太宰治と甲府 『新樹の言葉』
白倉一由 しらくらかずよし 著
『新樹の言葉』は深い反省とこれから生きるべき決意の表明である。『新樹の言葉』は新生への言葉である、が、相手に対する普遍的受………自己中心的な愛でなく、相手のことのみを考える受かある晦初めて実現できるものであることを示唆している作品である。
『女生徒』は女生徒の一人称告自体の形式を用い読者に語りかけると言う独特の構想によっている。
五月一日の起床から就寝までの一日の生活を描き、若い女性の心理の動揺を詳細に揺写している。
朝は灰色で圧世的で自賛がない。一人で食事をし、畠道を通り駅へ行き電車でお茶の水の学校に行く。学校ではモデルなんかし、放課後は美容院へ行き、帰宅して母と客のためにロココ料理を作る。独り風呂に入り、客を送って戻った母の肩をもみ、夜中洗濯をして床につく。この一日の間に少女が大人になる肉体の成長、微妙な心理を描いている。労働者・先生・電車の中の女性・母・客など相手を細かに観察し鋭く批判し、大人、女の醜さ・醜悪さ・世俗さを感
じ、純粋さ・素直さにあこがれ、理想的なものを求めようとするが、生きていくためにはそれを押し通すこともできなく両者の間に微妙に揺れる自己を発見する。
雑誌などで人々はいろいろのことを説くが、本当の受、本当の自覚が書かれていなくたよりない。又理想のみを求めることができない俗世間への不安、父の死、姉の結婚など人生の楽しさを失いかけている自分、私の好きなロココの芸術は…華監のみで内容空疎の装飾様式…であり、…純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。…と私の考える美の世界など私の心境を示す。
私は外部の世俗的な人々に批判的で不安であるが、生きる明るさはある。明日も又同じ日がくるであろう。幸福は一生来ないのだと解っていながら、きっとくる、明日は来ると信じて生きようとしている。
…幸福は一夜おくれて来る。………幸福は遅れてくるがそれを待ち続ける者である。
私は少女であるが太宰である。現世の人間への疑問を持ち不安であり、理想、純粋さを求めるが人々の思惑を考え卑屈に生きなければならない。平和なやすらぎの中にある不安であるが、とにかく明日は来るであろう幸福を信じ、遅れてくる幸福を待とうとしている。
平静な調和の中に一時の安らぎを求める太宰を伝えている。
待つことに芸術家の大成を決意している大宰をみることができ、前期のロマンチズムから中期のリアリズムヘ移行していく太宰治を読みとることができる。
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