むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

16、姥雲隠れ  ①

2021年10月08日 08時39分01秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・私の住む町は高級住宅街であるにかかわらず、
老人のピンクパワーに圧倒されている。

この頃は全市あげて「お茶飲み友達」ブームになったとしか思えない。
私は子や孫もいらないが、ボーイフレンドもいらないのだ。
伴侶もわずらわしいばかり。

五勺の酒、新しいドレス、絹のガウン、
宝塚、美味しいものをほんのちょっぴり、
それだけで私の人生はバラ色なんである。

お習字に絵、いささかの利殖操作の楽しみ、
これはもうひまつぶしにもってこいである。

第一、私は「茶飲み友達」というあいまいな言い方が気にくわぬ。
この間は中年女が二人訪れて、

「生きる支えの杖をさがして再婚なさることをおすすめします」

私の怒りは高まってくる。さらに続けて、

「いえ、これは古来からの言い回しですからね、
どうか『お茶飲み友達相談所』に登録なさいませ」

女二人が説得にかかる。

「そんなにいうなら、自分が登録すれば?」と言うと、

「あたしには主人がいます!」

「私ゃ、独身主義ですよ」と私、とうとうケンカになってしまった。

実際、相手がいればいい、ってものではない。
私がよく会うボケの妻を抱えた夫を見るがよい。


~~~


・半年ほど前から、マンションの前の道を散歩する老夫婦がいる。
夫は七十四、五、妻は七十を越したぐらい。

夫は背が高く、意志的な顔つきをした老人である。
妻は小柄で着物を着ている。

髪の毛が薄く、心細げな髪で、
後ろで小さなまげを作っているが、額はくっきり富士額。
まゆも太く黒々としている。

妻は着物の裾も乱れがちでとっとと歩く。
しかしその顔はしまりなく、目がどんよりして、
暗い涙が浮いていることがある。

どこかよその町から移ってきたのかもしれない。

私が妻を(ボケているのかしら?)と思ったのは、
ある時、歩きながら片方のはきものが脱げたのも気づかず、
歩いていったから。

涼しくなったころ、妻はタモトの中のハンケチやティッシュを、
まき散らしつつ歩いていった。

夫が拾い集めていたので、私もハンケチを拾ってあげたら、
「や、どうも」と夫はしっかりと礼をいって、
まともな人のようであった。

何度も会うようになったので、私も会釈して、

「しのぎやすくなりましたね」といった。

するとそこへ妻がひどい勢いで戻ってきて、私に何か叫んだ。
その顔は目が吊り上がり、口元がゆがみ、ひどい憎しみの表情。

彼女の額の富士額とまゆが、
眉墨でくっきり描かれているのを見て、
私はたまらなくなり、プッと吹き出したら、
妻は再び同じことを私に叫んだ。

なんとそれは、
「あほばかまぬけ!ひょっとこなんきんかぼちゃ!」
大阪の下町で子供たちが声をあわせるはやし言葉だった。

それにしても、なんでああも憎々し気に私を見たのか。

「おい、やめなさい。・・・すみません」

夫の方は妻をたしなめ、私に謝った。
すると妻は「ア~ンア~ン」と泣き出した。
涙で眉墨が垂れ、手でこするので富士額も崩れてきた。

私もいつ自分の身にふりかかるか分からない運命であるのに、
(ボケだけはなりとうないなあ)とつくづく思った。

夫は動じないで「よしよし」と言いつつ肩を抱いて帰って行く。
私は夫の後姿がいかにも気の毒に思われた。

(反対でも同じことや)私は思った。


~~~


・秋も深まってお習字教室を終えると、もう五時で暗くなっている。
私がマンションへ帰ると、木枯らしの中をその夫婦が歩いている。

妻は何か追い詰められたように歩く。
(なぜ、こんな寒い日ぐれに連れ出すのであろう?)と私は思った。

二人は歩き疲れて植え込みの側のベンチに坐り込む。
冬の日暮れは誰も居ず、ベンチは冷え切っている。

そうしてつくづく思った。
夫婦というのは業のようなものではあるまいか。

やはり人間は独りがよい。
一人で生き、そしてやたら医者にいじくられず、自然に土に還ろう。

私は無神論者というべきであるが、
何となく超越者の存在を感じている。
それがモヤモヤさん。

マンションのどの窓にもオレンジ色の灯がともり、
物を煮るなつかしい匂いが流れてくる。

老夫婦はベンチから立ち上がり、
どこへ行くのか、せかせかと妻は歩き出す。

何日か経ってみた時は、妻は車いすに乗せられていた。
夫は忍耐強く押していく。

妻は大抵あらぬ方を見ているが、
私が夫に向かって挨拶をすると、たちまち目を吊り上げ、
「あほばかまぬけ!」とののしる。

そして私に襟巻きや手袋を投げつけようとする。

「あれは妬いてはりますのや」管理人さんはいう。

「おたくだけやおまへん。
ご主人と話をする人に妬きはりますねん。それもオナゴにだけ。
ボケててもわかりますねんなあ。えらいもんだす」といった。

それからは車いすが見えると、
なるべく夫婦の視界に入らぬようにした。

そのうち、ふっつりと姿を見なくなってしまった。

思えば、私は同性ながら気味わるいもん見た・・・
私の字引には男に甘える項はないのである。






          


(次回へ)

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