山梨の山 茅ケ岳
須玉町と中巨摩郡敷島町にまたがる山。標高1703・5メートル。富士火山帯に属する休火山で、コニーデ型をなす。八ヶ岳連峰に似るところから「ニセ八」などと紹介されることもある。
「甲斐国志」には「金岳・茅岳山ニシテ別峰ナリ」とあり、また「甲斐叢記」には「金ヶ嶽と云。また鐘分岳とも作」とあるように、北方の金ヶ岳と混同ないし同一視されていたと思われる。
山名は金ヶ岳から派生した可能性もある。西から南方面にかけて広大な裾野が広がり、南端は一四キロの長さに及ぶ。
平安時代には官牧の穂坂牧や小笠原牧が設営され、中央にも馬が献上された。「裏見寒話」や「甲斐国志」に山中に住む怪人についての記載がみられるほか、山麓には多くの伝説が残る。
深田久強が山頂付近で急逝し、昭和五六年(1981)饅頭峠入り口に深田記念公園が設けられた。
須玉町 瑞牆山 みずがきやま
須玉町の最北部にある山。標高223・2メートル。
金峰山は尾根伝いに六・七キロほど南東方面にあたる。
全山が黒雲母花崗岩からなり、一大岩山の容貌を示す。
地元ではコブ岩の名でもよばれていた。
とくに南部から西部にかけては浸食や風化が激しく、無数の古峰や岩柱が
みられる。
西方山麓からの景観は異様な雰囲気すら漂わせる。
山名の由来は、山稜を三分する「みつなぎ」の転化ではないかとするものもあるが、地形的な特徴から「がき」は崖を意味すると考えるのが自然であろう。「甲斐国志」では金峰山が玉塁(たまがき)と称されたのに対して、小尾・比志の里人が瑞塁とよび習わしていたと記すが、山名の採用にあたって修験者などの介在も予測される。
山頂西陣には弘法岩がそびえ、大師開山の伝説も残る。
また山中の洞窟には今も修験の修行の痕跡が残り、洞の岩と称する所には「カンマンポロン」の梵字が刻字されているともいう。
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