むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

22、撫子 ③

2023年12月23日 09時04分11秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・内大臣は長女の弘徽殿女御にいった。

「あの近江の君を差し出しますから、
よろしく。
見苦しいところは年輩の女房にいって、
遠慮なく教えてやって下さい。
軽率な娘だから、
人の笑われ者になるだろうが」

「そんなことおっしゃっては可哀そうです。
あまり期待されすぎたから、
あの方は気おくれしていらっしゃるだけです」

女御はやさしく微笑んで、
新しい妹、近江の君を弁護する。

「中将がいけないのだ。
よく調べもせず騒ぎ立てて、
邸へ引き取るからだ」

内大臣は腹をたてているが、
当の本人のところへいってみると、
近江の君は簾を高く押し出すように張って、
活発な若い女房と双六をしていた。

近江の君は、
両手をこすり合わせ、
賽の目に小さい数が出るようにと、

「小賽、小賽!」

と口早にまじないをいっている。

(あの早口が下品だ)

内大臣はうんざりし、
妻戸のすき間からのぞいていた。

相手の女房も落ち着きのない女で、

「お返しお返し」

とやかましくいって、
賽を入れた筒をひねっている。

近江の君は小柄で愛嬌のある、
ちょっとした美人であるが、
額の狭いのと、
声がうわずってきんきん声なので、
損をしている。

近江の君のおもざしに、
一点、自分に似ているところがあり、
内大臣は前世の因縁が憂鬱である。

二人は内大臣を認めて、
あわてて双六の手を止めた。

「どうだね?
ここにいてもつまらないだろう。
私は忙しくて始終来てあげられないし」

内大臣がいうと、
近江の君は早口で、

「いいえ、
ここに居らしてもろて、
何にも不足はあらしまへん。
長年、会いたい会いたい思てた、
お父さんに会えたんやし」

「身近にあなたを置いて、
身のまわりの世話でもしてもらおうか、
と思ったりしたが、
なまじ私の身分では、
あの人の娘だ、あの人の姉妹だ、
と人の口にのぼるのが面倒でね。
それもいい評判なら」

さすがに内大臣は、
その先は言えない。

近江の君はそれを察しもせず、

「いえいえ、
そんなご心配はご無用だす。
うちはもう、
ごく気さくに使うて頂くほうが、
嬉しおます。
便所掃除でも何でもしますさかい、
遠慮無うこき使うておくれやす」

というのが物凄い早口である。

内大臣はこらえかねて失笑し、

「久しぶりに会った親に、
少しでも孝行する気があるなら、
もう少しゆっくりしゃべってくれないか。
そうしたら私も長生きできるように思う」

「申し訳ないことや思うてます。
うちの早口は生まれつきのものですやろ、
亡くなったお母さんがうちの早口を、
苦にしてはりました」

近江の君は、
悪気のない娘なのだった。

「女御がいまお里帰りしていられるから、
時々はあちらへお伺いして、
行儀見習いをするといい」

内大臣が言い終りもせぬうちに、

「ひゃあ、それほんまだすか、
嬉しおます。
うちもどないぞして、
皆さまにおつきあいして頂きたいもんや、
思うてるのだっせ。
水汲みしてあたまで運んでも、
お仕えさして頂きとうおます」

内大臣は閉口して、

「ま、そんな雑用はしなくてもいいから、
女御の御前ではなるべくゆっくり、
ものをいうように心がけるんだね」

「そらもう、
お父さんのお顔をつぶすようなことは、
せえしまへん。
見てておくれやす。
ほんで、いつ女御さまのところへ、
参上したらよろしいねんやろ」

「ま、その気になったら今夜にでも」

近江の君は有頂天になって手を叩く。

「ひゃあ、嬉し。おおきに。
ありがとうさんでおます。
お父さん」

この内大臣は、
大臣の中でもことに威厳があり、
人々はその威に打たれて、
気おくれするような人なのだが、
近江の君はそんなことはつゆ関せず、
心安げに、

「お父さん、お父さん」

を連発する。

「女御さんのもとに伺えと、
せっかくおっしゃって頂いたんやから、
早うお伺いせなんだら、
しぶしぶ来たのかと、
ご機嫌を損ねてしまうやろ。
お父さんに可愛がられても、
女御さんがたに冷とうされたら、
このお邸に置いてもらわれへん」

近江の君は、
腹心ともいうべき女房の五節に、
何でも打ち明けてしゃべってしまう。

その辺も上流階級の人間から見れば、
軽率だということになるのであるが、
近江の君はただ、
率直なのである。

「さきにお手紙をさしあげてから、
伺うたほうがええやろうなあ」

五節は答える。

「そうどすなあ。
向こうさんから、
お迎えをよこしてくれはるならともかく、
こっちからお伺いするのに、
前ぶれなしに突然あがる、
いうのも失礼どっしゃろ。
うちかて、こんな場合、
どないするのが高貴なお方らの習慣か、
ようわかりまへんけど」

五節も心細かった。






          




(次回へ)

田辺聖子さんの本髄発揮、
近江の君のしゃべり言葉、
思わず笑えてきます。
近江の君の運命は

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