺めになりましょうか)

というものだった。

中宮はにっこりとしてご覧になった。

紫の上への中宮のお返事は、

「昨日はうかがえなくて残念で、
泣きたい思いでございました。
胡蝶のように飛んでゆきたく思いました」

六条院の朝夕は、
この世ののもならぬ豪奢な悦楽にみちていた。

紫の上と中宮はむつまじく、
手紙のやりとりに友情を交わし合っていた。

西の対の玉蔓は、
あの日以来、
紫の上と手紙を交わすようになった。

玉蔓は気が利いてなつかしい人柄で、
意地わるくないので、
花散里も紫の上も好意を盛った。

玉蔓に求婚してくる人は多かった。

だが源氏はこの男、
と決めることは出来そうにない。

われながら、
実の親として押し通す自信がないので、
いっそのこと実父である内大臣に知らせてしまおうか、
と思うときもあった。

源氏の息子の夕霧の中将は、
御簾のそばに寄って話をする。

玉蔓は自身で返事をするのを恥ずかしく思ったが、

「ご姉弟でいらっしゃるのですから、
当然でございます」

と女房たちはいうのだった。

夕霧とは幼時からの友人である、
内大臣(元、頭の中将、玉蔓の実父)の長男、
柏木は、六条院へ来るたび、
玉蔓に恋ごころをほのめかしていた。

玉蔓は、

(あの人こそ、ほんとの姉弟なのに)

と思うと心苦しくて、
辛く思うものの、
そんなことは源氏には洩らしはしなかった。

みんな源氏に任せて、
ひたすら源氏に頼りきっていた。

四月になると、
玉蔓への求婚者はさらに増えた。

源氏はさまざまの男たちの狂奔ぶりが、
面白くてならない。

ひまがあると玉蔓の部屋へ来て、
男たちの恋文を見、
これには返事せよ、
これは待て・・・
などと教えるのであった。

玉蔓にもっとも頻繁に来る手紙は、
兵部卿の宮と、
髭黒と呼ばれる右大将のそれである。

源氏は玉蔓にいう。

「兵部卿の宮は、
お一人住みだが、
お人柄が少し浮気で、
通われるところも多く、
お邸の女房には愛人もいるそうです。
それを承知で、
おだやかに宮の北の方として、
つとまるでしょうか。
むつかしいことですね・・・
私はすすめられない。

また髭黒の右大将は年上の夫人があるが、
結婚生活は冷えて、
同じ邸に住みながら別居も同然という噂です。
それであなたに申し込んできたのだろうが、
これは、北の方の実家との間に、
ひと悶着起きそうだし、
さてどうしたものか。

あなたも子供ではなし、
自分で判断して、
私に何でも相談して下さい」

玉蔓は、
源氏にどう返事をしてよいかわからない。

彼女は今、
縁談に興味はなかった。






          


(次回へ)

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