・源氏が須磨・明石をさすらっていたころ、
都でも嘆き侘びている女人は多かった。
それでも、
生活に不安のない身分の人々は、
まだよかった。
紫の君などもそうである。
経済的に恵まれた立場である上、
たえず便りを交わしあっていたし、
季節ごとの装束をととのえて送ったりし、
あわれなのは、
源氏にうすなさけをかけられて、
そのまま忘れられた女人たちだった。
恋人の数にも入れられぬまま、
源氏の都落ちをよそながら聞いて、
人知れず悲しんでいた。
常陸の宮の姫君、末摘花もその一人だった。
父宮が亡くなられたあと、
暮らし向きにも事欠くさまだった姫君が、
思いがけなく源氏と結ばれ、
源氏の庇護を受ける身となった。
源氏はこの醜い姫をあわれんで、
生活の面倒をみた。
姫君一家はおかげで安らかに暮らしていた。
だが、源氏の失脚後、その平安は覆った。
源氏は、わが身の憂さにかまけて、
殊更深い仲でない女人たちのことは、
思い出しもしなくなり、
うち捨てたままになっていた。
まして須磨へ落ちてからは、
愛してもいない女性たちへ、
便りをすることなど、
絶えてなかった。
要するに、
末摘花は捨てられたのである。
源氏が都を離れてのちも、
しばらくは彼の援助の名残で、
生活は出来た。
末摘花は源氏の不運、
わが身の薄幸を思って、
泣く泣く暮らしていた。
やがて、ひと月、ふた月、
半年、一年たつうちに、
生活の困窮は深まっていった。
貧しさに慣れていた昔は、
それが当然と思い、
気にせず暮らしていたが、
源氏の庇護で、
ひとときいい目を見たあとは、
いっそう今の貧苦が辛く思われる。
月日のたつうち、
仕える者もだんだん少なくなっていった。
もともと荒廃していた邸は、
いよいよ狐の住みかのようになり、
気味悪かった。
わずかに残って、
姫君に仕える女房達は、
おそろしくて気味悪くて、
たまらなかった。
そういう邸に目をつけて、
「手放されるおつもりなら、
ぜひ、お譲りください」
と申し込む者がある。
裕福な受領などで、
いまどきない、古雅なおもむきある邸が、
気にいったらしかった。
荒廃してもさすが宮家だけあって、
庭の木々さえ由緒ありげで、
買い求めて手入れしてみたい、
と思うのであった。
「ここはお売りになって、
手狭でも、怖ろしげでない所へ、
お移りになったほうが、
お心も晴れましょう」
女房達はすすめたが、姫君は、
「まあ・・・よくそんな、とんでもない」
と首を横に振るのだった。
「私の生きている限りは、
この邸を売ってしまうなどということは、
できません。
こんな恐ろしげに荒れ果てても、
私には父宮や母君のおもかげが残る住みか」
と泣く泣くいうのだった。
手まわりの道具類も、
たいそう古風で、
よく使いこまれた時代ものの美しい、
品々だった。
世間にはそういうものに趣味のある人がいて、
「お譲りください」
と申し込んでくるのも、
貧しい邸と侮ってのことらしかった。
女房たちは、それらを手放して、
目の前の生活難をしのごうとするのだが、
末摘花はどうしてもきかないのであった。
末摘花の姫君もかなり変わった女性だが、
兄君の方も、負けず劣らずの、
変人だった。
この姫君にとって、
たった一人の同胞である禅師の君は、
早くに仏門に入って、
山に籠って修行していた。
たまに都に出てくると、
この邸へ寄って、
「やあ、どうかね?」
と声をかけるのだった。
姫君の返事も、
決まり切っていた。
「べつに変わりはございません」
「あ、そう」
それだけでまたひょうひょうと去って行く。
僧侶というものは、
世間の俗事からかけはなれているのが、
常とはいえ、この人はその中でも特別だった。
普通の生活常識のある男性なら、
繁りに繁った蓬や八重むぐらを刈らせ、
木々の梢を払わせたりして、
女住まいの荒れた邸を、
さっぱりと明るくするよう、
助言したり命じたりするであろう。
しかし禅師は、
そんなこと考えつきもしない風で、
腰まで繁った草をかきわけて訪れ、
また平然と草を踏んで帰るのだった。
(次回へ)