太宰治と甲府(2)
白倉一由 しらくらかずよし 著
『富嶽百景』の中程の…ことさらに、月見草を選んだわけは…以後の文章は甲府の御崎町の家で書いている。
御坂峠において新しい人生の出発をしたいと考えていた太宰が、美知子との生活によって実現できた。
従ってこの作品の後半は富士に対する月見草の存在が特に強調されている。
新しい生活に喜び浸っている太宰の自覚のおのずからなる表出と考えて良い。…富士山、さようなら、お世話になりました。…と言うのは新しい人生の夜明けを得た太宰の心の明るさと人生に対する希望がでてきたのである。
…甲府の富士は、山々のうしろから、三分の一ほど顔を出してゐる。酸漿に似てゐ
た。…喜びのある隠やかな甲府での新婚生活が始まっている。酸漿に富士が見えるのは快適な太宰の人生を最も良く言い表わしている表現である。
甲府市御崎町五六番地の借家に移動したのは昭和一四年一月六日であった。この家は秋山浅次郎の借家で美知子の母がみつけてくれた八畳と三畳の二室の家で家賃は六円五〇銭であった。
一月七日、東京都杉並区清水町二囚番地の井伏宅に行き、八日、井伏鱒二夫妻が媒酌し、山田真一夫妻(美知子の姉夫婦)斉藤文二郎夫人、中畑慶吉(津島家名代)北芳四郎等が同席して石原美知子との結婚式を挙行した。同夜おそく美知子を連れて新宿発の列車で甲府に帰り御崎町の家に落ち着いた。
太宰の第二期の甲府時代の作品はこの家において書かれる。
この家での最初の作品は『黄金風景』であり、大宰は持ちかまえていたように美知子に口述筆記させた。以後前記した『富嶽百景』に続き、『女生徒』『噸懶惰の歌留多』『新樹の言葉』『葉桜と魔笛』『畜犬談』などを書いた。
『黄金風景』は『満願』更に『富嶽百景』に表われた人生への希望が現実的になっていった発想によって生まれてきた作品である。
家を追われ窮迫した自炊生活をしている時、戸籍調べの巡査に声をかけられる。彼の妻は払の実家に奉公していた女中のお慶だと言う。
私は幼ない時彼女をさんざんいじめた、が、三日後私の所に一家で挨拶に来る。私は驚き所用だと言い外出するが、帰りにお慶一家を海辺で見る。あれほどいじめたのに自分を褒めている言葉が聞こえてきた。私はこの言葉を聞き立ったまま泣き…負けた。これは、いいことだ。さうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与へる。…と思った。
いじめられても相手に対して報復するのでなく感謝の気持を持つお産に対して人間の愛の尊さをみい出す。人を憎まず恨まず信頼と愛こそ人間のいくべき道だと太宰は新しい人生観をみいだすのである。
新しい結婚生活の第一作目にふさわしい作品である。
『新樹の言葉』は『黄金風景』の主題の延長の作品である。
新しい生活により新しい人間の生き方に歩み出そうとする作者の心境が表れ、新生の宣言が主題になっている。…新樹の言葉…は再生、新生の言葉であった。
太宰の書く自然は太宰の心情によって左右されることは『富嶽百景』で既に考察したことだが、本作においても変わりはない。
甲府を、「擂鉢(すりばち)の底」と評してゐるが、当ってゐない、甲府はもっとハイカラである。シルクハットを逆さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思へば、間違ひない。きれいに文化の、しみとほってゐるまちである。
甲府賛美である。甲府に好感をもって書いているのは、美知子との新婚生活によって過去のみじめさから脱出し、健康的な明るい家庭を持ったからであった。そのゆとりが甲府、がきれいな文化の染み透った町に見えてくる。勿論甲府は文化の伝統もあるが、よりそれを感じるのは太宰の心境の問題であった。
この作品の主人公青木大蔵は太宰治である。
自分の現在の心境を語ろうとしているが、虚構化して表現している。一見私小説風であるがフィクションの濃い作品である。
大蔵の所へある時幸吉が訪問する。彼はかつて大蔵の乳母をしていた「つる」の子供であった。大蔵は一目でいい青年だと思い大歓喜と言えるほど喜ぶ。太宰は幼年時代を『思い出』に書いているが、彼の教育は女中のタケによってなされていた。……だけといふ女中から本を読むことを教へられた。二人様々の本を読み合った。たけは私の教育に夢中であった。……タケは青森県北津軽郡金木村大字金木宇朝日山三七六番地に生まれ、一四歳の時太宰治の子守として津島家に住みこんだ。乳母が一年で去ったので、叔母のきゑが面倒をみてタケが子守をした。
太宰は『思ひ出』に叔母のことを八紘は叔母に貰われたのだと思ってゐたと書いているが、太宰のことは叔母のきゑが母代りをしていた。彼女は母親たねの妹で、五所川原に分家するが、この時一・二年後ではあるがタケも五所川原へ行っている。この二人は幼時を回想する時忘れ得ぬ人だった。つるは二人の人物によって創造された人物であると思う。
現在甲府で家庭をもって一人前になるにつけて思い出すのは実家のことであり、またその家での幼なき日々のことであったと思われる。現在の生活の充実は迷惑をかけてきた一族への思いがつのり、家との断絶など過去の自分の反省、故郷への愧槐が生まれてきたと思う。両親でなく使用人に向けられていることは義絶の身であることを意識しているのかも知れない………。
当時の大蔵は…東京での、いろいろの恐怖を避けて、甲府へこっそりやって来て、誰にも住所を知らせず、やや、落ちついて少しづつ貧しい仕事をすすめて…いる作者であり、…過去の悲惨…さを持っている人間である。従って郵便服に…幸吉さんの兄さんです。…と言われると自分の過去を抉(えぐ)り出されるような感じになり、…不愉快、災難、逆転、難題、と思い白葡萄酒をがぶ飲みしたくなる。この大蔵は太宰の心境であると思う。
大蔵は幸吉と会うなり好感を持ったが、回想話をすると一層その感じを強くする。…こんなに陰で私を待っていた人もあったのだ。生きていてよかったと思った。…大蔵のこの思ひは精神病院入院、妻との自殺を経験した太宰ではなかったか……過去の悲惨の体験を経た人は人の愛を強く感ずるものである。大蔵は幸吉にどこへ勤めているかを聞くと…「そこのデパートです」眼をあげると、大丸の五階建の窓々がきらきら華やかに灯っている。…
……当時、甲府の唯一のデパート松林軒を大丸にしている。町名は桜町・柳町と実名を使用している。小説全体実と虚との融合により成立している。
デパートに沿って右に曲折すると、柳町である。ここは、ひっそりしている。けれども両側の家々は、すべて黒ずんだ老舗である。甲府では最も品格の高い街であろう。柳町に限ったことではないが、主人公の心境によって街の捕え方
も変ってくる。明るい太宰の心情は自然と街を良い街にする。太宰の新生の感情は街の品格さえも変えていくのである。
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