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太宰治と甲府(1) 白倉一由 しらくらかずよし 著  

2023年09月06日 09時03分50秒 | 山梨 文学さんぽ

太宰治と甲府(1)

 

白倉一由 しらくらかずよし 著

 

太宰治の文学の展開は三期に分けられる。

第二期は昭和一三年から二〇年までの七年間で、第二期の傑作の数々は甲府で書かれており、又甲府を舞台にしたものが多くある。

従って第二期は山梨から始まると言っても良いと思う。

 太宰治と甲府との関係を作ったのは井伏鱒二であった。

大宰は井伏の招きにより、昭和一三年九月十三日鎌錬滝方を引き払い『姥捨』

の原稿料で質屋に入っていた夏服一揃いを請出して着かざり、思いを新たにする覚悟で山梨県南都留郡河口湖村の御坂峠の天下茶屋に来た。

以後ここの二階に滞在して『火の鳥』の執筆を行なっていた。

 七月上旬頃から甲府市竪町九三番他の斉勝文二郎夫人の紹介で、井伏鱒二を通して結婚話があり、九月一八日、井伏の付添、斉藤夫人の案内で見合のため甲府市水門町二九番地の石原初太郎家を訪問した。

相手の石原美知子は四女で明治四五年生れで、東京女子高等師範学校を卒業し、当時山梨県立都留高等女学校に在職していた。

は順調に進みI〇月二四日、井伏鱒二に二度と破婚しないと言う誓約書を送付するなどして、一一月六日、石原案において井伏鱒二、斉勝文二郎夫妻の立会いで婚約式「酒入れ」が行なわれた。

 一一月一六日、御坂峠の天下茶屋を出、石原案の北西斉勝案よりの甲府市竪町八六番地の寿館に下宿する。

寿館は渡辺ふじが経営していた素人下宿で、美知子の母が探して交渉してくれたもので、二食付二二円で二階の南向き六畳の部屋であった。石原泉は一家総がかりで彼のために座布団寝具一式を運び更に丹前や羽織を仕立てたり襟巻を編んだりした。

大宰は殆んど毎日寿館から石原泉に来て手料理を看にお銚子を三本あげ、ごきげんに抱負を語り郷里の人々のことを話していた。いつも銚子三本、が適量だと言って引きあげていたが帰りに諸所を飲み歩いたらしい。

『火の鳥』は引き続いて執筆したがはかどらずやっと百枚を越える程であった。

山梨に関しての第一作目の傑作『富嶽百景』がこの時に書かれる。

 『富嶽百景』は富士の百景であると共に大宰の心の心象百景であった。主観と客観とは融合し一体となっており、富士は対応する者の心によって姿を変え、対応する者は富士によって変えられていく。富士は相対的の存在でありながら没我的境地になっていき、心の百景になっていくのである。

 

太宰が御坂峠の天下茶屋に来たのは井伏鱒二の勧めであったが、彼自身自己の生活の再生を願ってのことであった。

<東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい>のは彼の東京の生活はじめ位いて、あんな思ひは、二度と繰りかへしたくない>生活の為であり、<富士は、やっぱり偉い、と思った。よくやってる、と思った>のは新しい生活を始めようとする大宰と同様であり、富士の偉さは再生の意識に燃える太宰の今迄の<苦悩>に匹敵すると思うのである。青年達に招かれて行った吉田の町で<富士が、よかった。日光を受けて、青く透きとほるやう>な富士の印象は<維新の志士。鞍馬天狗>の心境の自己だった。甲府の石原家に行った時の「あの富士は、ありがたかった。」のは美知子を一目みてこの人と結婚したいと思ったからであった。

 あまり整い過ぎている富士は「風呂屋のペンキ書だ」と思い恥ずかしくなるが、茶屋の娘に「お客さん、起きて見よ、」と言われ雪の降った富士を見て「御坂の富士も、ばかにできないぞ」と思ったのはこの娘の存在と大きくかかわってくる。天下茶屋滞在中この案の一五になる娘をかなり意識的に書いているのは大宰の再出発に強く関係している。

 

  私は、ありがたい事だと思った。大袈裟な言いかたをすれば、

  これは人間の生き抜く努力に対しての、純粋な声援である。

なんの報酬も考へていない。私は、娘さんを、美しいと思った。

 

 この娘の献身的な奉仕があるから、娘の一声で美しい富士に見えてくる。

 ある時天下茶屋に吉田の遊女の一団がやって来る。この一団の描写は巧みであり、この遊女を通してかつての己の生活、初代を思い起す。大宰は初代との生活を清算してここに来ているが、この遊女は初代の変身でもあり、彼の離脱したものが下界からやって来たので彼にとって「暗く、わびしく、見ちや居られない風景であった。」

彼にとって「HUMAN LOST」の素材となった精神病院の入院と『姥捨』の初代との顛未はみじめなものであった。それからの離脱、再生であったので「苦しむものは苦しめ。落ちるものは落ちよ。私に関係したことではない。」と強く拒否する。しかしそのような姿勢を堅持することはかなり苦しい心境であった。

  富士にたのもう。

 この言葉に当時の大宰の心情が良く表現されている。過去の経験と彼の純粋・素直な性格が社会の下層に生きる人々への共感を呼ぶが、現在の大宰にはこのようにしか考えられなく富士を信頼しそれにすがろうとする。自己の苦悩を救う絶対者の存在に富士が見えてくるのである。

「富士はまるで、どてら姿に、ふところ手して傲然とかまへてゐる大親分のやうにさえ見え」てくる。雄大なたじろがない富士はたのもしく思えたのもうとするが、しだいに自己を変えていく。強い自己に成長させていくが、この相手への信頼感は神に近い存在にまでだっていったものと思う。太宰が傍を通っても振り向きもせず草花を摘んでいる遊女について「この女のひとのことも、ついでに頼みます」と言うのは切実な大宰の実感で今までの理想主義を捨て現実的に生きなければならないことを強く思っている。

「おれの知ったことぢゃない、とわざと大股に歩いてみた。」のは新しく強く生きようとする信念の表現である。遊女への感懐は美知子との結婚話と同時的に書いており、大宰の過去と未来であって人生の峠を越えようとする大宰の現在の心境であった。

 

新しい自己の生活のために富士に祈るが、日増しに新しい自己は確立されていく。御坂峠の天下茶屋での生活は彼の人生観を一変していき、弱い自己から強い現実主義的な人間になっていく。絶対的の存在の富士に相対すらことのできる自己にまでなっていくのである。

  三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず。

  なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、

けなげにすっくと立ってゐたあの月見草は、よかった。

富士には月見草がよく似合ふ。

 

富士によく似合う月見草の確認は自己のはっきりした場、生き方が確立した人間の心の中からの喜びの表現ではないかと思う。苦悩と孤独な生活は堅実で聡明な美知子の出現によって終りをつげ新しい生活が始まる。


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