虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

時が来たら天が手助けしてくれる

2013年02月26日 | ふと思ったこと
今朝、目覚める時

時が来たら、天が手助けしてくれる。焦らなくてよい。

と、いう言葉のイメージが浮かびました。
飯田史彦さんの本を読み返しているせいでしょうか。
今、目の前にある、やらなければならないことを、きちんとこなしてゆくこと。
あせらず、それだけでいいのだと思いました。


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「地球が静止する日」とアルジェリアの武装勢力鎮圧

2013年01月20日 | ふと思ったこと
先日、テレビでキアヌ・リーブス主演の映画「地球が静止する日」を見ました。
以下、ネタバレですが・・



この映画に出てくる宇宙からの使者(キアヌ・リーブス)は、言いました。

「地球は今、瀕死の状態だから、地球を救うために来た」と。

核の恐怖や汚染物質、地球温暖化、異常気象、砂漠化、人口爆発、食糧危機、水不足、生物多様性の危機、宇宙からの使者によって人類は救われるのか?・・・と思えば、さにあらず。

これだけ多くの生物が生きている星は、宇宙の中でも一握りしかない。この星を危機から救うためには、人間という一種類だけを滅ぼすことだ・・・と。
愛があるんだかないんだかわからない理由で、しかし、さもありなんという理由で、人類は滅ぼされることになってしまうんです。
例えば、生態系を壊すからと、尖閣諸島のヤギを殺処分するのとどこが違うの?と言われれば、返す言葉がないですもの。

しかも、その滅ぼし方は、すごかった。
目には見えないような極小かつどんな攻撃にも耐える最強の虫達が、細胞分裂をするかのようにどんどん増殖し、まるで煙が広がるように四方八方に広がって、すべてをあっという間に粉砕し尽くし、すべてを灰のように消してしまうという。
そのゴミも汚染も残さないエコな滅ぼし方?には、妙に感心させられた私・・・


今日のニュースでは、アルジェリアの人質を巻き込んだ武装勢力鎮圧に、フランスは評価をしていると言っていました。無関係の外国の人質の命が犠牲になっても、それは正しい判断だったというのです。
テロとの戦いと言って、いったん火をつけてしまえば、サダム・フセインを殺し、ウサマ・ビンラーディンを殺しても、現実はハリウッド映画のようには終われない。


「地球が静止する日」では、「人類は変われる」と女性学者は、繰り返し言うのだけれど。。
敵を殺すことが神の教えだと信じている宗教のようなものと、対話の余地はないと断言し、人質の命を犠牲にしても厭わない武力攻撃。
いったい、いつまで続けるのだろう。  ・・・・・変わろうよ、人類。


 人知れず、南極海の貝の殻が静かに溶けてゆきます。
   ↓
海の酸性化で「海の蝶」の殻が溶解、南極海調査


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少欲知足

2012年12月19日 | ふと思ったこと
小さなつづらと大きなつづら。
欲張りなおばあさんは、
迷いなく大きなつづらを選んだ。
大きなつづらを開けると、中からお化けや魑魅魍魎が出てきて
おばあさんにおそいかかってきた。

子供の頃読んだ「舌切り雀」
あんまり欲を出すと、ひどい目にあうと昔話は教えてくれた。

自民党は、各地方都市に、原発という大きなつづらを
分け与えてきた だけど
中から飛び出してきたのは、放射能だの核のゴミだのと。

雀のお宿の看板に小さく書いてありました。
「生き物にやさしく、欲はほどほど」

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続・樹木葬という考え方

2012年08月16日 | ふと思ったこと
タイトルに「続・樹木葬・・・」なんて書いてしまいましたが、前編は2007年1月の記事だった。
この5年の間に、我が家もご近所も、日本も世界も、いろいろなことがあったけれど、今日も元気に生きている・・・それだけでもう、十分ありがたいです。



昨夜、NHKのニュースを見ていたら、東京都の樹林墓地、500人の募集に対して16倍を超える応募があったとのこと。
特に「生前」の申込み枠325人分に対しては、7067人の申し込みがあり、倍率は21倍を超えているとのこと。

この背景として考えられるのは、核家族化が進む中、見てくれる人がいない、あるいは残った人に、お墓の管理やなにかで迷惑をかけたくないという思いの人が多いからではないかということです。以前、樹木葬について調べて欲しいと聞かれた方もやはり同じようにおっしゃっていました。
死んだ後は、自然に還りたいと思う方もいらっしゃるでしょう。
それは、現代を生きる多くの方たちも思い当たるような理由だと思います。





実は、それとは別に、魂の深いところで、樹木葬について、大いなる何かが喜んでいるのを感じます。
ようやく、気づいてくれたんだね、と。
何かって何?って聞かれたら、さて何でしょうか?・・・と、あなたに下駄を預けまする(笑)


 


でね、1000年に一度の地震があった日本に住んだら、1000年先のことを考えるのです。
途中で倒れたり枯れたりしなければ、1000年の巨木になる。1000年後に大きな地震があって、遺骨の欠片が出てきても、なんの問題もないですよね。
比べて、1000年に一度の地震と津波に耐えられず、住民の故郷を奪ったのが原発。1000年どころか、10万年後の未来まで後始末に困るのは、原発の放射性廃棄物。だから、やっぱり脱原発。と、いつもこの結論になるわけですが。


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民主主義ってなんだろう--「マイケル・サンデルの白熱教室」後編

2012年06月24日 | ふと思ったこと
マイケル・サンデル教授の白熱教室、「これからの日本の話をしよう」[後編]を見た。

あっという間に1時間が過ぎてしまった。
原発再稼働問題は、どうしても感情的になってしまう私自身を自制しつつ(普段なら再稼働しろという人が映れば、テレビに向かって悪態ついているから・・汗)
どのような意見も、敬意を払って受け止めるサンデル先生に、敬意を払いました。・・・でも、意見を聞くたびその表情が曇ったり明るくなったり、っていう部分があって、彼の期待以上の答えだったか否かちょいとわかっちゃうのが可笑しくて、また可愛くて(失礼!)。

 
原発再稼働問題、がれき問題、電気料金値上げ問題、情報の信頼性という問題、論点が多くて、前回の「お金」のテーマより、やや消化不良の感じはしたけれど、単純に是か否かという結論ありきではなくて、どうしてそう思うのか、ということを自分自身確認する、という訓練も大事なんだなあと、今になって気づいた。
そうすることで、もしかしたら結果としての是非は違っても、相手の話をきちんと聞くことや、自分の思いを再確認することで、願っていることはひょっとして同じなんではないかと気づくことができるから。だったら、反対意見の人ともどこかで折り合う部分ができるはず。
(ただし、その人が「怒り」「恐怖」「欲望」などの意識にすっぽりはまりこんで抜けられていなかったら、何を言っても平行線だから、まずはお互い冷静になって、それらの意識を一旦手放すことも大事だと老婆心ながら・・)



特に印象に残ったのは、最後の問、「原発事故は避けられなかったか、避けられたか」という設問。

会場は「避けられた」と答えた人のほうが多かった。
原発事故が人災という捉え方をすれば、安全対策を十二分に行なっていれば避けられた・・・という意味でそのような答えが多かったのだと思う。
その設問について意見を述べた会場の二人の男女の答えは、どちらも意外だったが、心打たれた。

「避けられなかった」を上げた女性は、
「『避けられた』という答えを出して、東電が悪い、国が悪い、と誰かのせいにしたくないから、こちらにした」というようなことを言ったのだ。私達だって誰かに責任を押しつけてきた、国や企業をきちんと監視して来なかった。この議論のテーマが「民主主義」であるからこそ、よけい誰かのせいにするのは嫌だ・・・というような意見だった。(記憶で書いているので、細かいニュアンスの違いはお許し下さい)

一方「避けられた」を上げた男性の一人は、同じ理由で「避けられた」にしたのだと。つまり、
「天災は避けられないことだけれど、事故が起こるまで国民は、原発に対して何も声を上げなかった。誰かの思わくではなくて、自分たちが意見を出して決めてゆく、声を上げてゆくことができたら、避けられたのではないか」というような意見。(こちらも記憶なので細かい違いはお許しを・・)

無関心だった自分たちの責任だってあるのだから誰かのせいにしたくないという女性、それを認めるからこそ、ちゃんと言うことができるなら「避けられた」と言った男性。どちらも、言いたいことは同じだったんだなあと。

政治なんか関心がない、誰かがきっとうまくやってくれるんだろう、という人々の無関心が原子力ムラを肥大化させ、積もり積もって原発事故に繋がってしまったと言ったら言いすぎだろうか。

民主主義とは、おそらく、こういう下からの意見をどんどん言い続けることで社会を変えてゆく、っていうことなんだろう。民主主義だって言いながら、数の理論、多数決で物事がどんどん決まっていってしまうことに嫌気がさしていたんけれど・・・、それって本来の民主主義とは違うものだったのかも・・、とようやく気づかされた。
サンデル先生は、3・11以降の日本の変化を「民主主義の復活」と言った。だとしたら、サンデル先生自身も民主主義が危機的状況だったと、感じていらっしゃったのかもしれませんね。

「アラブの春」に代表されるように、今や世界的な規模で、民衆が下から声を上げ始め、政治を変えだしている。


首相官邸前で大飯原発再稼働反対を訴える人たち
=22日午後、東京・永田町で(東京新聞)


22日首相官邸前で、再稼働反対デモのために主催者発表で4万5千人もの人たちが集まったと、23日の東京新聞でも報じていた。
集まってきた人たちの中には、それまで政治的なことに縁遠い、あまり声を出さないできた人たちも大勢いた。
くしくも、最後に意見を述べた会場の男性は「日本の春」まで行かなくても、その手前の「小春日和」?くらいにはなっているのではないかといったが、たしかに、「春」手前くらいに、目覚めた国民が増えてきたように思う。

サンデル先生は、既成の権力や政党から民主主義は育ちにくいのではないかと、言っていた。
私もそう思う。なぜなら、選挙では、なんのしがらみのない人は大抵落選する。
大企業や組織からの支援を受けた人でないと、当選しない。勢い、そういう政治家は国民ではなくて、自分の後ろにいる誰かたちの為に働くのだ。
そういえば、この前、民主党議員は、東電労組委員長に「裏切った民主議員に報いをこうむってもらう」って言われていたようだし・・・これって脅されてる?!

民主主義とはなんだろう。
国民一人ひとりが、人任せにせず、どうしたら良いか自覚を持って考え声を上げてゆくことなんじゃないだろうか。
自分の所属する会社や組織やグループから、いったん離れて、一個人として考えることが大事なんではないか。でなければ、いつまでたっても、一部の会社や組織の利益だけが存続して、全体の利益が伴ってこないから。
自分の代だけならその人にとっては、それでもいいのかもしれないけれど、自分の子や孫の世代まで考えたとき、本当にそれでいいのかと、立場を離れてもう一度、一個人として考える。
電力会社の社員や、官僚や、政治家も皆同じ、会社名や役職を剥がせば、皆同じ、ただの人間じゃないか。





最後に、余談だけど、小沢さんが、また離党して新党を作ろうとしているけれど、小沢さん個人の考えであるならそれを私は尊重する。
だけど、小沢グループと呼ばれる方たちが、皆小沢さんと同じように思っているのかは、疑問です。

このことに関して、菅さんはブログで、

小沢グループと呼ばれている皆さん、ぜひ目を覚ましてほしい。小沢氏の個利個略のために、駒として利用されることがないように、目を覚ましてほしい。そして小沢氏の呪縛から離れて、自らの判断で、行動してほしい。


と、述べた。実は私も、ずっと同じように感じていたので、ものすごく共感した。
小沢さんはいつも自分はあまり表に出ないで、自分の周りに取り巻きを作り、彼らを利用して代弁をさせ、巻き込んでゆく。
国会議員は皆、国民に選ばれた尊重すべき一人の政治家という意味においては、対等の価値を持っているはず。小沢グループの人たちというのは、自分の意志すら、小沢さんにすべて委ねてしまうのだろうか。そこに、民主主義はあるのだろうか。

どのようなグループであれ、そこからいったん離れて、個人的な怒りもいったん手放して、どうか一個人としての自分がどうしたいのか冷静に考えて欲しいと思う。
その上で自分で決めたことならいいけれど。
けれど、あまりにも思いつめ、息苦しくなるような決断は、人からエネルギーを奪うアトラクターフィールドに入ってしまった、ってことかもしれませぬよ。


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 お金ってなんだろう--マイケル・サンデルの白熱教室から


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お金ってなんだろう--マイケル・サンデルの白熱教室から

2012年06月16日 | ふと思ったこと

NHK・Eテレで、ハーバード大学政治哲学の教授、マイケル・サンデル氏の 5千人の白熱教室 「すべてをお金で買えるのか」[前編]」を見た。

サンデル先生の頭の中は、どれだけクリアーなんだと感心しきり。
相反する意見を聴き、受け入れ認めながら、折り合いをつけて、全体として一つの方向性に持っていく、その手腕がすごい。
民主主義が単なる多数決や、少数意見の排除に終わってしまうなら、民主主義などむしろ害、と常日頃思っていた私なので、民主主義の本当の良さを教えていただいたようで、少し希望が出てきた。
こういう人材が、国会で仕切りをしてくれたら、もう少し前向きで実りのある議論ができるのではないか、と思ったり。

サンデル先生のお話の中で、ちょっと興味深い事例を紹介していたので、記録しておきます。


事例1

スイスで、原発の核廃棄物の処分場として、アルプスの麓のとある小さな町が最も安全で適切であろうと議会で決まったのだけれど、そのためには周辺の住民の承認を得なければならなかった。
そこで、アンケートを取ったところ、周辺住民の51%の人の了承を得られた。
さらに、住民には、一人あたり年間6000ユーロのお金が支払われる、という項目を付け加えて、アンケートを取ったところ・・・
もっと同意が増えるだろうと期待していたのが、逆に25%に下がってしまったのだ。
これはどういうことなのか。
会場にいた人たちは想像する。ある人は、お金をもらえるということは、危険のリスクが高いと恐れを抱いたせいだと言い、またある人は、お金がもらえるなら、交渉次第でさらに高額のお金を得られる可能性があるからだろう、と言った。
しかし、理由は、両方とも違った。正解は3人目の女性が言った意見だった。
彼らは、危険のリスクはもともと理解した上で、あえてみんなのために、ひと肌脱ごうという犠牲的な精神を持って受け入れたのに、お金を受け取る事でその心が踏みにじられたような気がしたのだという。


事例2

イスラエルの保育園で、保育時間が終わって保護者に引き渡す、お迎えの時間が決まっているのだけれど、その時間によく遅刻する親がいるという。
度重なると、保育園でも仕事が終わらずいろいろな支障が出るので、経済学者の知恵を借りて、「迎えの時間に遅刻した保護者は罰金を支払ってもらう」というルールを作った。
これで、遅刻者は減ったのか。あにはからんや。
以前は、遅刻することに後ろめたさを感じ、時間に遅れないよう責任感を持っていたのに、お金を払えばいいのだという理由ができたので、まるで延長保育のような感じで今まで持っていた責任感や罪悪感は失われ、堂々と遅刻するものが逆に増えてしまった、という。




お金ってなんだろう。
お金さえあればなんでもできるし、お金をもらえばみんな喜ぶ、だからお金は万能だ、とそういうふうに思っている人もいるだろう。(経団連や原子力ムラ?。)
しかし、人の思いや心遣いをお金に換算しようとしてもそれは、経済学者の想像の範疇と全く違う答えになってしまうのだ。
人の心が踏みにじられ、モラルが失われしまうなら、市場原理が介入されてはならない場所もあるのではないか、とサンデル先生は問う。


で、突然だけど、今一番気になるニュース、大飯原発再稼働のこと。地元の人達の中には、経済的な理由から稼働してもらいたい人たちも大勢いるようだ。
ということは、再稼働することに賛成というのは、本当は正しくなくて(再稼働してもお金がもらえないなら、意味が無いだろうから)、お金がもらえるなら再稼働してもらいたいというのが本音だろう。
だったら、原発再稼働の有無はひとまず置いて、地元の方たちが(危険な原発なしでも)どうやって経済的に自立できるかということを、まず考えるべきではないのか、と思ったんだ。

それにしても、原発建設を地元に多額のお金を落とすことで引換にしてきた・・・このような日本の原発推進政策が、原発なしでは生きられないかのような原発依存の町を作ってしまった。
「命よりも目先のお金が必要」という人の気持ちはわからないでもないけれど、スイスの核廃棄物処分場の建設をめぐる事例で考えさせられたように、人の心の尊厳や気高さを、目先のお金で見失わないで欲しいと思わずにはいられない。

ところで、来週は、なんとサンデル先生の白熱教室、原発の再稼働の話をするのだというタイムリーさ。これは見なければね。





6月23日(土)午後2:00~3:00「これからの日本の話をしよう」[後編]
マイケル・サンデル教授が、東京国際フォーラムで5千人を相手に行った特別講義の後編をお届けする。議論をするのは、原発の再稼働、電気料金の値上げ、震災のガレキの受け入れなど、今日本が突きつけられている難問ばかり。しかしサンデル教授は、それらの議論を尽くしていくことで、日本は世界に向けて民主主義のお手本を示すことができると考えている。簡単には答えの出ない難問を5千人で議論していく。




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リーダーの責任感とは、最後は自分の命をかけるということ

2012年03月16日 | ふと思ったこと
我が家の不思議人間が不思議人間たるゆえんと言えば、その人をイメージしていると不意に、その人の心情が自分に入って来てしまうとか、そんなこともあったりして・・
(信じる信じないは読まれた方のご自由ですが)

昨年、菅バッシングの激しかった頃、おかしな話ですがこの首相の心情が伝わって来て、本人の意思にかかわらず、涙が止まらなくなってしまったことがあります。

いぜん、「」と言う記事を書きましたが、この文章の前半の部分。
これは、私の書いたものというより、うちの不思議人間に、どこかから降りてきた言葉です。


菅さんは、なぜこんなにたたかれても、踏みとどまっていられるのか

自分が辞めたら、みな、逃げてしまうだろう
もっとひどい状態に 混乱してしまうだろう
自分が叩かれても叩かれても、こうやっている姿を、
東電の人たち
原発で作業している人たち
自衛隊や警察の人たち
命がけで働いている人たちのために
防波堤になって
逃げない姿を見せているんだよ


これが自分の修業の場なのだと耐えている
でも、心では泣いている


・・・


はからずしも、菅さんが事故直後、東電に乗り込んで行った時の発言メモの出ていた以下のニュースを読んで、やっぱりそういう覚悟を持ってらしたんだなと改めて感じました。

■【死んだっていい 俺も行く】原発危機的状況に前首相 東電が発言詳細記録
▽菅氏の主な発言
 東京電力が記録していた昨年3月15日未明の菅直人首相(当時)の主な発言は以下の通り。

・被害が甚大だ。このままでは日本国滅亡だ
・撤退などあり得ない。命懸けでやれ
・情報が遅い、不正確、誤っている
・撤退したら東電は百パーセントつぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ
・60になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く
・社長、会長も覚悟を決めてやれ
・なんでこんなに大勢いるんだ。大事なことは5、6人で決めるものだ。ふざけてるんじゃない
・原子炉のことを本当に分かっているのは誰だ。何でこんなことになるんだ。本当に分かっているのか


もし原子力村の誰かが、危機感を持って原発に対して責任を持ってやってくれていたら、言わなくてもすんだ発言だったのでしょう。
原子力村の人々は、部外者の誰にも口出しさせずに、自分たちだけで原発を推進してきたのに、こんなことになったら、誰も責任を取れずに逃げだそうとした。
子どもの不始末には、親が出なければならない。親が子を叱るように、フリーズしてしまった彼らを菅さんは叱ったんだ。
一人前にやっていると大威張りで自慢していた息子の不始末を、親が叱って後始末をつけているようなもの。
一刻を争う時だった。最後の最後は、自分の命をかけて・・・それは本気だったと思う。
それが本当のリーダーの責任感というものじゃないか。

私たちは、この事故の時、菅さんが総理だったことを天の采配だったと感謝こそすれ、誰も批判できる立場ではないはずだと改めて思う。
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菅さん天職

2012年03月07日 | ふと思ったこと

思った通りといいますか、菅前総理は、今月になってホームページもリニューアルされて、いよいよ再生可能エネルギー、自然エネルギーについて本腰になって取り組む覚悟であるようです。
思えば、藤井元財務大臣が病気を理由に辞職されて、突然の財務大臣任命。菅さんにとっては、畑違いの場所での仕事は、はっきりいって痛々しかったです。

しかし、これからは、菅さん本来の最も菅さんらしい、魂の喜ぶ仕事をされることになって、よかったなと思います。
私は確信を持って言いますが、この方向に進むことは、まさに天職ではないでしょうか、菅さん。

きっと、この方向で日本の新しい道筋がつくことでしょう。
微力ですが、協力させていただきます。

  菅直人 オフィシャルウェブサイト
  菅直人オフィシャルブログ「今日の一言」
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はたを楽にするから、はたらく

2011年09月29日 | ふと思ったこと
はたを楽にするから、はたらく。

昔の人は いいこと言ってましたねえ。

自分が働くことで 誰かか楽になる、誰かが助かる、誰かに喜ばれる。
誰かが働いてくれたので 自分も楽になる、自分も助かる、自分もうれしい。

それ以上 何を望むのか。

・・・なんでかなあ。

いつの間に 働くことが「お金を稼ぐ」ことの代名詞になって
働くことが 勝った負けたの競争になって





いい会社に入るために いい大学、いい小学校、いい幼稚園
物心ついた時には すでに順位づけされていたり

で、1番になって自分は勝ったと思っても
2番以下の人たちは悔しくて
他人には ちっとも喜ばれなくて
すぐに 次には負けるかもしれないと どきどきして

気づいたら 自分が一番苦しくなっていた。

つくっては壊し つくっては捨て
自然を お金にかえてゆく
ヒトが一生懸命働けば働くほど

地球は どんどん熱くなって 
自然は どんどん汚れて 
北極は 小さくなって
富士山、ヒマラヤのてっぺんも ゴミゴミゴミ。

変よねえ・・・






みなさん、本当のはたらくで、働いていらっしゃいますか。



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虚栄心

2011年07月28日 | ふと思ったこと
虚栄心とは、「自分を実際以上によく見せようとする心」と、辞書に書いてあります。
幼い子どもの時はみんなパワーの世界の住人だから、そんなものは持っていないのだけれど、人間、大きくなるに従って虚栄心は、どんどん成長していって。

奇跡のリンゴ」の木村秋則さんの有名な逸話のひとつだけれど。
無農薬でリンゴの木を育てることに万策尽きはてて、木村さんは毎日、枯れかけたリンゴの木に、1本1本「枯れないでくれ」と声をかけることしかできなかったといいます。
そして、木村さんが一生懸命、話しかけた木は、その後、奇跡的に持ち直し、そして、ついには実をつけるまでになったのです。





しかし、話かけられなかった木がありました。それは、隣家のリンゴ畑との境にあった木々。

木村さんは後に述懐しています。

「ついに頭がおかしくなって、木に話しかけている・・と、人に思われたくなかった。自分には虚栄心があったために、話しかけられなかった木をみんな枯らしてしまった。かわいそうなことをした」


と。

木村さんほど、謙虚な方はいないと思う私だけれど、そんな木村さんが自分自身を反省しているのです。
木村さんのような方をもってしても、虚栄心と離れるのは、難儀なことなのですねえ・・・。いわんや凡人をや。


自分が失うかもしれないと恐れていたものは、本当はただの虚栄心だったりする。後生大事に持ち続けたところで、もっと大切な何かを失ってしまっては、取り返しがつかないじゃないですか。
ありのままの自分自身の心と正直に向き合えた時、人はこの今生の人生の中で、壁を一つ、突き抜けられるのかもしれない、と思いました。


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先駆者の役割とつながってゆく意志

2011年07月24日 | ふと思ったこと


この人をご存知でしょうか。
18世紀のスウェーデンの博物学者、植物学者。生物の分類学の基礎をつくったカール・フォン・リンネ(1707~1778)。
若いころ、植物について画期的な発見をして、反論者たちにも屈せず、むしろ自分の論が正しいことを納得させた結果、のちに分類学の父と呼ばれるようになった人です。現在でも、スウェーデンでは大変尊敬されている人物です。
(くわしくはウィキペディア:カール・フォン・リンネ


なんでも、先駆者というのは、大変な苦労をさせられます。今までの常識をリセットさせて、無から有を生むのですから・・・。
「奇跡のりんご」の木村秋則さんは、最初の苦労は、積もった雪の上に道をつけていくようだと言っています。
でも、あとの人は同じ苦労をわざわざしなくてもいい、足跡をたどってゆけばいいのだとも。

先日の記事でご紹介した、テオ・ヤンセン氏は、「ストランドビースト」の動きの基本構造の黄金比を導くのに、19年の歳月を要したそうです。
でも彼に続く人たちは、彼のつくった黄金比のおかげで、同じ構造のミニビーストをすぐに、つくりだすことができるのです。

最初の努力は時間がかかっても、人々にとって必要なことであったなら、きっと後世に受け継がれ、さらに改良されて、広がってゆくに違いありません。


 


先駆者の苦労は、誰しも並大抵のことではなく、それができるのは選ばれた人であるのかもしれませんし、あるいは飯田史彦さんの魂の仮説によるなら、自分自身で生まれる前に決めてきたことなのかもしれません。
それが真実無私の努力であるなら、「天啓」が味方してくれるのかもしれませんし、またたとえ無私の努力であっても、時代が許さず残念ながら途中で矢折れ、倒れてしまうことだってあるかもしれません。

しかし、それが本当にこの地球上のすべての命のためになることなら、時が移っても、受け継がれ、また形を変えて、復活し達成できるかもしれないと、ふとそのような思いがします。

私たちが生きているのは、過去でも未来でもなく、常に「今」という時間。
ずっと「今」がつながって続いて行くだけ・・・過去とか未来とか、もともとそんなものは存在しないのではないかというような妄想にとらわれます。
リンネのエネルギーで、リンネパワーで、今の日本の政治のごちゃごちゃも整理分類してくれないかなーと思う今日この頃です(笑)




(Photograph courtesy NASA)



スペースシャトル・アトランティスが、最後のミッションを終えて、地球に戻ってきました。
アトランティスから見た地球・・・南極の方向には、オーロラが見えます。昔は下から見上げるしかできなかったのに!
左上に見えるのは国際宇宙ステーションの太陽電池パドル。

30歳から下の世代は、生まれた時から、地球の外側をリアルタイムで見ることができた。
この30年の間に培われてきた「宇宙から地球を見る」という概念。
それだけでもスペースシャトルの意義はあったのではないかと思います。

宇宙から見た青いマーブル模様の地球は、唯一無二の私たちのふるさと。
見えないけれど、この下には、数え切れないほどのたくさんの命が生きているのです。
この美しい地球を、人類だけの勝手で汚してはならないと思います。



(画像:気象庁)


この世には、人智では、はかれない出来事は必ずあります。

こたびの大型の台風6号が、まるで東北の被災地の上をよけるように、移動してくれたこと…それは、ただの偶然でしょうか。
木村秋則さんが、植物にも心がある、ものにも魂がある、と言われたように、私も地球には意思があるように思えてならないのです。

どんなにつらく厳しい状況でも、それが天の理にかなっているのなら、人智で、はかれぬ力が働き一発逆転・大どんでん返しの希望だってあるということでしょう。
ですから、最後の最後まで、あきらめてはいけないのですね。そのあとは、天の采配にお任せするとしても。



★参考サイト
 リンネ2007




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この国の恥辱を一身に負うもの

2011年04月28日 | ふと思ったこと
菅総理が、福島の避難所を訪れた際、怒りを思い切りぶつけた国民がいた。
地震にも津波にもやられなかった我が家を、離れなければならない無念。
仕事を手放さねばならない怒りと未来の見えない不安。
どんな有名人が慰問に来て、
元気を出して、笑顔を取り戻して
がんばろうよ、と言われようが、ここではむなしい。
封印したくとも封印できない思いを、ようやく吐露できたのだ。


菅さんは、彼の怒りを一身に受け、ただただ、「がんばります」と言うしかできなかった。


この場面をテレビで見ながら、老子の言葉を思い出した。


国の垢を受くる、これを社稷(しゃしょく)の主(しゅ)と謂(い)い、国の不祥を受くる、これを天下の王と謂う(任信七十八)

意味:一国の恥辱を一身に負うもの、これを国家の主と言い、一国の不幸を一身に負うもの、これを天下の王と言う



老子おじさんは言ったっけ。
強く見えるものは実は弱く、弱くみえる者は本当は強い・・・正しいことって、案外正反対に見えるのである、と。


菅さんを情けないと思う人もいるかもしれない。
菅さんを怒った国民を盾にして、さらに非難する人々もいる。
菅さんは、ただただ、みっともなく、ぎこちなく、彼の怒りを受け止めた。
国民が一国の首相を罵倒しても怒られない、日本はいい国だよね。
でも、やっぱり涙が出てくる。


だれの代わりに、罵声を浴びているの?


原発を推進した人々、原発利権によって潤った人々。
みんな、後ろに隠れてしまったじゃない。
某知事だって、知事の責任において原発を認めたのだろうに。
県民の怒りが自分に向かないように、東電と国に
責任を押し付けているようにしか見えなかった。


薬害エイズの遺族の前に進み出て、
「申し訳ありませんでした」と、頭を下げたのは、菅さんだった。
あの時も、危険な血液製剤を売った会社、認可した厚生省の誰ひとり、
患者や遺族の前に自ら進み出て、頭を下げなかったじゃないか。
歴代の厚生大臣、総理大臣、誰ひとりも。
菅さん以外の誰一人も。

 弱く見える人は、本当は強い。
 強く見える人は、本当は弱い。

自分の過去を暴かれないために
自分たちの保身のためだけに
不信任案を出すなら、菅さんと同じように
国民の前に進み出て、怒られてください。
思いきり、叩かれてください。

そして、この国は原発からきっぱり離脱すると
世界にむけて宣言してください。

菅さんを辞めさせるなら
それくらいの覚悟をしてください。
でなければ、菅さんはやめたくてもやめられない。
ポストにしがみついてるって
そんなレベルでしか、理解できない人に
次を任せられるわけないじゃない。

私だって本当は
菅さんをこのつらい試練から
もう開放してあげたいです。

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2011年04月22日 | ふと思ったこと

菅さんは、なぜこんなにたたかれても、踏みとどまっていられるのか

自分が辞めたら、みな、逃げてしまうだろう
もっとひどい状態に 混乱してしまうだろう
自分が叩かれても叩かれても、こうやっている姿を、
東電の人たち
原発で作業している人たち
自衛隊や警察の人たち
命がけで働いている人たちのために
防波堤になって
逃げない姿を見せているんだよ


これが自分の修業の場なのだと耐えている
でも、心では泣いている


原発事故を天罰と言う人もいたけど
私は、啓示であると思う
今、ここで気づかなかったら
今までと同じなら
同じことはまた起こるだろう


菅さんを非難できる人なんて、本当は一人もいないよ
同じ立場になったら、みんな腰が抜けちゃうでしょう
えらそうに言ってる人だって、最後は海外に逃げちゃうんだろう


と。



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関東地方に住んでいて・・・

2011年04月14日 | ふと思ったこと

原発の安全神話が完全に崩れ、とんでもない事態に遭遇して、多くの人々が、最悪のことを考えて、もしかしたらもしかしたら・・で、どんどん確定的な気分になって、不安や怒りの中に閉じ込められているみたいに思えます。

臨界も再臨界も、私どもは起こってないと感じます。
特にネットなどの情報を追いかけるほど、左脳が不安をつくっているようにも感じます。
少し左脳を休ませて、右脳を働かせることです。
体を温めて、筋肉の緊張をほどいてください。
太陽に当たってセロトニンでも出して下さい。
放射能関係なくて、不安で免疫が落ちてしまいますから。

政府だって、情報隠ぺいもなにも、憶測で物はいえませんし、たとえ起こってもいないことだとしても、その可能性さえ、うっかり言ったら、たちまち大パニックで二次的被害も出てしまうでしょう。

ちょっと長生きした方なら、思いだして下さい。50年前は、大気圏核実験だって、地球のあちこちで、ばんばんやってましたのよ。(それがいいとは言いませんが・・)
チェルノブイリの森」の著者も、もともと反原発派ですから、放射能を否定しよう否定しようと思いつつ面喰ってしまう生き生きとした自然を見せつけられているのです。
大丈夫です。(ただし、私的には・・・ですけどね・笑)

でもやっぱり、脱原発は譲れないぞと。この事故を機に、ぜひこの方向性に舵を切っていただけたら、いいなあ。

 
関連サイト

IAEA、福島とチェルノブイリ「完全に別物」と強調
2011.4.13 01:37

 国際原子力機関(IAEA)のフローリー事務次長は12日、日本政府が福島第1原発事故の国際評価尺度(INES)を「レベル7」に引き上げたことを受けて記者会見し、福島原発事故と旧ソ連のチェルノブイリ原発事故は規模などの面で「完全に別物だ」と強調した。

 フローリー氏は、福島第1原発の全ての原子炉が東日本大震災直後に停止したとする一方、チェルノブイリ原発は原子炉が試験運転中に爆発するなどの事態が発生したと指摘。放出された放射性物質もチェルノブイリに比べ少ないとして、福島の事故をめぐる日本側の措置を「信用している」と述べた。(共同)
 
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変化をおそれずバージョンアップ

2011年01月27日 | ふと思ったこと
飯田史彦さんの「決定版生きがいの創造」を読み返しています。
私の人生観を変えたといっていい、初版本「生きがいの創造」を読んでから、十数年。
決定版は、初版で、うっかり信頼できない情報を載せてしまったところをざっくり削除し、考察の甘い部分を修正、さらにご自身の体験や新たな情報を付け加えられて、本質の部分は何ら変わっていないにしろ、初版とは似て非なるものとなったようです。
このことについて、飯田氏は、パソコンソフトが技術革新によって必然的にバージョンアップされるように、という表現をされています。
「あやまちは、素直に反省してただせばよい」とつぶやきながら(笑)

人生は、いつでもどこでも、やり直しがきくのだと著書にも書かれているように、成長とともに本もバージョンアップする、それでいいのだと思います。

同様に、自律神経免疫療法の安保徹先生
次々と本が出ていますが、やはり、新しいことがわかるたびに、本にして出しているので、内容も少しずつバージョンアップされているようです。
おかげで私たちは、免疫学に関して、リアルタイムで新たな情報を知ることになります。

君子豹変す、といいますが、変わることがいいことなら、昔の考えに固執せず変わるべき と教えられます。
その底辺に、変わらない本質があればこそ、の話ですけれどね。

以前、「資本主義から家業主義」という記事を書いたことがありますが、お手本になるのは、老舗のやり方。
日本の古くて新しい企業=「老舗」。こんな本が出ていました。



帯には、 「老舗は常に新しく」 と書かれています。
伝統を守るだけでなく、「変化を恐れない」ことが老舗の条件、激動の近現代社会を生き抜いてきた老舗の知恵は、しなやかです。
老舗の発想、今の時代こそ参考にできそうですよ。何につけても。



にゃるほど。飯田先生は、生きがいシリーズの老舗。
安保先生は、免疫学の老舗・・・だわにゃ~ (=´∇`=)

コメント (2)
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