ぐうたら主婦 きっとの暮らしと遊び

ヘタレな主婦の山歩きとぐうたらな生活の中で思ったことなどを書き連ねてみました。

また痛ましい事故が・・・

2019-05-08 19:43:25 | こども
きょうは仔牛を耳鼻咽喉科に連れて行こうと牛子について行った。

昨年、一度耳鼻咽喉科でお耳の掃除をしてもらって綺麗になったんだが、
最近また耳を触っているので、髪の毛がくすぐったいのか耳が痒いのか、という事で
見てもらったら、ちょっと大きいのが出たそうだ。
最近はお医者さんで取ってもらうことを勧めているようでいいことだなあと思った。
牛子を育てる頃はそんな事なかったし知らなかった。医者によっては
「そんな事で連れてくるな」ぐらいのことを言う医者もいたから。
昨年初めてお掃除をしてもらった時に
「お腹の中にいた時のカスがいっぱい詰まってたよー。」
と言われてギョッとしたことを覚えている。

それからmont-bellへ行きこどもの日のプレゼントに帽子を2種類とTシャツを買ったり
あちこちで買い物をして帰ってきてテレビをつけたら

今度は保育園児が事故にあったと。

もう、悲しすぎる。痛ましすぎる。
先日の池袋の事故といい、その後のあちこちの事故といい、
父親が自分の子どもを乗せたまま飲酒運転、信号無視、衝突なんて事故を起こして
それでさえ子どものこころはどうなんだろうと心配していたところに
今度は2歳〜3歳の子どもたちが事故にあった。

悲しすぎる。

何故青信号で直進車がいるのに無理に右折しようとするのか?
信じられない。

悲しみにくれている親御さんの一方で双方の保険会社が過失割合で揉めて
保険金をなかなか支払わない、なんて事がないようにしてあげてくださいよ。
なんなら右折車側の保険会社は本人に「あなたにそもそもの原因があります。認めなさい。」
くらいのことは言わなければならない。

幼い子どもたちが命を落とすのは、本当につらい。

私の妹も54年も前に事故で亡くなった。あと1ヶ月で4歳になるところだった。
道路の反対側で1歳の弟を抱っこして立ち話をしていた父のところへ行こうとして
高校生のバイクにはねられ、即死した。妹が倒れていた現場のコンクリートには十数年間血の跡が残っていた。
父が「危ないから来ちゃダメだ」
と言うので私は妹の手を引いて家に帰ろうとしたのだが、妹は「どうしても行く」
と言うので、手を離して向きを変えて家に向かって歩いてきた時、後ろで大きな物音がした。
振り返ろうとしたら、飛び出してきた祖母に
「見ちゃいかん!家にはいってろ!」
と言われて家で待っていた。

それから何がどうなったのか覚えているのは父が妹を抱いたまま医者へ走って行ったこと。
母が半狂乱で泣き叫んでいたこと。(事故当時母は留守だった)
葬式の日に父の仕事仲間の大工さんたちが棺桶を作ったら小さくて、また作り直していたこと。
保育園の(まだ通い始めたばかりだった」同じクラスの園児や私の同じクラスの園児たちが
先生と一緒にお葬式に来てくれたこと。

その事故のあと、歩いて通園していたのがバスで通園するようになった。
あの時、私が無理やりにでも手を引いて帰って来ていれば、とずーっと思っている。

当時、山奥の田舎町に住んでいたのでもっと山奥に住んでいる高校生は
下宿するかバイク通学が認められていた。その高校生は事故の後「退学」処分になるところだったが
3年生になったばかりだったし、将来があるからそれは無しにしてやってくれと父が学校に頼んだとかで
ちゃんと高校は卒業したらしい。当時新聞にも載ったらしいが厳しい処分もなく、
普通に高校生活を送ったのじゃないだろうか。狭い田舎町ということもあるし、今みたいに厳しい行政処分もなかったらしい。

そんな経験をしているので子どもたちが事故や病気や事件で亡くなってしまうのは
本当に悲しい。自分も車の運転だけは慎重に慎重にしなければと自戒しているところです。

亡くなったお子さんのご冥福を祈ります。また、意識不明のお子さん、怪我をされたお子さん
保育士さんの一日も早い回復をお祈り申し上げます。