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玄 峰 集 春之部 精選版 日本国語大辞典 朝日日本歴史人物事典 「服部嵐雪」の解説

2024年06月27日 08時50分24秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

玄 峰 集 春之部

精選版 日本国語大辞典

朝日日本歴史人物事典 「服部嵐雪」の解説

没年:宝永4.10.13(1707.11.6)

生年:承応3(1654)

江戸前期の俳人。幼名久米之助,長じて孫之丞,次いで彦兵衛と改める。治助は名乗り。

別号,嵐亭治助,雪中庵,不白軒,寒蓼堂,玄峰堂,吏登斎など。松尾芭蕉門。

江戸湯島に生まれ,元服後約30年間,転々と主を替えながら武家奉公を続けた。

芭蕉への入門は延宝3(1675)年ごろ。元禄1(1688)年1月,仕官をやめ,宗匠として立ち,榎本其角と共に江戸蕉門の重鎮となった。

芭蕉は,同5年3月其角と嵐雪を「両の手に桃と桜や草の餅」と称えているが嵐雪は師の説く「かるみ」の風体に共鳴せず,晩年の芭蕉とはほとんど一座していない。

しかし,師の訃報に接し西上して義仲寺の墓前にひざまずき,一周忌には『芭蕉一周忌』を編んで追悼の意を表すなど,師に対する敬慕の念は厚かった。青壮年期に放蕩生活を送り,最初は湯女を,のちには遊女を妻としたが,晩年は,俳諧に対して不即不離の態度を保ちつつ,もっぱら禅を修めたことからもわかるように,内省的な人柄であり,それが句にも表れ,質実な作品が多い。

「出替りや幼ごころに物あはれ」(『猿蓑』)

「蒲団着て寝たる姿や東山」(『枕屏風』)

などがよく知られる。なお,嵐雪の門からは優れた俳人が輩出し,なかでも大島蓼太の時代になって嵐雪系(雪門)の勢力は著しく増大した。<参考文献>堀切実『芭蕉の門人』(加藤定彦)

 

芭蕉没後も其角と江戸蕉門の勢力を2分し,その一派を雪門という。

編著『其袋 (そのふくろ) 』 (1690) ,『或時 (あるとき) 集』 (1694) ,

『若菜集』 (1695) ,『杜撰集』 (1701) など。

 

嵐雪……秋の部    菊花 九唱 嵐雪

 

素堂亭にて人々十日のきく見られけるに

かくれ家やよめ菜の中に交ル菊              嵐雪

九月十日菊のかへりとて、集のふくろからげて、立よられけるに

秋のくれ井手の蛙のからをみん              舟竹

といひて、土産ねだられけるに、人丸の柿の實

山ノ邊の栗のから今日の得ものゝあまりなりと笑ひ興じて

朝のからよしのゝ山の木の實見よ        嵐雪

 

素堂……九月、『餞別五百韻』立吟編。発句一入集。

 

すみ所を宮古にと聞えければ、我あらましも嵯峨のあたりに侍れど、

かの池に蓮のなき事をうらみ申す

いづれゆかん蓮の實持て廣澤へ              素堂

 

玄 峰 集 春之部

 

其角と嵐雪とは庵中の桃桜なりと蕉翁の称し申されしは、天下の桃李ことごとく公が門に在りといひけむ心ばへなるべし。かゝれば此ふたりは一隻の名家にして、世人も人丸赤人のやうにおぼえたれど、その中にも聊かの勝劣はなきにしもあらざるべし。そも/\嵐雪は、風雅に禅味をかねて無門の關もさはる事なく世理の外に遊び、千里蜀歩の気性あり、晋子(其角)は志學の年より功をつみて、はたちばかりの頃は既に次韵の作者に許されたり。

かく?諬の心あつき上に、酔郷に入りてはいよ/\奇語人を驚かす。おのづから松の尾の神の助あるにや、こやとも人をいふべきにとよみしやうに、人の思ひ及ぶまじき妙處に至る。

されば嵐雪が下にたゝむ事かたくなむあるべき。翁も俳諧の定家卿なりと賞誉し、さわやかなる事は此人に及ばすと向井去来もぬかづきぬ。すべて潤達の中にほそみありて、句々みな自在をつくせり。誰の人か世に敵するものあらむや。此ごろ句集を板に刻むに、懐にひきいるばかりに殊にちひさくしたてゝ、學者に使あらせむとす。牛をたづねて跡を求め、魚をうらやみて網をむすぶ輩、この書をはしだてとしてただちに百尺竿頭に歩をすゝむべしと也。

     髄斎成美 序

改 正

四海波魚のきゝ耳あけの春

元日ややう/\動くいかのほり

元日やはれて雀のものがたり

年すでに明けて達磨の尻目哉

面々の蜂をはらふや花の春

三つの朝三タ暮を見はやさむ

今朝春の奥孫もあり彦もあり榾を富

若水に智慧の鏡を磨うよや

五十にて四谷を見たり花の春

あら玉の馬も泥障(あわり)をおしむには

初空や烏をのする牛の鞍

楪(ゆづりは)標の但阿佃祭りや青かづち

惟茂と起しに来たる二日かな

      此句は睦月二日にあさいせしを

人の来て起せしにかく申されしとかや

       寶ぶね詞書有 爰に略

須磨明石見ぬ寝ごころや寶舟

夢明けて浪のりふねや泊瀬寺

      む月はじめのめをといさかひを人々に笑はれ侍りて

よろこぶを見よやはつねの玉はゝき

      若菜七つがいを判する詞略

七草を三べんうつた手首かな

ぬれ縁や蕎こぽるI土ながら

霜は苦に雪に渠する若菜かな

      憶翁之客中

据折て菜をつみしらむ草枕

とゝ(夫)ははやすめは聲若しなつみ歌

      春 朝

蔀(しとみ)あげてくゝだち買はむ朝まだき

風渡つて石にすがれる薺(なずな)かな

      題しらす 

ほつ/\と喰摘(くひづみ)むあらす夫婦かな

鶯にほうと息する山路かな

うぐひすや書院の雨戸はしる音

鶯をなぶらせはせじ村すずめ

鶯の宿とこそ見れ小摺り鉢

      梅

梅一輪一りん程のあたゝかさ

      此句ある集に冬の部に入りたり又おもしろきか

輪に結ぶ盲をぬけたる月夜かな

      臥龍梅

白雲の龍をつゝむや梅の花

      荏柄天一奉納 

こぼれ晦かたじけなさの涙哉

      北といふ二字題

手のゆかぬ背中を海の木ぶり哉

梅ちるや歯のない馬に恥しき

      桐雨のぬし京うち参りとて出ぬ行くか仁の覚束なく

知る人はそこ/\に道のほどはかう/\と言ひふくめて

      出したてつ仰の花の雪消え五月雨のくもらぬほどに

帰り来べきなれどいと名残をしくて

梅にさむる朝け忘るな辛きもの

  翁の春もやゝけしきとゝのふと申残されし句意を味へ侍りて

この梅を遥に月のにほひかな

梅干じゃ見知って居るか梅の花

      椿

鋸のからき目見しを花つばき

      柳

目前に杖つく鷺や櫛かけ

      中納言藤房

      於馬場殿龍馬に肘て直諌を奉られしが

其言行未如鏡

亂るべき風の柳をさすの神子(みこ)

春の水に秋の木の葉を柳鮠(やなぎばえ)

      題しらす

正月も廿日に成七難煮かな 

一鹽の聲さぞあらむ南部雉(きじ)

せはしなき身は痩せにけり作り獨活

蕗のとうほうけて人の詠かな

狗背(ぜんまい)の塵にえらるゝわらび哉

きさらぎや火燵のふちを枕もと

春風の石を引切るわかれかな

      此句は門人なにがしが旅立けるに

蝸石をおくるとてかく申されしとなり女にかはりて

なれも戀猫に伽羅焼てうかれけり

      燕

簾に人て美人に馴るゝ燕かな

柳には吹かでおのれ嵐のタ燕

      帰 雁

巡礼に打ちまじり行く帰雁かな

      箱根にて

かへる雁關とび越ゆる勢なり

      紙 鳶

糸つくる人と遊ぶや風巾(いかのぼり)

      惜暫別

虚空(おほぞら)引きとどめばやいかのぼり

      蚊足が鄰かへたるに申しつかはしける

此夕ベ軒端へだちぬいかのぼり

  行脚惟然へ申しおくり侍る

木の枝にしばしかゝるや風巾(いかのぼり)

  蛙 合

よしなしやさでの芥とゆく蛙

  上野より帰り侍るとて

酒くさき人にからまる胡蝶かな

      朧 月

中川やほうり込んでも朧月

      我等今日聞佛音教歓喜踊躍と読誦し奉りて

嬉しいか念佛をどりの柄木夕ふり

      出かはり

出かはりや幼心にものあはれ

出かはりや其門(かど)に誰辰の市

      接

見たい物花もみぢより接穂(つぎほ)かな

      苗 代

なはしろに老の力や尻だすき

      青精飯

    桐柳民濃(こまやか)に菜飯(なはん)かな

  上 巳

隣々雛見廻るゝ小家かな

うまず女の雛かしづくぞ哀なる

鶯の来て染めつらむ草の餅

  汐干に

水莖の馬刀(まて)かき寄せむ筆の鞘

しほひくれて蟹が据引くなごり哉

      桃

おの/\の挑の席や等持院

桃の日や蟹は美人に笑はるゝ

      花

あらおそや爪あがりなる花の山

白鳥の酒を吐くらむ花のやま

花に風かろくきてふけ酒の泡

      桜川はほそくながれて青柳の

一かまへうちかすめり

膝木よる長女(をりめ)いやしや糸桜

殿は狩りつ妾餅うるさくら茶屋

手習の師を車座や花の兒

兼好の筵おりけり花ざかり

      逍遥鵬喘之間出入是非之境

花の夢此身をるすに置きけるか

花はよも毛虫にならし家桜

はなを出て松へしみ込む霞かな

新発意が花折るあとや山嵐

      頼光山人之讃

なまくさき風おとすなり山桜

  小町讃

    我が戀よ目も鼻もなき花の色

      原の宿を通るに勅使の帰京ましますとて

海辺も塵をはらひ山も殊更に恥しけに

けふを晴とつくろひたてり砌のすだれ

はね上げけられたるにゑぼうしの用意なんどき

      だら/\と見ゆ恐らくはいまだ聞かず

      富士に雲ゐの客人を見る人は什合なる旅に參り合ひたり

富士を見ぬ歌人もあらむ花の山

雪雲と仇名も言はじ花ざかり

筆とるは硯やほしき兒ざくら

花片々鼓にあたる舌の先

月花の其ひとふしや火吹竹

女中方尼前は(あまぜ)花の先達か

      大和廻りの東淵めぐれ/\風車東風ふかば西へ行き

西吹かば戻れ前後興す

箱根は手形あり大井は川越あり左右廣し

空吹く凰の何が吹くやら

逢坂は關の跡なりばなの雲

大井川船有るごとし花の旅

      躑 躅

白つゝじまねくやうなり角櫓(すみやぐら)

      藤 詞書あり略す

ふぢ浪に鶚(みさご)は得たりいらこ崎

      小奴吉齊に花を見せて

小坊主よ足なげかけむ松に藤

      立志追善

山吹のうつりて黄なる泉哉

       ばせを翁は普化の師晉は臨臍の怨子三十年来は

面にから竿をならして他のつらを出せるなし末期に及て

半句を吐かず

さらに遺跡を止めざるは若夫それもしらす

       大悲院へ齊喰(とこくひ)に行く歟

       中陰廻向

晋化去りぬ匂ひ残りて花の雲

       亡 跡

菜の花や坊が灰まく果てはみな

       三七日

鶯や弓にとまりて法の聲

       墓 參

山吹の實を穴掘の鍬ひとつ

飯焚の輔は筆師よ釈尊(をぎまつり)

雷や油のまじる春の雨

雷の姑なれや花の父母

羽子板や只にめでたき裏表

名月を家陸にゆるす朧かな

草餅にあられを炒るやほろ/\と

       男もすなる俳諧は女もすなり童もすなり誰もすなり

       鋤立もすなり我もすなりとて

それの日も硯とりけむ土佐の海

       武蔵野八百里といひし頃を思ひ合せて

武蔵野の幅にはせばき霞哉

名取川笠は持ちたりさくら魚

草庵と捨てしも秋や花の庵

 


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