「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

9、思慮ある武者  ②

2021年07月24日 08時01分42秒 | 「今昔物語」田辺聖子訳










・わしはいった。

「そうそう、そんなことがござったよ。
いや、手前もいままで忘れておりました。
と申すのも、手前は兄御の殿には仕えておりますが、
頼信の殿の郎党ではござらんのでな。
それをあまたの人の前で、わけもいわず、
高やかに仰せられるのは心得ぬことと思うて、
それっきり聞き流したのでござる。
そこもとを討つつもりはわしにはないでの」

とわしは笑った。
と、その男はこんなことをいうた。

「実は、都からそのことを人が知らせてまいったゆえ、
これは貞道どのがてっきりわしを討ちに参られるかと思い、
今日も今日とて、道で行き逢うたときは、
どっきりといたしましたわい」

そこで止めればよかった。
ところがその男は、わしに害心ないと知ると、
にわかに勢いづいたか、誇りかに言い続けたものよ。

「いや、わしを討つつもりはないという、そのご分別、
そこもとのためにはまことに結構結構、
そのほうがめでたい。
かの殿のいいつけどおり、わしを討とうとされても、
わしほどの豪の者をそうたやすく討ち取られまいて。
そこもとも命拾いされたというもの。
は、は、は・・・」

むっときた。
わしは、の。

要らざる高言をほざく奴かな、と思うた。


~~~


・もしこの男が、

(私を貞道どのが討たれるとは思えませなんだ。
元来、我々は別に怨みも仇もない仲なれば)

とでもいうておれば、わしも何とも思わぬところよ。
それとも、もっと正直に、

(頼信の殿のご不興、お咎めをこうむったと承って、
恐れておりましたが、そこもとに討つ気なしとうかがって、
ほっといたしました。
今日よりは心安く暮らせましょう。
まことに嬉しゅうござる)

とでも本音をいえばよいものを。

心の中ではそう思うているくせに、
虚勢を張って無礼な捨てぜりふ、
なるほど、この無礼を、
頼信の殿は咎められたのかもしれぬ。
討つことをあきらめたのはわしのためには結構だと?
豪の者を討たずに命拾いしたかどうか、
よし、目にもの見せてくれよう。
こしゃくな奴め。

わしは口少なになり、

「では」と別れを告げ、ゆきすぎた。
ゆきすぎてから、わしは郎党に「やるぞ」と知らせた。

馬の腹帯をしっかりしめ直し、
弓矢をとって引き返す。

広野に出た所で彼奴の一行に追いつき、襲いかかる。
奴は、

「そう来ると思ったぞ。さあこい」

と口ではいうが、この痴者(しれもの)め、
わしが「討つ気はない」というのを真にうけたのであろう、
馬を乗り換え、武装を解き、のんびりしていたものだから、
矢を一本も射返さず、わしは彼奴を射落として首をかききった。

彼奴の郎党は散り散りに逃げた。

わしは頼信の殿に首を差し出すと、
殿は喜ばれて、駿馬に鞍を置き、引き出物として賜ったよ。


~~~


・頼信の殿が、人前で、皆に聞こえよがしに、
かのなにがしの男を討てといわれたのは、
彼奴の耳に入ろうためであろう。

そしてそれを仄聞いた男が、もし心ある者であれば、
以後は身をつつしみ謙虚にふるまうであろうと、
殿は思われたに違いない。

殿はわしが、いささか思慮ある武者で、
お言いつけを鵜呑みにして理非もなく、
すぐさま討ちにいく男ではないと、
見越していられたのよ。

されば、その男も、なだらかにつつしんで居れば、
無事に身を全うできたのであった。

ところがわしに害なしと知るや、
すぐさまおごり高ぶって威丈高となり、
無用の高言を弄して討たれるはめとなった。

武者というものは、くれぐれもおごってはならぬ。
猛きつわものほどへりくだり、つつましくあらねばならぬ。

おお、どうした、
みな急に居住まいを正し、
肩を狭げにしているではないか。

いや、形のことをいうのではない。
心じゃよ。
武者の心の持ち方をわしはいうのだ。

はは、ははは・・・

豪勇無双とうたわれる貞道は髭をふるわせて笑う。
葉の散り透けた木々の枝の先に、
初冬の凍り付いた氷片のような月が懸かっている。

若侍たちは寒さも忘れ、
貞道の話に聞き入るのであった。


巻二十五(十)






          


(了)

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