山本健吉編著 『句歌歳時記 秋』
ひとつ家に遊女も寝たり萩と月 松尾芭蕉
『奥の細道』のとき、越後の市振の関での句。
たまたま伊勢参宮におもむく遊女と同宿したのであって、「ヒトツヤ」と読んでは野中の一軒家みたいだから、「ヒトツイエ」と読むべきだという学者の説があるが、それでは句のリズムをぶちこわしである。「ヒトツヤ」でも同宿の意味がある。西行の「江口」の伝説を、芭蕉は思い浮べている。「曽良にかたれば書きとどめ侍る」とあるのに、その『書留』にはないので、芭蕉が紀行文中に作り出した虚構と推定される。
灑(そそ)ぐあまつひかりに目の見えぬ
黒き蛼(いとど)を迫ひつめにけり
斎藤茂吉
「あらたま」冒頭、黒き蛼での第一首。いとどは「おかまこおろぎ」という種類で、翅(はね)がなく、鳴かないが、ここで作者は普の鳴く蟋蟀(こおろぎ)として詠んでいる。「目の見えぬ」というのは作者の主観であろう。白日のもとのいとどを強調し、いとどを追いつめる他愛もない行為に、一途な心の集中を示している。師佐千夫の死以来、作者には何か高ぶる衝迫がつづき、「蛍をつぶす」とうたったあと、この歌を経て、きいろい茸を踏みにじり、黒い河豚の子を握りつぶすなどの歌が続く。
胡瓜もみ蛙(かはづ)の匂ひしてあはれ 川端茅舎
山本健吉編著 『句歌歳時記 秋』
『定本川端茅舎句集』より。
感覚的な句であるが、何か蛙を捕えた悪童時代のたわむれを、心に呼び起しているようで、「あはれ」が利いている。
鳴く声も高き梢の蝉の羽のうすき日影に秋ぞ近づく 伏見院
『風雅集』巻四、夏より上三句は序歌で、「うすき日影」を導き出すが、実景のイメージを持っている。
「高き」は「声」と「梢」とにかかる。
秋萩の咲き散る野辺の夕露に濡れつつ来ませ夜は更けぬとも 作者不詳
『万葉集』巻十、秋相聞。繊細な美感にあふれた女の恋歌である。
こういう歌は、『新古今集』の撰者たちの美意識にかなったと見え、人麻呂作として同集にも撰ばれている。
上の句は、秋の野の美しさを言うことで、恋人のイメージを美化する気持が働いている。
秋立つやはじかみ漬も澄み切って
小西来山
『今宮草』より。「はじかみ漬」は、生姜の漬物。酢漬・糠漬・味噌漬などにする。秋立つ朝の食膳、はじかみ漬も、思いなしか澄み切った色艶をしているという意。
感覚的な、一つの発見がある。立秋になって、急に秋らしさを見出だそうとする伝統は、『古今集』以来のことである。
和田津美の磯の広らに三人居り八隅暮れゆく雲を見るかも
伊藤左千夫
明治四十年「磯の月草」より。左千夫は九十九里浜の雄大な景色が好きで、たびたび出掛けて歌を詠んでいる。これは「粒立つ天外の雲を眺めて」作った、最も高揚した傑作中の一首。
二人の幼児をつれて、人影も物影もない広い磯の真中に立って、夕焼雲を見る。「八隅暮れゆく」というのが、左千夫らしい雄渾な表現である。
ひとすじの秋風なりし蚊遣香
渡辺水巴(すいは)
『白日』より。蚊遣のけむりのかすかな揺れに、秋の初風を感じ取った。
「なりし」と過去形にしたところ、風が過ぎた一瞬のちの幽かな感情の揺れを捉えている。
ほのかなものに見とめた、秋の訪れ。
ありあけのつれなく見えし別れより
あかつきばかり憂きものばかし 壬生忠岑
『古今集』巻十三、恋歌。集中第一の作と、定家・家隆が後鳥羽院に答えた歌。
ある女に贈った歌で、有明の月を無情と見た別れの時から「あかつき」はいつもきまって、もの憂い気持になるというのだ。新古今時代に好まれそうな幽艶な歌。「あかつき」は焼・五更・鶏明とも書き、明けようとしてまだ暗い暁闇の時分。しばらくし三位のほのぼの明けが「あけぼの」、曙・公明・未明とも書き、「朝朗(あさぼらけ)」ともいう。妻問婚の時代、鶏が鳴いたら、男は女のもとを去らなければならなかった。後朝の別れである。
初秋今節所の打見ゆる宵のほど 与謝蕪村
『蕪翁句集』より。代になって涼しくなると、家々は戸を早く閉めるようになるが、宵のほどしばらくは、余所の灯火も見えているのである。「余所の灯」を詠んで、初秋の宵の涼しさをにじみ出させたのが、蕪村の詩心。
戸を閉(さ)さで灯影(ほかげ)のとどく草むらに
こうろぎ鳴きけりこの二夜三夜
島木赤彦
『柿感染』より。死の前年の昨で、「柿蔭山房即時」の一首。この二夜三夜、こおろぎが鳴きはじめたというのであって、秋の到来をしみじみと感じ取っているのである。「灯影のとどく草むら」という句は、苦吟の写生なのであろう。寂寥の気が迫る。
紫陽花(あじさい)に秋冷いたる信濃かな 杉田久女
初秋の山国で、急に冷気が感じられるようになったのだ。花季間の長い紫陽花が、枝についたまま腐り落ちようとしている「秋冷いたる」の音調がさわやがて、格調の高い句である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます