「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

13、蓬生(よもぎう) ①

2023年10月17日 09時02分11秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・源氏が須磨・明石をさすらっていたころ、
都でも嘆き侘びている女人は多かった。

それでも、
生活に不安のない身分の人々は、
まだよかった。

紫の君などもそうである。

経済的に恵まれた立場である上、
たえず便りを交わしあっていたし、
季節ごとの装束をととのえて送ったりし、
あわれなのは、
源氏にうすなさけをかけられて、
そのまま忘れられた女人たちだった。

恋人の数にも入れられぬまま、
源氏の都落ちをよそながら聞いて、
人知れず悲しんでいた。

常陸の宮の姫君、末摘花もその一人だった。

父宮が亡くなられたあと、
暮らし向きにも事欠くさまだった姫君が、
思いがけなく源氏と結ばれ、
源氏の庇護を受ける身となった。

源氏はこの醜い姫をあわれんで、
生活の面倒をみた。

姫君一家はおかげで安らかに暮らしていた。
だが、源氏の失脚後、その平安は覆った。

源氏は、わが身の憂さにかまけて、
殊更深い仲でない女人たちのことは、
思い出しもしなくなり、
うち捨てたままになっていた。

まして須磨へ落ちてからは、
愛してもいない女性たちへ、
便りをすることなど、
絶えてなかった。

要するに、
末摘花は捨てられたのである。

源氏が都を離れてのちも、
しばらくは彼の援助の名残で、
生活は出来た。

末摘花は源氏の不運、
わが身の薄幸を思って、
泣く泣く暮らしていた。

やがて、ひと月、ふた月、
半年、一年たつうちに、
生活の困窮は深まっていった。

貧しさに慣れていた昔は、
それが当然と思い、
気にせず暮らしていたが、
源氏の庇護で、
ひとときいい目を見たあとは、
いっそう今の貧苦が辛く思われる。

月日のたつうち、
仕える者もだんだん少なくなっていった。

もともと荒廃していた邸は、
いよいよ狐の住みかのようになり、
気味悪かった。

わずかに残って、
姫君に仕える女房達は、
おそろしくて気味悪くて、
たまらなかった。

そういう邸に目をつけて、

「手放されるおつもりなら、
ぜひ、お譲りください」

と申し込む者がある。

裕福な受領などで、
いまどきない、古雅なおもむきある邸が、
気にいったらしかった。

荒廃してもさすが宮家だけあって、
庭の木々さえ由緒ありげで、
買い求めて手入れしてみたい、
と思うのであった。

「ここはお売りになって、
手狭でも、怖ろしげでない所へ、
お移りになったほうが、
お心も晴れましょう」

女房達はすすめたが、姫君は、

「まあ・・・よくそんな、とんでもない」

と首を横に振るのだった。

「私の生きている限りは、
この邸を売ってしまうなどということは、
できません。
こんな恐ろしげに荒れ果てても、
私には父宮や母君のおもかげが残る住みか」

と泣く泣くいうのだった。

手まわりの道具類も、
たいそう古風で、
よく使いこまれた時代ものの美しい、
品々だった。

世間にはそういうものに趣味のある人がいて、

「お譲りください」

と申し込んでくるのも、
貧しい邸と侮ってのことらしかった。

女房たちは、それらを手放して、
目の前の生活難をしのごうとするのだが、
末摘花はどうしてもきかないのであった。

末摘花の姫君もかなり変わった女性だが、
兄君の方も、負けず劣らずの、
変人だった。

この姫君にとって、
たった一人の同胞である禅師の君は、
早くに仏門に入って、
山に籠って修行していた。

たまに都に出てくると、
この邸へ寄って、

「やあ、どうかね?」

と声をかけるのだった。

姫君の返事も、
決まり切っていた。

「べつに変わりはございません」

「あ、そう」

それだけでまたひょうひょうと去って行く。

僧侶というものは、
世間の俗事からかけはなれているのが、
常とはいえ、この人はその中でも特別だった。

普通の生活常識のある男性なら、
繁りに繁った蓬や八重むぐらを刈らせ、
木々の梢を払わせたりして、
女住まいの荒れた邸を、
さっぱりと明るくするよう、
助言したり命じたりするであろう。

しかし禅師は、
そんなこと考えつきもしない風で、
腰まで繁った草をかきわけて訪れ、
また平然と草を踏んで帰るのだった。






          


(次回へ)

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