「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「ナンギやけれど」 ⑨

2023年01月06日 09時00分36秒 | 「ナンギやけれど」   田辺聖子作










・もう一度、時実さんの句に戻ります。

「天焦げる 天は罪なき人好む」

時実さんのご主人で曽我祿郎さん、
この句集を編集なさった、
やっぱり川柳作家でいらっしゃいますけど、

「昭和ひとけたは 咄嗟に覚悟する」

というのがありまして、
何か私のことのようでございます。

「裂けるなら裂けよ ニッポンさようなら」

「満月の空に長田が燃えている」

「あの顔この顔 生きていてくれ夜になる」

「誌も歌も句も要らぬ 日が昏れていく」

つぎは神戸市灘区、島村美津子さん。

「無事か無事か 受話器びっしょり濡れている」

「余震しきりにいま 何日の何曜日」

もう二日たち、三日たっても、
今日が何日であったかということが、
わからなくなってしまう。

すべて臨場感あふれる貴重な作品だと思います。

そして、
これは貝原兵庫県知事がおっしゃっていたことですが、
瓦礫の山の中で、
貝原さんはこういう紙片を見つけられました。

そこで多分亡くなられたかたでしょうね。
ささやかな食べ物とお水とお花を供えて、
その隣にペン字で書いてありましたそうです。

「人の形をときて
思いのすべてを天にかえして
君は風となりぬ」

亡くなったかたを悼む、
多分ご家族のお言葉でしょうけれど、
そういうものに目を通して深く感動し、
人々に伝えて下さった知事さんも、
すてきだと思います。

行政の至らないところを、
弾劾するのは容易なんですけれども、
もうそれこそ末端の消防士のかたも、
神戸市役所の人々も、
皆さんそれぞれ一生懸命やったんですね。

でも、何だか後手後手とまわったり、
思いがけないことが積み重なりした。

消防士はホースを向けても水が出ない。

神戸は海の町ですのに、
海から水をとってこようとしても、
そのホースを踏まれてしまうんですね。

まさかという事態になりました。

消防は何をしているんだ、
早く消せと怒鳴られながら、
少しでも多くの人を、
建物を守ろうと、
消防士さんは必死で働かれた。

閉じ込められたビルの中の人を救おうと、
手の豆がつぶれてハンマーの柄も血みどろになるまで、
コンクリートを叩いて穴をあけた、とか。

その場でみんな一生懸命働いたんですね。

貝原知事さんも笹山市長さんも、
もうほんとうに何日も、
笹山さんなんかでも、
おうちは焼けてしまったんですが、
おうちへも帰られず不眠不休で、
どうやって一日暮れたのかわからないと、
あとで新聞記者のかたにおっしゃっていましたけれど、
一生懸命なさっていらっしゃったのでございます。

こういうふうな状態を見ますと、
私たちは、
やっぱり古典のことを考えずにはおられません。

ずいぶんたくさんのかたがこのたびの大地震で、
『方丈記』という古典を思い出されたことだと思います。

私は、天皇さまと皇后さまが、
廃墟の山になった長田区へお見舞いにいらして、
被災者の話を聞かれたり、
犠牲者の霊にお頭(つむ)を下げて、
黙祷されていらしたときに、
『方丈記』というのを思い出しました。

その辺に住んでいる人たちの、
これは女性ですけれど、話によると、
いろいろ有名な人が見舞いに来たり、
視察に来たりなさったけれども、
お花を捧げて下さったのは、
確か、皇后さまが、私の知っている限りでは、
初めてだったと思うわと言っていました。

皇后さまは、
皇居に咲いている水仙をお手ずから摘んで、
供えられたのでございます。

そのおやさしいお気持ちが、やっぱり私には、
あ、やはり日本民族の伝統を守ってくださる皇室らしい、
と思ったことでした。






          


(次回へ)

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