むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

20、玉蔓 ⑥

2023年12月05日 08時59分57秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・右近は姫君に見とれた。

ほんとうに、
非のうち所のない美しい姫君・・・

右近は微笑んで、
姫君から目をそらすことが出来なかった。
心から嬉しかった。

老いた乳母も嬉しそうだった。

右近はいう。

「私はつまらぬ身ですが、
殿が親しくおそばで召し使って下さいますので、
何かの折ごとに私が姫君のお噂いたしますと、
自分もどうかして捜したい、
何か消息を耳にしたらすぐ知らせよ、
とおっしゃっています」

乳母は困惑して、

「大臣の源氏の君は立派な方ですけれど、
聞きますれば、すぐれた北の方や、
ご愛人がたくさんおいでではねえ・・・
それよりも、まず、
本当のお父君、内大臣(元の頭の中将)さまに、
お知らせしたいのです」

右近は乳母の誤解を知って、
(源氏は姫君を愛人の一人にしようと思っている)

「いえ、そういう意味ではございません。
源氏の大臣は亡くなった夕顔の御方さまを、
今も恋しく悲しんでいらして、
忘れ形見の姫君のお世話をしたい、
とおっしゃるのでございます。
子供が少なくて淋しいので、
わが子を引き取ったと世間には言って、
姫君を迎えたい、と、
おっしゃっていたのでございます。
・・・と申しますのも、
あの頃の夕顔の御方さまの恋人は誰あろう、
源氏の大臣でいらっしゃいました。
当時は中将であられましたが、
ご身分をかくして忍んで通われました」

そうして右近は語った。

源氏の夕顔に対する烈しい熱愛、
そのさなかに死の手に夕顔を奪われた、
源氏の惑乱と悲しみ・・・

古い邸の物の怪のおそろしさ、
右近も取り乱して、
あとを追おうとしたこと。

「私は若くもあり、
動転もしておりました。
事実をありのままに、
皆さまにお告げする勇気が、
なかったのでございます。
気おくれしておりますうちに、
ご主人が太宰の少弐に任官なさったことは、
お名前を聞いて知りました。
それでも姫君は、
あの夕顔の花の咲く五條の家に、
お置きになったのだとばかり思いました。
筑紫へお連れになったとは・・・
でもまあ、ようございました。
よくお戻りなさいました。
このまま田舎へ埋もれておしまいになったら、
このお美しさ、貴いお血筋がもったいないことで、
ございました」

話は尽きなかった。

乳母にも姫君にも、
はじめて聞く話が多く、
また右近も筑紫の話を聞くのは、
あわれ深かった。

そこは高台で、
参詣者たちを見下ろせる場所だった。

前を流れる川は初瀬川である。

姫君も泣いていた。

物ごころもつかぬ昔のことは知らぬけれど、
初瀬のめぐりあいのふしぎさ、
うれし涙が流れます。

母君の夕顔はおっとりと、
やわやわしたなよやかな方だったが、
この姫君は気高く奥ゆかしい物腰である。

まあよく、
こうも立派にお育てしてくれたこと。

右近は乳母に感謝したい気持ちだった。

日が暮れると、
御堂にのぼり、
あくる日も一日、
念仏を唱えて勤行に暮らした。

秋風は谷から吹き上がって肌寒く、
人々の物思いをさそう。

姫君の運が開けるのはむつかしいと、
乳母たちは悲観していたが、
右近の話を聞いて、
希望がわいてきた。

右近は、

「父君の内大臣さまは、
お子がたくさんいらっしゃいます。
でもお一人残らず、
身分低い方々にもうけられたお子さまでも、
みんな相応にお取り立てになって、
立派に成人させていらっしゃいます」

というのであった。

「では、日陰の姫君が、
今ごろ名乗り出されても、
父子の契りをあわれに思し召して、
いただけましょうね」

乳母は姫君の行く末に、
心が明るんだ。

お寺から帰るときは、
互いに都の住居を教え合った。

幸い、右近の家は、
六条院の近くなので、
姫君一行の九條の宿とは、
あまり離れていない。

右近は今後の相談もあるので、
家が近いのを好都合に思い、
喜んだ。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 20、玉蔓 ⑤ | トップ | 20、玉蔓 ⑦ »
最新の画像もっと見る

「新源氏物語」田辺聖子訳」カテゴリの最新記事