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匿名で「復興は不要だ」経産官僚の残念

2013年09月26日 | 社会のニュースを考える
以下、26日の朝日新聞デジタルより

匿名ブログで「復興は不要」 経産省官僚、身元ばれ閉鎖

 復興は不要だと正論を言わない政治家は死ねばいい――。2年前、匿名ブログに書き込まれた一文が、ここ数日、インターネット上に広まり、騒ぎになっている。閲覧者らが身元を割り出し、筆者が経済産業省のキャリア男性官僚(51)であることがばれたためだ。事態をつかんだ経産省も「遺憾であり、速やかに対応する」として、処分を検討し始めた。

 この男性は経産省の課長などを務め、今年6月から外郭団体に出向している。復興に関わる部署ではないという。ブログでは匿名だったが、過激な書き込みが目立ち、仕事にかかわる記述から閲覧者らが身元を割り出したとみられる。24日午後から、実名や肩書がネット上にさらされた。

 「復興は不要だ」との書き込みは、2011年9月のもの。被災地が「もともと過疎地」だというのが根拠だ。今年8月には、高齢者に対して「早く死ねよ」などと書き込んだ。同7月には「あましたりまであと3年、がんばろっと」などと、天下りを示唆する内容も記した。



小さい頃からお勉強が出来て、そのまま経産省のキャリアになったのでしょうが、この人は、「公僕」の意味、知らないでここまで来てしまったのでしょうか。

なんだか、以前から、このブログのコメント欄でも「これって、関係者が書いていらっしゃるのかな~」って感じることがしばしばありまして。(承認制にしたらすっかり消滅?してしまいましたが。
常識的な範囲の内容なら、もちろんそれは全然構わない、むしろありがたいことなのですけれど。

上記のニュース記事の書き込みは、匿名性ゆえに、過激で醜い感情をむき出した言葉が出てしまった実例、お勉強ができても、人としての健やかな心の成長なしに、ここまできてしまった残念な例です。

しかしながら、このところ、復興庁の元幹部職員のツイッターでの市民団体を中傷する書き込みや、公称会員数1万人の自民党ネットサポーターズクラブ代表で自民党ネットメディア局長の平井卓也議員の「あべぴょんがんばれ」「黙れババア」などのニコニコ動画への書き込みなどが判明し、下卑た心もバレバレです。
大人として恥ずかしくないんでしょうか。
たとえ匿名であっても、人前で言って恥ずかしいようなことは、ネットにだって書き込むべきではないと思う。

こういう人たちが日本の中枢を牛耳っていたのかと悲しい脱力感に襲われつつも、事実が白日のもとにさらけ出されるのは良いこととも思います。
マスコミも、より多くの人々の目にこういう事実が伝わるように、しっかり報道してほしいですね。



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Unknown (メイプル)
2013-09-28 18:16:01
名門大学を出て、キャリアを積んで、もういい歳になって、日本を動かす官僚をやっているのに、この様な程度の低さを見せつけられるとため息しか出ませんね、

何の為に法律で守られているのか、何のために安定した地位と高い給料をもらっているのか、何のための都心の一等地に格安で住まわせてもらっているのか・・こういう観点というか、倫理観がすっぽりと抜け落ちてしまっている気がします。

ただ、この人は「天下りまて、後3年がんばろっと」と言っている事からも、僕にはずっとこの調子で生きてきたのだろうと思えてなりません。

中学、高校のときは「いい大学にさえ入れれば」、大学の時は「就職さえできれば」、官僚になってからは「出世さえすれば」、定年まじかになれば「天下りしさえすれば」・・

今、この瞬間を幸せに感じる事が出来ない人は永遠に幸せを手に入れることは出来ない、外の条件を求めて果てない不足感を抱え続けることになる――僕はそう思います。実際、僕もそうでしたし。そして今もその思い込みに苦しみ続けています。

後、この人や以前暴言を書き込み問題となった官僚の人から感じるのは、根深い怒りの感情です。

彼らは口をそろえて「この組織は腐っている」と言っていました・・確かに彼らの暴言は、特に社会的に弱い立場に対する、自分の地位を誇示するかのような発言は、卑劣ですし幼稚です。何年生きてきたんですかと言いたいぐらいに。

ただ、それ以上に僕は今の官僚組織の闇をこの問題に見てしまうのです。彼らがそこまで攻撃的な発言を、外にしてしまう程ストレスを感じる組織・・・どれほど腐敗しているのか知れません。

単にこの役人達を処分すればいいという問題ではないと思います。・・・そしてこの問題を解消するためには、教育を見直すしかなく、陳腐な言い方になりますが「人間性」を高める、哲学といいましょうか・・あるいはスピリチュアリティを回復する方面に教育を変えるしかないと僕は思います。

長文失礼しました
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メイプルさんへ (金木犀)
2013-09-29 17:22:29
正直なお気持ちを書いてくださって、ありがとうございます。

もう何年も前になりますが、電車の中で、某有名私立中学の制服を着た複数の子どもたち同士の会話を聞いていて思ったのは、「自分はなんでも知っているぞ」感っていうか「わからないって言ったら負け」感っていうか。
いや、エリート意識が鼻につく鼻につく(笑)
下手な大人なんか小馬鹿にしているような勢いでした。

そういうタイプの子どもたちが、一流大学から一流企業・高級官僚と呼ばれるエリートたちになり、国を動かす人材であるなら、やはり組織全体として病んでくるのではないかと思います。

以前も、どこかの記事で書きましたが、「お金を稼いだ人がえらい、経済のための犠牲は仕方ない」という価値観が、戦後日本の、日本経済教の教義になってしまったのではないかということです。

それについていけないと感じる若者たちが生まれてくるのも当然ですし、人生を有意義なものにしたい、人の役に立ちたいなど、まじめに生きる意味をとらえようとするものほど、その矛盾に悩みます。

かつて、オウム真理教の教祖に騙されてしまった人の中には、理系のエリートの方も多くいました。
彼らを責めるのはたやすいですが、おそらく、現実に限界を感じ、別の価値観を模索していて、たまたまオウムと出合い、はまってしまったのではないかと思います。
オウムでなくてもよかったのに、それに変わるもう少しまともな受け皿が社会になかったのですね。

スピリチュアルで言うなら、今でも、そんなに「ない」と思います。
むしろ、表向きでは、スピリチュアルとうたい、きれいな言葉、道徳的なことをいいながら、裏を返せばオウムじみたものが跋扈していて、セミナーだの物品販売だの結局お金儲けが目的なのだから、これも悲しくなります。

せっかく、サナギから蝶になって、大空に飛び立ったと思ったら、あちらこちらに蜘蛛の巣が張っていて、引っかかってしまうようなものです。

メイプルさんの言われることはよてもよくわかります。
しかし、教育の見直しは、デリケートな問題で、何をどういうふうに、取り入れたらいいのか、むずかしいなと思います。
特にスピリチュアルといっただけで、拒絶反応を示す人もいますし、反対に何でも信じてしまう人もいます。
スピリチュアルリテラシー?みたいなものも、必要ですが、やっぱりむずかしい。
個人的には、飯田史彦さんの著作が私にはとても納得できるものでしたが。
(なんでも信じることと、なんにも信じないことは、私には同じに思えますけれどね)

だから、むしろ、昔ながらの地域のつながり、世代を超えた人と人との広いつながりの中で、役割を持って、強く優しい心を培っていくしかないのかなと思います。

それと、時には、自然の中で、リラックスした時間を持ち、ネットなどからも離れて、自然の中のかそけき声に耳をすませること。
導きや癒やしは、人間ではなくて自然の中にこそあるのではないかと思います。
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