〔芭蕉、埋木の伝授〕
芭蕉は「貝おほひ」一編を奉納して、この年の春(あるいは九月)に江戸に下ったと伝えられる。しかし東下の年次は必らずしもこの年ときめられない。ただ確実なことは、遅くとも三年後延宝三年(一六七五)春以前に江戸に下っていたことと、その前年延宝二年三月十七日、師の李吟から、作法書「埋木』の伝受をうけている事実だけである。芭蕉翁記念館に蔵する与木「川木」巻・木に、季吟が自著で「宗房生」が「俳措似心浅カラザルニヨリテ」この沫怯の秘書を写させ、奥書を加える旨を書きつけて、「延宝二年弥生中七季吟(花押)」と著名しているからである。
芭蕉の東下には、小沢卜尺または向井卜宅が同道したと伝えられる。卜尺は江戸木舟町の名主で、季吟門の俳人。ト宅は藤堂任口の家臣でこれまた季吟門である。江戸について、草軽をぬいだのはト尺の所とも、杉山杉風の家とも伝えられる。杉風は屋号を鯉屋といい、小田原町に住んでいた幕府御用の魚問屋である。
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