「ねぇ、真理子・・・あの男性(ひと)知ってる人?」
突然千秋が声をひそめて妙な事を言いだした
「えっ? どの男性?」
「あそこの席の男性・・・一人で座ってるでしょう?」
言われた先を見たが、私には全く身に覚えのない男性だった
「何よ、あの人がどうしたの?私は知らない人よ」
「だって・・・さっきから何度も私たちのことを見ているんですもの
だいたいこの時間に、この店に来るのって女性が多いのよ
男性が一人で来ること事態が珍しいわ
しかも、こちらばかりをチラチラ見て・・・なんだか気持が悪くって・・・」
「千秋・・・あなたって人は、ダンナがいて しかも今は、妊婦なのに・・・
あの男が、声をかけてくるとでも思っているの?」
私は笑いながらもう一度さりげなくそちらを見たが、やはり知らない男だった。
私はわざと大袈裟に「きっと私たちの綺麗オーラに見とれていたんでしょう?
あんなの気にしなくていいわよ」と、笑ってやり過ごした。
その後もたびたび千秋はそちらを気にしていたようだったが、もともと男の視線など
気にならない私は、千秋の態度が可笑しくてならなかった
「やぁねぇ・・・そんなんじゃないわよ、ただじっと私たちの会話を聞いているふうだったから
杉山くんの話・・・そんなに興味があったのかしら?」
「ね、もしも亮介の話をあの男性が聞いていたとして、だからなんだって言うの?
気にしないでよくってよ、よその人にとやかく言われるような事ではないわ」
私は、もしかしたら亮介のモデル時代のことを知っている人なのかもしれないと思ったが
だからと言ってそんなこと今となっては、どうでもいいことだった
その男性は中肉中背、メガネの奥の目は鋭い気がしたがサラリーマン風の風情
年の頃は千秋のダンナくらいだろうか・・・?もう少し上かもしれない
年齢の割には、中年太りという感じはなく
身体はしっかり鍛えあげているというのがちらりと見えた腕から想像できた。
亮介の命日は次の週末だった
千秋は今年、弟さんの結婚式があるので行けないということだった
弟の拓哉くんは盆休みを使ってごく内輪だけの結婚式を海外で行うらしく
出発前に無理をすれば、お参りを済ませてからでも行けるのだが
さすがに身重なため断念したのだった
「拓哉ったら、私が安定期になるのを待ったら8月になっちまった なんて言うのよぉ
そんなの仕方ないじゃない ねぇ? 暑いのはあなたのせいじゃないわよ!ねぇ?」
そんなことブツブツいいながらお腹をさする千秋が可愛くて可笑しかったが
「拓哉くん・・・本心はそんな風に思ってないわよ なんだかんだ言っても中の良い姉弟じゃない
大事にしなさいよ、私なんて頼りたくても海外に住んでいるんだから
話もゆっくり出来やしないわ」
そういうと、千秋は神妙な顔で「ごめん・・・ほんとに、ごめんね」
と、今にも泣き出しそうな顔になった。