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どちらを選ぶかは自分次第

「脱原発、必要なのは脱成長」と有機農業家、星寛治さんの言葉

2013年01月08日 | 脱原発



人間はここでしか生きられない。広大な宇宙の中のこの小さな惑星で、どうやって、すべての命と折り合いをつけて生きてゆくのか。それは、すべて他人ごとではない。ここで起こっていることは、まわりまわって自分に、もどってくるものなのだから。


諸事情ありまして、新聞を読むのがワンテンポ遅れている私ですが、1月6日(日)の、東京新聞の特報部の記事は、有機農業家で詩人の星寛治さんを紹介していて、大変良かった。

小見出しに、印象的な言葉があった。

 脱原発、必要なのは「脱成長」

そうなんですよね。成長成長って、一体いつまで成長したら気がすむのか・・・。
そうは言っても、経済信仰財団の方たちには、「はぁ?何いってんの?」とか、突っ込まれそうな言葉でもあります。がっくり。

ものには、資源だってなんだって限度や限界ってものがある上、消費だの生産だのし続けて出てくるゴミ問題とか環境汚染、ちゃんと最後まで責任をとると胸を張って言えるならいいけど、本当に誰が責任を取るのか。
その最たるものが、原発だったり、放射性廃棄物だったりするのだけれど、経済信仰財団は、ここのところで思考停止し、そこは考えなくてもよくなってしまうのが、カルトちっくだっていうのですわ。

以下、木村秋則さんにも通じるとてもいい記事だったので、ネットにアップされてないか探したのだけれど(長いのでリンクさせていただこうと思ったのに・・・)、残念、見つからなかったので、頑張って?入力しました。
特に最後のほうは共感の嵐、台風、雨あられです。
(文章はそのままですが、改行など少し編集しています)



新年企画「つらぬけばそこに」<4> 有機農業家・詩人 星 寛治さん(77)

 農薬、化学肥料と決別


 
 「バカでないか。頭のおかしくなった連中だ」
 一九七四年、有機農業を始めた山形県高畠町の星寛治(77)ら若手農家を周囲はあざ笑った。
 高度経済成長の真っ盛り。除草剤や化学肥料の導入で、コメや野菜の収穫はぐんと増えていた。昔ながらの農法への回帰を志向する星らは、農村にもたらされた「繁栄」に背を向ける変わり者でしかなかった。
 星たちは父親をどうにか説得し、農地の一部を有機農業用に回してもらった。堆肥を作り、四つん這いになって草むしり。ドロオイムシが大量発生してほうきで追った。

 一年目の収穫は周囲の六割程度でしかなかった。十倍にもかかった苦労を思うと、がっかりもしたが、収穫したべっ甲色に輝く米粒は素晴らしい出来で喜びもあった。
 二年目もやはり収穫は六割だった。三年目は堆肥を増やすなどの工夫をこらしたが、冷夏に襲われた。村の田んぼのほとんどが白茶けた色に覆われ収穫は絶望的と思われた。八月下旬、星らの田んぼは黄金色に変わり始めた。周囲の収穫は例年の半分以下に落ち込む中、前年の一・五倍の収穫を得た。周囲は「奇跡が起こったのか」と不思議がり、星も驚いた。

 後に大学教授から「微生物の力」と教わった。農薬や化学肥料を使わない田んぼには一握りの土に十数億もの生き物が生息しているという。星らの田んぼの温度は、周囲と比べ三度ほど高く、冷害に耐えた。

 星が就農したのは五四年。大学の文学部に進学したかったが、農家の五人兄弟の長男で、「家族を守らないと」という責任感から断念した。

 この年、父親が出始めたばかりの耕運機を購入してくれた。農作業は以前よりもずっと楽になった。コメと養蚕、三頭の乳牛を買う小規模農家から、扱いをリンゴとブドウに広げて、収入増を目指した。
 農業基本法の制定は、六一年。政府は、経営規模拡大や機械化を奨励し、農家の所得を他の産業と同程度に引き上げることを目指していた。
 このころの星の頭の中に、有機農業の考えはまったくない。「むしろ近代農業の先兵になるつもりでした。国策にそって収穫を増やそうと必死でした」

 噴霧器を背負って田んぼに農薬をまいた。頭痛や吐き気をもよおした。
「虚弱体質だからか」と思ったが、子どもや高齢者が同じように苦しんでいた。農薬と化学肥料で育てた牧草を食べていた牛が病気になり、コイが死んだ。
 米国の科学者レイチェル・カーソン氏が六二年に著書「沈黙の春」で化学物質による環境汚染を告発していた。「このままでいいのか」と疑問を覚えつつも、農業と化学肥料を使い続けた。

 七一年、十年間、手塩にかけて育てたリンゴが全滅した。化学肥料をやりすぎたことが木に負担をかけたようだった。疑問は確信に変わった。
 仲間と各地を視察し、日本有機農業研究会の一楽輝雄氏と出会った。
「このままでは農家はだめになる。自給という原点を取り戻すべきだ」と諭され、有機農業に取り組むことを決意した。


 豊穣の大地、踏みしめ生きる幸せ

 有機農業を続けて十年くらいは、くじけそうになる自分自身、変わり者とあざける地域、近代化を推し進める国の農政との「三つの戦い」だった。
 「いっけん、気の遠くなるような単調な作業ですが、苦役だとは思いませんでした。歳月をかけて培った豊穣の大地は、カネに代えられない宝物。命の母胎なのです」
 有機農業でつくったコメや野菜、果物は甘くておいしい。
何よりも体にいい。虚弱体質だった私が、今も健康なのが何よりの証拠です

 そんな星が衝撃を受けたのが、福島第一原発事故だ。
「先人から連綿と築いてきた生活や文化を圧倒的、暴力的に存在自体を奪い尽くした」
福島県からは一万人以上の人が山形県に避難した。星さんたちの農作物も風評被害にさらされた。

 八六年のチェルノブイリ事故後、星には「脱原発」の思いはあった。有機農業の集会や講演などで話題が原発に及ぶと、反対を訴えたが、反応は芳しくなかった。
「科学文明を否定する遅れた考え方と思われました。安全神話があったから、異端者として見られた」

 福島の事故後は思いをさらに強くし、事故の四ヶ月後に出版された「脱原発社会を作る30人の提言」で、「命のつながりを、核の暴力で奪い去る権利は資本にも国家にもない」と訴えた。

 自民党政権に変わり、原発再稼働に動き出したように見える。
日本人はエネルギーを確保しないと豊かになれない、という考えにからめとられている」と感じる。
「便利で快適な生活に慣れ、物質的な欲望を抑えるのは嫌なのでしょうが、放射能汚染を前にして悠長に構えていられない」


 脱原発、必要なのは「脱成長」

 「脱原発」には「脱成長」が必要だと説く。
「再生可能エネルギーの転換では、何も変わらない。モノやカネは乏しく、多少の不便、機械に頼らない力仕事を伴っても大地と一体で生きていくことこそが、豊かさではないでしょうか」

 賛同する若者も出始めている。立教大学で公演したことが縁で、八九年以降、大学生が高畠町に農業研修に来るようになった。有機農業にほれ込み、研修後、八十人近くが町に移り住んでいる。
 高校一年生の星の孫(16)も、将来は有機農業をすると言い始めた。後継者不足の農家が多い中、有機農業の仲間内では、後を継ぐものが少なくない。生活は楽ではないが、大地と共生する暮らしへの満足感。
昔の苦しい生活に戻るのではなく、新しいライフスタイルなのです

 晴耕雨読―。星の目指す暮らしはそこにある。現代は消費文化のために冬も兼業で働く農家ばかりだが、以前は春から秋に農作業をし、冬に英気を養った。年長者と若者がわら仕事をしながら、どぶろくを酌み交わして談義し、生まれたのが農村文学だという。

 星自身、詩人としても活動してきた。「願望」と題した詩の一節。

 はてしない野道を
 ゆっくりゆっくり歩こうよ
 足跡など消えてもいいよ
 

 人は業績を残し、周りから評価されたがるが、永遠の存在はない。足跡を残すことより、一歩一歩、大地を踏みしめる充実感を得ることが幸せだという意味を込めた。
 「小さな地球でいがみあい、最近は無人島をめぐって国家が情けない抗争をしている。何億年の宇宙の歴史の中では、けし粒にもならない

(敬称略、小坂井文彦)

デスクメモ
高畠町は「まほろばの里」と呼ばれている。山々に囲まれ、実り豊かで住みやすい所という意味だそうだ。縄文草創期の洞窟遺跡もあり、1万2千年前から人が住んでいた。古来、豊かな土地だったのだ。有機農業は、もともとある大地の力を生かすことでもある。雪深い山里に、それはある。(国)


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5 コメント

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星空の散歩さま (金木犀)
2016-01-29 17:42:02
はじめまして、素敵なHNですね。

Eテレで、星寛治さんが紹介されていたのですね
残念ながら私は、見ませんでしたが、
星さんの貫いた生き方、尊敬しています。
同じように感じた方が、3年前のこの記事を見つけてくださったことを、とても嬉しく思います。
コメント頂き、ありがとうございました。
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はじめまして (星空の散歩)
2016-01-28 18:20:38
はじめまして。星空の散歩と申します。
過去のEテレの番組の中で山形県高畠町での有機栽培に取り組んでいるものに出会いました。
その中で星さんのコメントが気になりまして,ネット検索をしておりまして,このブログを読ませて頂きました。
とても共感しましたので,いきなり失礼かと思いましたが,コメントさせて頂きました。
返信する
地下水さんへ (金木犀)
2013-01-10 11:55:26
たくさんの微生物がすむ土の力で育った作物は、やっぱり力があるっていうか、嘘っぽくない味がするって、思うのです。
地下水さんの食べた桃も、きっとそうだったのでしょう?

地下水さんのコメント読みながら、そういえば、海でも同じようなことが起こっていたなあと思いだしました。
以前書いた記事ですが

辺野古の海とモズクの話
http://blog.goo.ne.jp/hanamiduki87/d/20070516

自民党政権に戻って、また公共事業と経済成長で、景気の良かった昔の日本を目指そうとしているけれど
土建産業で、ズタズタになってしまった日本の国土、いまさらまたかと、がっくりです。
過去の成功体験は、もう役に立たないし、うまくいかないと思います。
返信する
思い出の桃2 (地下水)
2013-01-09 18:28:55
 しかし、役場がイキナリ桐林を切ってしまった。結局、道路が付いて、周りも埋め立てられた。
 土地の半分は道路の為に無料で供出となった。ゲンブ政策と言うそうだ。道路端の地価が上がる分、土地はタダで取られた。そして地税が上がり、その税金は道路の補修等にも当てられて、タダ取りで日本国中に何万も道路が付いた、そして農地が潰されていった。
 畠は保水力や自然の力が激減した。ふもとの湧水井戸は枯れて、流れに顔を付けて見ていたメダカの学校も無くなった。後の道路の拡張の時に居座ったら、役場の職員に「訴えますよ!」と怒鳴られた。地税は上がるし、店でも建てて稼ぐしかない。
 小沢一郎のタダ取りの日本改造計画は、この自動的な自然破壊政策で進み、金融成長を求める者にへつらって行った。
 僕が子供の頃は、国語の先生と卵を鶏に育てたものだ。ヘチマを育ててタワシにしたり、トマトを育ててサンドイッチにした。理科の先生には小麦から御麩さんを作り、牛乳からバターを作る事を教わった。しかし今の小学校の先生は、子供はゲームで遊んでばかりで可哀そうだと仰る。
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思い出の桃 (地下水)
2013-01-08 19:46:16
 僕も、子供の頃は、御爺さんの山の畠があって、避雷針代わりに雷に当たった桐の木が倒れて、木食い虫が涌いてホガホガになっていたのを思い出します。その高木に守られて、柿や桃やグミの樹がありましたし、その木陰でネギやニンニクを作っていましたから、自然に三層のアグロフォレストリーみたいになってました。
 桃の辺りに穴を掘って、みかん掘りの雪隠で汲んだ、肥えタンゴを担いでいって、その金肥で、夏の生成りの桃は完熟で、冷蔵庫に入れておいて、食べたらジュワッと果汁があふれ出ました。今も忘れない我が家の水密桃です。
 家で食べる分なので収穫量は考え無くてよいので、虫除けは無くて、鳥除けに新聞紙で、御婆さんに教わって袋掛けをしただけです。これだけで十分で、八百屋で熟した桃とは決定的に味が異なりました。
 今、庭に御婆さんの柿が一本接ぎ木して生き残っていますが、百年を越えた昔の、深い我が家の味わいがします。世界の金融成長を考えなくてよいのならば、これが本当の一つのアイデンティティーのはずなのです。
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