歴史文学さんぽ よんぽ

歴史文学 社会の動き 邪馬台国卑弥呼
文学作者 各種作家 戦国武将

山本健吉編著 『句歌歳時記 秋』 ひとつ家に遊女も寝たり萩と月 松尾芭蕉

2023年09月06日 05時13分30秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

山本健吉編著 『句歌歳時記 秋』

 

ひとつ家に遊女も寝たり萩と月 松尾芭蕉

『奥の細道』のとき、越後の市振の関での句。

たまたま伊勢参宮におもむく遊女と同宿したのであって、「ヒトツヤ」と読んでは野中の一軒家みたいだから、「ヒトツイエ」と読むべきだという学者の説があるが、それでは句のリズムをぶちこわしである。「ヒトツヤ」でも同宿の意味がある。西行の「江口」の伝説を、芭蕉は思い浮べている。「曽良にかたれば書きとどめ侍る」とあるのに、その『書留』にはないので、芭蕉が紀行文中に作り出した虚構と推定される。

 

灑(そそ)ぐあまつひかりに目の見えぬ

黒き蛼(いとど)を迫ひつめにけり

 

斎藤茂吉

 

「あらたま」冒頭、黒き蛼での第一首。いとどは「おかまこおろぎ」という種類で、翅(はね)がなく、鳴かないが、ここで作者は普の鳴く蟋蟀(こおろぎ)として詠んでいる。「目の見えぬ」というのは作者の主観であろう。白日のもとのいとどを強調し、いとどを追いつめる他愛もない行為に、一途な心の集中を示している。師佐千夫の死以来、作者には何か高ぶる衝迫がつづき、「蛍をつぶす」とうたったあと、この歌を経て、きいろい茸を踏みにじり、黒い河豚の子を握りつぶすなどの歌が続く。

 

 

 

胡瓜もみ蛙(かはづ)の匂ひしてあはれ 川端茅舎

 

山本健吉編著 『句歌歳時記 秋』

 『定本川端茅舎句集』より。

感覚的な句であるが、何か蛙を捕えた悪童時代のたわむれを、心に呼び起しているようで、「あはれ」が利いている。

 

鳴く声も高き梢の蝉の羽のうすき日影に秋ぞ近づく 伏見院

『風雅集』巻四、夏より上三句は序歌で、「うすき日影」を導き出すが、実景のイメージを持っている。

「高き」は「声」と「梢」とにかかる。

 

秋萩の咲き散る野辺の夕露に濡れつつ来ませ夜は更けぬとも 作者不詳

『万葉集』巻十、秋相聞。繊細な美感にあふれた女の恋歌である。

こういう歌は、『新古今集』の撰者たちの美意識にかなったと見え、人麻呂作として同集にも撰ばれている。

上の句は、秋の野の美しさを言うことで、恋人のイメージを美化する気持が働いている。

 

秋立つやはじかみ漬も澄み切って 

小西来山

 『今宮草』より。「はじかみ漬」は、生姜の漬物。酢漬・糠漬・味噌漬などにする。秋立つ朝の食膳、はじかみ漬も、思いなしか澄み切った色艶をしているという意。

感覚的な、一つの発見がある。立秋になって、急に秋らしさを見出だそうとする伝統は、『古今集』以来のことである。

和田津美の磯の広らに三人居り八隅暮れゆく雲を見るかも 

伊藤左千夫

 

 明治四十年「磯の月草」より。左千夫は九十九里浜の雄大な景色が好きで、たびたび出掛けて歌を詠んでいる。これは「粒立つ天外の雲を眺めて」作った、最も高揚した傑作中の一首。

二人の幼児をつれて、人影も物影もない広い磯の真中に立って、夕焼雲を見る。「八隅暮れゆく」というのが、左千夫らしい雄渾な表現である。

 

ひとすじの秋風なりし蚊遣香 

渡辺水巴(すいは)

 

『白日』より。蚊遣のけむりのかすかな揺れに、秋の初風を感じ取った。

「なりし」と過去形にしたところ、風が過ぎた一瞬のちの幽かな感情の揺れを捉えている。

ほのかなものに見とめた、秋の訪れ。

 

ありあけのつれなく見えし別れより

あかつきばかり憂きものばかし 壬生忠岑

 『古今集』巻十三、恋歌。集中第一の作と、定家・家隆が後鳥羽院に答えた歌。

ある女に贈った歌で、有明の月を無情と見た別れの時から「あかつき」はいつもきまって、もの憂い気持になるというのだ。新古今時代に好まれそうな幽艶な歌。「あかつき」は焼・五更・鶏明とも書き、明けようとしてまだ暗い暁闇の時分。しばらくし三位のほのぼの明けが「あけぼの」、曙・公明・未明とも書き、「朝朗(あさぼらけ)」ともいう。妻問婚の時代、鶏が鳴いたら、男は女のもとを去らなければならなかった。後朝の別れである。

初秋今節所の打見ゆる宵のほど 与謝蕪村

 

『蕪翁句集』より。代になって涼しくなると、家々は戸を早く閉めるようになるが、宵のほどしばらくは、余所の灯火も見えているのである。「余所の灯」を詠んで、初秋の宵の涼しさをにじみ出させたのが、蕪村の詩心。

 

戸を閉(さ)さで灯影(ほかげ)のとどく草むらに

こうろぎ鳴きけりこの二夜三夜 

島木赤彦

 

 『柿感染』より。死の前年の昨で、「柿蔭山房即時」の一首。この二夜三夜、こおろぎが鳴きはじめたというのであって、秋の到来をしみじみと感じ取っているのである。「灯影のとどく草むら」という句は、苦吟の写生なのであろう。寂寥の気が迫る。

 

紫陽花(あじさい)に秋冷いたる信濃かな 杉田久女

 

初秋の山国で、急に冷気が感じられるようになったのだ。花季間の長い紫陽花が、枝についたまま腐り落ちようとしている「秋冷いたる」の音調がさわやがて、格調の高い句である。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿