・私の住む町は高級住宅街であるにかかわらず、
老人のピンクパワーに圧倒されている。
この頃は全市あげて「お茶飲み友達」ブームになったとしか思えない。
私は子や孫もいらないが、ボーイフレンドもいらないのだ。
伴侶もわずらわしいばかり。
五勺の酒、新しいドレス、絹のガウン、
宝塚、美味しいものをほんのちょっぴり、
それだけで私の人生はバラ色なんである。
お習字に絵、いささかの利殖操作の楽しみ、
これはもうひまつぶしにもってこいである。
第一、私は「茶飲み友達」というあいまいな言い方が気にくわぬ。
この間は中年女が二人訪れて、
「生きる支えの杖をさがして再婚なさることをおすすめします」
私の怒りは高まってくる。さらに続けて、
「いえ、これは古来からの言い回しですからね、
どうか『お茶飲み友達相談所』に登録なさいませ」
女二人が説得にかかる。
「そんなにいうなら、自分が登録すれば?」と言うと、
「あたしには主人がいます!」
「私ゃ、独身主義ですよ」と私、とうとうケンカになってしまった。
実際、相手がいればいい、ってものではない。
私がよく会うボケの妻を抱えた夫を見るがよい。
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・半年ほど前から、マンションの前の道を散歩する老夫婦がいる。
夫は七十四、五、妻は七十を越したぐらい。
夫は背が高く、意志的な顔つきをした老人である。
妻は小柄で着物を着ている。
髪の毛が薄く、心細げな髪で、
後ろで小さなまげを作っているが、額はくっきり富士額。
まゆも太く黒々としている。
妻は着物の裾も乱れがちでとっとと歩く。
しかしその顔はしまりなく、目がどんよりして、
暗い涙が浮いていることがある。
どこかよその町から移ってきたのかもしれない。
私が妻を(ボケているのかしら?)と思ったのは、
ある時、歩きながら片方のはきものが脱げたのも気づかず、
歩いていったから。
涼しくなったころ、妻はタモトの中のハンケチやティッシュを、
まき散らしつつ歩いていった。
夫が拾い集めていたので、私もハンケチを拾ってあげたら、
「や、どうも」と夫はしっかりと礼をいって、
まともな人のようであった。
何度も会うようになったので、私も会釈して、
「しのぎやすくなりましたね」といった。
するとそこへ妻がひどい勢いで戻ってきて、私に何か叫んだ。
その顔は目が吊り上がり、口元がゆがみ、ひどい憎しみの表情。
彼女の額の富士額とまゆが、
眉墨でくっきり描かれているのを見て、
私はたまらなくなり、プッと吹き出したら、
妻は再び同じことを私に叫んだ。
なんとそれは、
「あほばかまぬけ!ひょっとこなんきんかぼちゃ!」
大阪の下町で子供たちが声をあわせるはやし言葉だった。
それにしても、なんでああも憎々し気に私を見たのか。
「おい、やめなさい。・・・すみません」
夫の方は妻をたしなめ、私に謝った。
すると妻は「ア~ンア~ン」と泣き出した。
涙で眉墨が垂れ、手でこするので富士額も崩れてきた。
私もいつ自分の身にふりかかるか分からない運命であるのに、
(ボケだけはなりとうないなあ)とつくづく思った。
夫は動じないで「よしよし」と言いつつ肩を抱いて帰って行く。
私は夫の後姿がいかにも気の毒に思われた。
(反対でも同じことや)私は思った。
~~~
・秋も深まってお習字教室を終えると、もう五時で暗くなっている。
私がマンションへ帰ると、木枯らしの中をその夫婦が歩いている。
妻は何か追い詰められたように歩く。
(なぜ、こんな寒い日ぐれに連れ出すのであろう?)と私は思った。
二人は歩き疲れて植え込みの側のベンチに坐り込む。
冬の日暮れは誰も居ず、ベンチは冷え切っている。
そうしてつくづく思った。
夫婦というのは業のようなものではあるまいか。
やはり人間は独りがよい。
一人で生き、そしてやたら医者にいじくられず、自然に土に還ろう。
私は無神論者というべきであるが、
何となく超越者の存在を感じている。
それがモヤモヤさん。
マンションのどの窓にもオレンジ色の灯がともり、
物を煮るなつかしい匂いが流れてくる。
老夫婦はベンチから立ち上がり、
どこへ行くのか、せかせかと妻は歩き出す。
何日か経ってみた時は、妻は車いすに乗せられていた。
夫は忍耐強く押していく。
妻は大抵あらぬ方を見ているが、
私が夫に向かって挨拶をすると、たちまち目を吊り上げ、
「あほばかまぬけ!」とののしる。
そして私に襟巻きや手袋を投げつけようとする。
「あれは妬いてはりますのや」管理人さんはいう。
「おたくだけやおまへん。
ご主人と話をする人に妬きはりますねん。それもオナゴにだけ。
ボケててもわかりますねんなあ。えらいもんだす」といった。
それからは車いすが見えると、
なるべく夫婦の視界に入らぬようにした。
そのうち、ふっつりと姿を見なくなってしまった。
思えば、私は同性ながら気味わるいもん見た・・・
私の字引には男に甘える項はないのである。
(次回へ)