店には新しいお客さまが何組かいらして、兄が言った通りいつもより忙しく
二番目のお客さまが来てからは、啓太と特別な会話もなく過ぎた
帰り際啓太が、お勘定と共にくれたメモにはその日泊まる宿の名前と電話番号が記してあった
10時を過ぎた頃 「絵里子お疲れさん もう落ち着いたし、後はたいして来はらへん あがりや
今夜は片づけもええし、これからデートやろ?」
兄は、素知らぬ顔でそう言うと 「お父ちゃんやらお母ちゃんには適当に言うといてやるから
ほら、はよう行ってこい」 と、追い立てるように手をひらひらさせて笑っていた
“デートって・・・そんなんとちゃうわ” とは言ったものの、心は正直華やいでいた
啓太とは、たまに電話で話すことはあっても長い間会うことはなかった。
きちんと向き合うのは何年ぶりのことだろう?
こっそり二階へ上がり急いで着替えて化粧を簡単に直すと、慌てて外へ飛び出した
8月の終わり、まだまだ残暑が厳しく身体を包む夜風はむっとしていた
メモにあったホテルに着くとフロントから啓太を呼び出してもらった
程なく下りてきた啓太はいつもの優しい顔でくしゃくしゃと私の頭をなでると
「エリー本当に久しぶりだね、相変わらず僕の知ってるエリーのままだ変わらないし、しゃんとしてる」
「そんなん、久しぶりに言われたわ なんか・・・お尻がこそばいな、啓太も相変わらず・・・うううん
啓太は、なんかすごく大人な感じで凛々しくなったよ、うん かっこええわ」
そう言って二人で褒め合い“この会話、誰か聞いてはったら笑われるで、完全にアホなカップルやな~”
と、二人して吹きだした
長い間会わなくても、こんな風にいつも会っていたような自然な会話が出来るのは啓太だからだろう
啓太は私と話すときは、完全に関西弁に釣られて自分も時々関西弁で話す
関西弁と言っても、京都・大阪・神戸では微妙に違う何かがある
啓太の関西弁は母親譲りなので、神戸の言葉
京都の人とは微妙に違うのだが、これも関西の人しかわからない程度の違いだ
ホテルのラウンジは満席だったので、外へ出て河原町通りを話しながら歩いた
若い子が沢山行き交う 木屋町と河原町との間には東西に通っている小さな道が沢山ある
その両側には店が立ち並び賑わっている
木屋町と先斗町の間には同じく東西に路地が沢山あるのだが、ここは昔ながらのBARや、
お茶屋さんと呼ばれるいちげんさんでは入れない店が多い
兄の店を手伝うようになってから時々兄に連れられて、その中の何軒か連れて来てもらっていた私は
こっそり一人でも入れる店を見つけていた
マスターが一人でやっているその店は、静かなジャズが流れる店で
事故で亡くなった啓太の親友の亮介くんの叔父さんの店の夜バージョン的な店だった
啓太は “ここは、落ち着くね” というと、バーボンのロックをひとくち飲んで
「エリー、僕と結婚してくれないか?」 と、突然真面目な顔で言いだした
「なっ・・・? え・・っ? なんでいきなりそうなるん?」
私は飲んでいたものを吹き出しそうになりながら慌ててハンカチで口元を押さえもごもごと
啓太に向かってそう言ったのだが、啓太はすました顔で
「イチ兄ちゃんとエリーが付き合ってると聞いた時、正直僕はもう駄目かもしれないと思った
でも、イチ兄ちゃんが別の人と結婚するとわかってからは もしかしたら?
まだあの約束が有効かもしれないと密かに嬉しかった」
「約束って? ああ~あの30になってもってヤツ?」
「そう・・・僕もいろいろあって・・・・」
「いろいろって何?」
「あ、うん・・・僕も一応エリーとは別の女の子ともつきあったり・・・」
「ああ・・・そりゃそうやろね」
「うん、でもなんかが違ってて 長続きせんかった」
「へえ、そうなんやね」
「しっくりこないんや・・・その・・なんというか、その・・・そっちのほうが。。。」
「あはは、啓太スケベーやな」
「うん、そうだよ僕はエリーとの・・・が一番しっくりとなじむというのかな・・・?」
「アホ・・・そんなこと、ここで言わんといて恥ずかしいわ」
「エリーが・・・エリーの方がスケベって言うから・・・なぁ、久しぶりにアカン?」
啓太は、突然プロポーズしたと思うとそんなふざけた会話ではぐらかした
「ん・・・そうやね、久々にええかもね」
「で?エリー返事は? YES? NO?」
「んんんん・・・・・どうしようかな~? 」
はぐらかしてそう言いながらも、私はこういう自然なのが一番いいのかもしれない
飾らず、好きなことが言えて・・・・
「とりあえず、今夜試してから返事するわ」
と、啓太の肩に寄りかかりながら啓太の膝に手を乗せた
啓太は私の手を包むとそのまま引っ張って立ち上がらせ“じゃあ出ようか”と店を後にした