11月6日の東京新聞1面トップに、こんな漫画が・・・
一体、いつ誰が、漫画のセリフをかえてしまったのか。
まるで、豊洲市場の盛土問題みたいに、責任の所在が曖昧で、関係者もわからないとは?
版を改定するときに、厚い漫画本の、ひとコマのセリフなど、いちいちチェックも入らずに、何も引っかからずにスーッと来てしまったのだろうか。
>日本が湾岸戦争で国際的な批判を受けた後、漫画の表現が変わった。日本人が、改憲を現実的な問題として真剣に考え始めた
この言葉には少し異議があります。ドイツの方なら、相対的な対象として「日本人」という言葉を使ったのだとはわかりますが、当然日本人の多くは、今も改憲を望まない人のほうが過半数だからです。
これは、湾岸戦争時に、外務省がお金だけだしても、多国籍軍として参加できなかったことで感謝されず、惨めな思い、コンプレックスのように感じたことが原因で、外務省の中にも9条を変えることが宿願となった人たちもいたということです。
しかし、大金を出しても感謝されなかったというのは、日本の負担した金130億ドルの大半がアメリカにわたって戦費に使われ、肝心のクエートの復興には残りのわずかしか回らなかったため。
感謝されなかったというのは、誤解を招いたむしろ外務省の説明不足だったとわかっています。
http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2007/sakimori/news/070822.html
しかしそれを口実として、本当は国内の改憲勢力が利用。9条をなくすための布石を打っていたのだと今になってわかりますが。
だから、この漫画のセリフ一つとっても、1950年代から連綿と続く「改憲宿願のある勢力」が着々と準備してきたその一環の一つなのだろうなあ・・・と。それは感じます。
★関連記事
憲法9条は、アメリカの押し付けではなかった
9条を提案した幣原喜重郎氏の決断
逆境は意識レベルを上げるチャンスでもある
入れ替わった9条提案 学習漫画「日本の歴史」
入れ替わった9条提案 学習漫画「日本の歴史」
東京新聞 2016年11月6日
戦争放棄を盛り込んだ憲法九条は、日本側の意思でつくられたのか、それとも連合国軍総司令部(GHQ)に押し付けられたものなのか。長く論争となってきたテーマについて、読者の方から興味深い情報が寄せられた。小学館の学習漫画は当初、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)首相の提案と表現していたが、ある時からマッカーサーGHQ最高司令官の提案に変わったという。記載はいつごろ変わったのか、どんな事情があったのか、学習漫画を巡る「謎」を追った。
学習漫画は「少年少女日本の歴史」。第一巻が一九八一年から刊行されているロングセラーだ。指摘された場面は第二十巻「新しい日本」の中で、四六年一月二十四日の幣原・マッカーサー会談を描いた一コマ。出版時期が違うものを探して比べたところ、絵柄はほぼ同じなのに発言内容が変わっていた。
具体的には、九三年三月発行の第三十三刷は、戦争放棄を憲法に入れるよう提案したのは幣原としていたが、九四年二月発行の第三十五刷はマッカーサーの提案となっていた(第三十四刷は見つからず)。現在発行されている増補・改訂版は二十一巻で現憲法制定に触れているが二人の会談場面は描かれていない。
漫画の表現変更は昨年夏ごろからツイッター(短文投稿サイト)で話題になっていた。その中から「国会前で『憲法は米国に押しつけられたのではなく、日本側が戦争放棄を提案したのです』と訴えるチラシをもらった。配っていたのはシルヒトマン氏」との書き込みを見つけた。
その人は埼玉県日高市のドイツ人平和歴史学者、クラウス・シルヒトマン氏(72)。幣原や九条について何十年も研究し、日本語やドイツ語、英語で本も出している。幣原提案説に立つ。漫画の表現変更に気づき、新旧の描写を著書に載せたり、はがきにして首相官邸前デモで配ったりした。それが拡散したようだ。
漫画の表現変更の理由は知らないという。記者も手を尽くしたが、監修した学習院大学元学長の児玉幸多(こうた)氏は二〇〇七年に死去。小学館広報室も「記録が残っていない。当時の担当編集も退社し、経緯は把握していない」との回答だった。
シルヒトマン氏=写真、朝倉豊撮影=
◆ドイツ人研究者指摘「湾岸戦争で世界の批判影響か」
シルヒトマン氏に漫画の書き換えや憲法九条について聞いた。
-幣原元首相や憲法九条になぜ興味を持ったのか。
「ドイツの平和学会に入り、各国の憲法、特に平和に関する規定に興味を持った」
-漫画の表現の書き換えに気づいた経緯は。
「日本人に広く読まれている漫画で、どう表現されているのか興味を持った。最初に幣原がマッカーサーに(戦争放棄を)提案している方を見つけ、その後、真逆のストーリーになっていることに気が付いた」
-表現が変わった理由をどう考えるか。
「日本が湾岸戦争で国際的な批判を受けた後、漫画の表現が変わった。日本人が、改憲を現実的な問題として真剣に考え始めた証しではないか」
-改憲勢力には、九条も時代に合わせて変えるべきだという意見がある。
「九条は本来、国連が世界連邦として機能し、世界中で武装解除が進むという理想を見据えて策定された。現実はそうなっていないが、今は過渡期。変えたらすべて終わってしまう」
-九条はむしろ世界に広げていくべきなのか。
「戦力不保持を明記した九条は際立っている。この条文を各国の憲法に生かすことができれば、大きな起爆剤となるはずだ」
<憲法9条> 戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を明記し、平和憲法の根幹と位置づけられる。1946年1月24日、幣原喜重郎首相がマッカーサーGHQ最高司令官と会談した際に戦争放棄を入れるよう提案したという説と、否定する説がある。
<ニュース読者発> 今回の取材は、千葉県佐倉市の匿名の女性が送ってくださったファクスが発端です。表現が変わった理由は解明できませんでしたが、いろいろ気づかされたことがありました。(北條香子、安藤美由紀)
東京新聞 2016年11月6日
戦争放棄を盛り込んだ憲法九条は、日本側の意思でつくられたのか、それとも連合国軍総司令部(GHQ)に押し付けられたものなのか。長く論争となってきたテーマについて、読者の方から興味深い情報が寄せられた。小学館の学習漫画は当初、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)首相の提案と表現していたが、ある時からマッカーサーGHQ最高司令官の提案に変わったという。記載はいつごろ変わったのか、どんな事情があったのか、学習漫画を巡る「謎」を追った。
学習漫画は「少年少女日本の歴史」。第一巻が一九八一年から刊行されているロングセラーだ。指摘された場面は第二十巻「新しい日本」の中で、四六年一月二十四日の幣原・マッカーサー会談を描いた一コマ。出版時期が違うものを探して比べたところ、絵柄はほぼ同じなのに発言内容が変わっていた。
具体的には、九三年三月発行の第三十三刷は、戦争放棄を憲法に入れるよう提案したのは幣原としていたが、九四年二月発行の第三十五刷はマッカーサーの提案となっていた(第三十四刷は見つからず)。現在発行されている増補・改訂版は二十一巻で現憲法制定に触れているが二人の会談場面は描かれていない。
漫画の表現変更は昨年夏ごろからツイッター(短文投稿サイト)で話題になっていた。その中から「国会前で『憲法は米国に押しつけられたのではなく、日本側が戦争放棄を提案したのです』と訴えるチラシをもらった。配っていたのはシルヒトマン氏」との書き込みを見つけた。
その人は埼玉県日高市のドイツ人平和歴史学者、クラウス・シルヒトマン氏(72)。幣原や九条について何十年も研究し、日本語やドイツ語、英語で本も出している。幣原提案説に立つ。漫画の表現変更に気づき、新旧の描写を著書に載せたり、はがきにして首相官邸前デモで配ったりした。それが拡散したようだ。
漫画の表現変更の理由は知らないという。記者も手を尽くしたが、監修した学習院大学元学長の児玉幸多(こうた)氏は二〇〇七年に死去。小学館広報室も「記録が残っていない。当時の担当編集も退社し、経緯は把握していない」との回答だった。
シルヒトマン氏=写真、朝倉豊撮影=
◆ドイツ人研究者指摘「湾岸戦争で世界の批判影響か」
シルヒトマン氏に漫画の書き換えや憲法九条について聞いた。
-幣原元首相や憲法九条になぜ興味を持ったのか。
「ドイツの平和学会に入り、各国の憲法、特に平和に関する規定に興味を持った」
-漫画の表現の書き換えに気づいた経緯は。
「日本人に広く読まれている漫画で、どう表現されているのか興味を持った。最初に幣原がマッカーサーに(戦争放棄を)提案している方を見つけ、その後、真逆のストーリーになっていることに気が付いた」
-表現が変わった理由をどう考えるか。
「日本が湾岸戦争で国際的な批判を受けた後、漫画の表現が変わった。日本人が、改憲を現実的な問題として真剣に考え始めた証しではないか」
-改憲勢力には、九条も時代に合わせて変えるべきだという意見がある。
「九条は本来、国連が世界連邦として機能し、世界中で武装解除が進むという理想を見据えて策定された。現実はそうなっていないが、今は過渡期。変えたらすべて終わってしまう」
-九条はむしろ世界に広げていくべきなのか。
「戦力不保持を明記した九条は際立っている。この条文を各国の憲法に生かすことができれば、大きな起爆剤となるはずだ」
<憲法9条> 戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を明記し、平和憲法の根幹と位置づけられる。1946年1月24日、幣原喜重郎首相がマッカーサーGHQ最高司令官と会談した際に戦争放棄を入れるよう提案したという説と、否定する説がある。
<ニュース読者発> 今回の取材は、千葉県佐倉市の匿名の女性が送ってくださったファクスが発端です。表現が変わった理由は解明できませんでしたが、いろいろ気づかされたことがありました。(北條香子、安藤美由紀)
一体、いつ誰が、漫画のセリフをかえてしまったのか。
まるで、豊洲市場の盛土問題みたいに、責任の所在が曖昧で、関係者もわからないとは?
版を改定するときに、厚い漫画本の、ひとコマのセリフなど、いちいちチェックも入らずに、何も引っかからずにスーッと来てしまったのだろうか。
>日本が湾岸戦争で国際的な批判を受けた後、漫画の表現が変わった。日本人が、改憲を現実的な問題として真剣に考え始めた
この言葉には少し異議があります。ドイツの方なら、相対的な対象として「日本人」という言葉を使ったのだとはわかりますが、当然日本人の多くは、今も改憲を望まない人のほうが過半数だからです。
これは、湾岸戦争時に、外務省がお金だけだしても、多国籍軍として参加できなかったことで感謝されず、惨めな思い、コンプレックスのように感じたことが原因で、外務省の中にも9条を変えることが宿願となった人たちもいたということです。
しかし、大金を出しても感謝されなかったというのは、日本の負担した金130億ドルの大半がアメリカにわたって戦費に使われ、肝心のクエートの復興には残りのわずかしか回らなかったため。
感謝されなかったというのは、誤解を招いたむしろ外務省の説明不足だったとわかっています。
http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2007/sakimori/news/070822.html
しかしそれを口実として、本当は国内の改憲勢力が利用。9条をなくすための布石を打っていたのだと今になってわかりますが。
だから、この漫画のセリフ一つとっても、1950年代から連綿と続く「改憲宿願のある勢力」が着々と準備してきたその一環の一つなのだろうなあ・・・と。それは感じます。
★関連記事
憲法9条は、アメリカの押し付けではなかった
9条を提案した幣原喜重郎氏の決断
逆境は意識レベルを上げるチャンスでもある
ひょっとして図書館などで読んだかもしれませんが…
その後、中学校の社会科では、担当の先生は改憲論者ではありませんでしたが
「戦争直後、国民に憲法草案を募集したらまた、軍国主義的な憲法ばかりがやってきたのでアメリカから現在の憲法を提案された」と学んだような気がしますが…
高校でも同じようなことを学んだようなきがします。
てことはこの漫画が改訂されたのは1984年頃ではないかと思います。
いずれにせよ、現在改憲賛成の人は過半数を超えていないはずなのに改憲しようとする安倍さんの提案する憲法こそ押し付けだと思いますけどね(≧∇≦)
そうですね、
長くそのようなことが言われてきたのも理由があります。
軍の存在が絶対だった、戦前戦中。
戦後すぐに、憲法に戦争放棄を盛り込むこと、日本人がそれを言いだしてしまうことは、それまでの常識からでは国賊のそしりを免れないし、必ずや反対され、潰されてしまうだろうと言うような思いがあった。
だからこそ、アメリカから言われた、ということにしてほしいと、幣原自らが、マッカサーに言っていたのです。
昭和26年(1951年)には、幣原自らがすでにそのように、打ち明けていた。
以下、前に書いた記事、本文中には掲載していませんが、コメント欄に書いたことですが・・
******
昭和26年の平野三郎氏の聞き取りレポートによれば
戦争放棄を憲法に盛り込むことは、
>一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならないことであるから
> この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。
そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。松本君にさえも打ち明けることのできないことである。幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和二一年の一月二四日である。その日僕は元帥と二人きりで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ。
と書かれています。
当時は、アメリカが絶対ですから、押し付けられた、と言わなければ、各方面から反対意見がでて、憲法に盛り込むことは無理だったのだろうと察します。
過去を振り返れば、国民にとっては、よくやってくださったと思うことも、その場の時間軸では、評価されないこともあります。
******
>改憲しようとする安倍さんの提案する憲法こそ押し付けだと思いますけどね(≧∇≦)
同感です。
つまり、マ元帥に提案する動機は十分ありマ元帥の方にかえってありません。
歴史改ざんの最たるものですね。
戦争放棄は、幣原氏の悲願だったのですね。
千載一遇の機会を潰されたくなかったため、当時は嘘も方便を使ったのでしょう。
その気持は痛いほどわかります。
その後、オフレコでは自分の考えだったことを語っていたことが、幾つかの資料ではっきりと残っていますから。