「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

22、撫子 ④

2023年12月24日 08時31分45秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・近江の君の腹心ともいうべき女房、
五節はすり寄って声をひそめた。

「こないな、上流の方々とのお付き合いは、
気骨が折れますなあ。
田舎に居ったときみたいに、
大声張り上げて、
ちょっと遊びに行ってもええ?
ふん、どうぞお越しやす、
いい合うてるほうが、
なんぼ気楽かわかりまへん」

「また、なんであんたはいつもそんな、
夢をこわすようなこと言うのん。
せっかく、内大臣のお姫さんになったのに、
田舎暮らしみたいなこと、
でけるはずないやないの」

近江の君はたしなめて、
一生懸命考えた、
気取った手紙を書いた。

青い色紙を重ね、
いかつい角張った字、
よろけた字くばり、
当人は得意げにながめ、
それでも女らしく、
小さい結び文にして撫子の花につけた。

文使いは、
桶洗童(ひすましわらわ)の、
綺麗な少女を使った。

少女は、
女御(内大臣の長女の姫)の御殿へ行き、
台盤所をのぞいて、

「これをさしあげて下さい」

と渡すと、
下仕えの女が顔を知っていて、

「近江の君にお仕えする子だわ」

と手紙を取り次いでくれた。

女御はご覧になるとほほえんで、
うち置かれたが、
中納言の君という女房が手紙を見た。

中味を見たそうにしている。

「草仮名は見つけないせいか、
この古歌はむつかしいわねえ・・・」

女御は手紙を女房に渡された。

「やはりお返事も、
こんな風に仰々しくしないといけないかしら?
あなたが代わりに書きなさい」

若い女房たちは、
手紙を回し読みして、
笑いをこらえるのに苦労していた。

お返事を使いが待っているというので、
中納言の君は、
女御のお文のように仕立てて書いた。

「近くにいらっしゃるのに、
お目にかかれぬのは残念です」

<常陸なる駿河の海の須磨の浦に、
波立ちいでよ 箱崎の松>

近江の君の手紙に書かれ古歌が、
歌枕の名所を手当たり次第に、
よみこんであるのに合わせ、
こちらの返歌も所きらわず、
名所の地名をつづり合わせたもの。

「まあ。
こまるわ。
わたくしが詠んだように噂されては」

女御は眉をひそめて、
迷惑そうにおっしゃったので、
女房たちはたまらず、
どっと笑うのであった。

中納言の君は、
手紙を使いに持たせた。

近江の君は飛び上がって喜んだ。

「いやあ、やっぱり何という、
すばらしいお歌やろ。
『箱崎の松』
まつ、いうて頂けたんやわ。
五節、早う用意してんか」

近江の君は大騒ぎで用意をする。

女御の御前で、彼女の手紙の歌が、
満座の笑いを買ったことなど、
知るよしもなく。

内大臣の見出した新しい姫君のことを、
世間では早くも格好の噂話にしていた。

玉蔓をそれを聞くにつけても、
やはり源氏のもとに引き取られてよかった、
実の親といっても気心の知れぬうちは、
どんなお取り扱いをして頂けたやら・・・
と思うと、
今さらのように源氏のやさしさが、
身に沁みる。






          


(了)

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