◇寛文7年 丁未 1667 素堂26才
素堂、この年に加友撰、『伊勢踊』に投稿か。
『伊勢踊』素堂翁句初見 春陽軒 加友撰
◎松阪市史、第七巻所集 寛文七年(1667)著 八年刊。
伊勢踊 加友編 序
紗の紗の衣おしやりしことは世中の狂言綺語にして一生は夢のことくなれともことにふれつゝ目に見こゝろに思ひくちにいふ霞舌の縁に引れてやつかれ若年のころほひより滑稽の道にをろかなるこゝろをたつさゆといへとも宰予か畫寝かちにおほくの年月を過し侍りぬまことに期すところは老と死をまつのおもはんこともしらす又爰にわれにひとしき二三子あつていはく此ころ諸方に何集のか草のとて誹發をあつむる事しはいまめかしされは都のえらひにうちのほせんをも流石に目はつかしまた田舎のあつめにさしつかはさんこともはたくちはつかしさはいへとをのれらうちこゝろをやりてなし置たるを月日をふる句になし行事いとくちおしくて予を時のはやりをとりの哥挙に物せよとよりそゝのかされて氣を瓢箪の浮蔵主になりつゝ足拍子ふみとゝろかし手ひらうちたゝきて人々まねきよすれは赤ゑほしきたるとち腰うちひねり頭をふりてわれもとうたひのゝしる小哥ふしらうさい片はちやうのものはいふにたらすは哥舟哥田植えうた巡礼比丘尼樵夫の哥なとをとりあつめて小町躍や木曾踊住吉踊土佐踊是はとこをとりと人とはゝ松坂越て伊勢踊と名付答る物ならし ・寛文七年霜月日
** 伊勢踊 素堂入集句 **
予が江戸より帰国之刻馬のはなむけとてかくなん
かへすこそ名残おしさは山々田 江戸 山口氏信章
花 花の塵にましはるはうしや風の神
註…「はうし」は「法師」
餘花 雨にうたれあなむ残花や児桜
註…「児桜」は「ちごさくら」
相撲 取結へ相撲にゐ手の下の帯
註…「ゐ手」は「ぬき手」か
相撲 よりて社そるかとも見め入相撲
註…「社」は「こそ」
** 参考資料 ** 『俳文学大辞典』 角川書店
寛文 七年(一六六七)
一月、『誹諧小相撲』刊。諸国点者の批点を比較する俳書の嚆矢。
季吟『増山井』刊、以後の季寄せの範となる。
書『貝殻集』『玉海集追加』『続山井』『八嶋紀行』
『やつこはいかい』
芭蕉発句 寛文7年(1687)24歳
号 伊賀上野 松尾氏宗房
時雨をやもどかしがりて松の雪 「続山の井」
花の顔に晴れうてしてや朧月 (以下同じ)
盛りなる梅にす手引く風も哉
あち東風や面々さばき柳髪
餅雪をしら糸となす柳哉
花に明かぬなげきや我が歌袋
春風に吹き出し笑ふ花も識哉
夏ちかし其口たぱへ花の
うかれける人や初瀬の山桜
糸桜こや帰るさの足もつれ
風吹けば尾ぽそうなるや犬桜
五月雨に御物遠や月の顔
降る音や耳も酸うなる梅の雨
杜若似たりや似たり水の影
夕顔に見とるるや身もうかりひよん
岩躑躅染むる泪やほととぎ朱
しばし間も待つやほととぎす千年
秋風の鑓戸の口やとがり声
七夕のあはぬこころや雨中天
たんだすめ住めば都ぞけふの月
影は天の下照る姫か月のかほ
荻の声こや秋風の口うつし
寝たる萩や容顔無札花の顔
月の鏡小春にみるや目正月
萎れ伏すや世はさかさまの雪の竹
霞まじる帷子雪は小紋かな
霜枯札に咲くは辛気の花野哉
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