・右近は姫君に見とれた。
ほんとうに、
非のうち所のない美しい姫君・・・
右近は微笑んで、
姫君から目をそらすことが出来なかった。
心から嬉しかった。
老いた乳母も嬉しそうだった。
右近はいう。
「私はつまらぬ身ですが、
殿が親しくおそばで召し使って下さいますので、
何かの折ごとに私が姫君のお噂いたしますと、
自分もどうかして捜したい、
何か消息を耳にしたらすぐ知らせよ、
とおっしゃっています」
乳母は困惑して、
「大臣の源氏の君は立派な方ですけれど、
聞きますれば、すぐれた北の方や、
ご愛人がたくさんおいでではねえ・・・
それよりも、まず、
本当のお父君、内大臣(元の頭の中将)さまに、
お知らせしたいのです」
右近は乳母の誤解を知って、
(源氏は姫君を愛人の一人にしようと思っている)
「いえ、そういう意味ではございません。
源氏の大臣は亡くなった夕顔の御方さまを、
今も恋しく悲しんでいらして、
忘れ形見の姫君のお世話をしたい、
とおっしゃるのでございます。
子供が少なくて淋しいので、
わが子を引き取ったと世間には言って、
姫君を迎えたい、と、
おっしゃっていたのでございます。
・・・と申しますのも、
あの頃の夕顔の御方さまの恋人は誰あろう、
源氏の大臣でいらっしゃいました。
当時は中将であられましたが、
ご身分をかくして忍んで通われました」
そうして右近は語った。
源氏の夕顔に対する烈しい熱愛、
そのさなかに死の手に夕顔を奪われた、
源氏の惑乱と悲しみ・・・
古い邸の物の怪のおそろしさ、
右近も取り乱して、
あとを追おうとしたこと。
「私は若くもあり、
動転もしておりました。
事実をありのままに、
皆さまにお告げする勇気が、
なかったのでございます。
気おくれしておりますうちに、
ご主人が太宰の少弐に任官なさったことは、
お名前を聞いて知りました。
それでも姫君は、
あの夕顔の花の咲く五條の家に、
お置きになったのだとばかり思いました。
筑紫へお連れになったとは・・・
でもまあ、ようございました。
よくお戻りなさいました。
このまま田舎へ埋もれておしまいになったら、
このお美しさ、貴いお血筋がもったいないことで、
ございました」
話は尽きなかった。
乳母にも姫君にも、
はじめて聞く話が多く、
また右近も筑紫の話を聞くのは、
あわれ深かった。
そこは高台で、
参詣者たちを見下ろせる場所だった。
前を流れる川は初瀬川である。
姫君も泣いていた。
物ごころもつかぬ昔のことは知らぬけれど、
初瀬のめぐりあいのふしぎさ、
うれし涙が流れます。
母君の夕顔はおっとりと、
やわやわしたなよやかな方だったが、
この姫君は気高く奥ゆかしい物腰である。
まあよく、
こうも立派にお育てしてくれたこと。
右近は乳母に感謝したい気持ちだった。
日が暮れると、
御堂にのぼり、
あくる日も一日、
念仏を唱えて勤行に暮らした。
秋風は谷から吹き上がって肌寒く、
人々の物思いをさそう。
姫君の運が開けるのはむつかしいと、
乳母たちは悲観していたが、
右近の話を聞いて、
希望がわいてきた。
右近は、
「父君の内大臣さまは、
お子がたくさんいらっしゃいます。
でもお一人残らず、
身分低い方々にもうけられたお子さまでも、
みんな相応にお取り立てになって、
立派に成人させていらっしゃいます」
というのであった。
「では、日陰の姫君が、
今ごろ名乗り出されても、
父子の契りをあわれに思し召して、
いただけましょうね」
乳母は姫君の行く末に、
心が明るんだ。
お寺から帰るときは、
互いに都の住居を教え合った。
幸い、右近の家は、
六条院の近くなので、
姫君一行の九條の宿とは、
あまり離れていない。
右近は今後の相談もあるので、
家が近いのを好都合に思い、
喜んだ。
(次回へ)