「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「ナンギやけれど」 ⑧

2023年01月05日 09時18分04秒 | 「ナンギやけれど」   田辺聖子作










・今日、私はここに川柳作家の時実新子さんが、
ご主人の曽我祿郎さんと諮って、
震災に遭った人たちの川柳を集めたという、
急いでつくられたパンフレットでございますけど、
そういうのを持ってまいりましたので、
皆さまにご紹介しようと思います。

時実さんはすてきな川柳をつくられるかたですけど、
私が思いますに、
やっぱりこういうふうな震災というようなときは、
短歌とか俳句とかというのよりは、
人間諷詠の文芸である川柳というのが、
いちばんぴったりと事実をうたえるものではないかと。

もちろん、俳句は自然諷詠でございますけれども、
人間をうたうという川柳は、
喜怒哀楽をぶつけるのに最適な文芸形式ではないかと、
それを読みながら考えたんでございます。

こういう本は、
まだ本屋さんに出ておりませんし、
ちょうどいい機会でございますから、
ご紹介いたします。

『悲苦を越えて 阪神大震災』

という句集がございます。

(のち大和書房より『わが阪神大震災 悲苦を越えて』
として刊行される。1995年)

一番はじめに時実さんのを。
一番後ろに載っておりますけど。

「天焦げる 天は罪なき人好む」

「死者はただ黙す 無力な月は出る」

時実さんのでございます。

それから、この句集は、
時実さんがおうちでなさっている、
川柳句会のグループのお作品ですから、
ごくわずかな人数なんですけど、
その中に七十歳の、
身体障害者のかたがいらっしゃいまして、
そのかたが一番心配だったそうです。

どうなさったかな、
お一人暮らしでお体が不自由なのに、
うまく逃げて下さっただろうかと、
時実さんも曽我さんも思っていらっしゃったんですが、
うまく逃げられたらしくて、
この句を寄せてこられたそうでございます。

神戸市長田区、七十歳の永井乃里文さん。

「顔に覆いかぶさる人形と僕 震えてた」

「真っ暗な瓦礫の山に埋もれてた」

「明け方に隣人の声 やっと救かる」

「ふり向くと あとかたもない むごさ」

「紙コップに ボトルの水を分けてもらう」

「避難手続き不備で 毛布は三日先」

「あの人もこの人みんな生きてた 手を握り」

「保健所へ引き取られゆく 車椅子」

ご自分のことでございます。

それから、
神戸市須磨区、中野文廣さん。
「三宮エレジー」と題しておられます。

「三宮ビルの泣き声 聞こえけり」

三宮にはたくさん飲み屋や、
そういう盛り場がありますので、
私もよく遊びに行きましたから、
三宮エレジーというのは、
胸が迫ります。

多分、皆さまも神戸へ遊びにいらしたときは、
三宮で飲まれたり食べられたり、
ショッピングなさったんじゃないかと思います。

「泥酔の父が 圧死の子を語る」

「三宮 我が半生が消えていく」

それからこれは、
秋田県のかたです。石垣健さん。

多分、お電話で時実さんはじめ、
神戸の川柳作家の無事を確かめられたんだと、
思います。

「生きていてよかった 腰が抜けました」

「信じないけれど 神さま仏さま」

「見ておけばよかった 北野の異人館」

これはこう思われるかたも多いんじゃないでしょうか。
でも、北野は、皆さま、ご安心下さいませ。

わりかし丈夫で、異人館も、鱗の家など、
ちょっと修復しなければいけないところがあるんですが、
かなり無事だったようでございます。

これは大阪府島本町の山崎佳子さん。

「人骨拾う素手にあり 阿弥陀経」

それからこれは、
お医者さまらしいですね。
西宮市の大西俊和さん。

「床一面 カルテと薬散乱す」

「半壊の医院の電話 切れば鳴り」

「長年の通院患者 圧死する」






          



(次回へ)

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