「地震学の今を問う」と題した日本地震学会の特別シンポジウム
=15日午前、静岡市の静岡大学(写真:東京新聞)
=15日午前、静岡市の静岡大学(写真:東京新聞)
■「従来の考え方はリセットを」 地震学会が反省のシンポ(朝日新聞) - goo ニュース
日本地震学会は、東日本大震災の想定や被害軽減への貢献が不十分だったという反省から、研究者と社会のかかわりかたを考える特別シンポジウムを15日、静岡市で開いた。参加者は、研究や予測の問題を率直に語り、討論した。
地震の予知・予測研究に長年批判を続けてきた東京大のロバート・ゲラー教授が特別講演で「現在の地震学の考え方である、大きな地震は周期的に繰り返し、発生前に前兆現象があるという前提は成り立たない」と批判。「従来の地震発生の考え方はリセットするべきだ」と呼びかけた。
「結果的に、私自身は間違っていた」。東北大の松沢暢教授は自身の発表でこう述べた。宮城県沖ではマグニチュード(M)7級の地震が数十年おきに繰り返すと予測され、防災対策が進んできたが、発生した地震はM9だった。シンポジウムでは、なぜM9が想定できなかったのか、地震学の常識がじゃまをしたことなどを分析した。これまでの考え方を見直し、今後は、今回よりさらに大きいM10の巨大地震の可能性も検討する必要があるとした。
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常識が邪魔をして、M9を予測できなかったと、地震学会が反省しています。
加えて、16日の東京新聞によれば、上記の松沢暢教授は、「地震学の大きな敗北だ」などと自己批判したそうです。
そして、政府の中央防災会議での議論に関わった同大学院の長谷川昭教授からは、「今後は、学会としてもっと多様な意見を共有するべきだ」との提言が出されたとのこと。
ピンチはチャンスとよく言うことですが、今までの常識に凝り固まって、新たな意見を受け入れられない・・・ということは、どんな組織や学会などにもままあることです。
これほどの犠牲を出した、大震災でしたから、地震予知に、多様な意見を受け入れられるような土壌ができたことは、良い変化だと言えるのではないでしょうか。
たとえば、動物たちの異変や、地震雲など、自然界の異変は、古来より大地震の前兆として、民間レベルでは、先人の知恵だったり、伝承の形で言われてきたことです。
しかし、大きな組織ほど権威にこだわり、長年コツコツと重ねてきた個人の研究は疑似科学とかなんとか決めつけて、このような民間研究の人たちのいうことを科学的根拠がないと、ばかにしたり、はなから取り合わなかったり・・・。
それによって、地震予知につながるなら、多角的に視野に入れたらいいじゃないかと普通の人間なら思いますけど、一部の権威が大事な人たちは、地震予知よりも自分たちの学者様としての地位を保持することに、エネルギーを傾けていたのでしょうか。・・・な~んて、ねちねちと嫌みの一つも言いたいところだけれど、本人たちが反省しているのだからやめとこう。(←って、しっかり言ってる)
今からすでに19年も前になってしまうのですが、1992年のニュースステーションで、大変興味深い研究を取り上げていて、youtubeに、それをアップしてくださった方がいらっしゃいました。本当にありがたいことです。
地方を問わず、中央構造線の上にある地域と「龍」という字のつく地名の符牒など、ハッとさせられましたです。ぜひご覧ください。
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地震雲
ちなみに、木村秋則さんの一番新しいご本「奇跡を起こす見えないものを見る力」には、3月10日、木村さんの知人が、木村さんに送ってくれた十和田湖近辺で撮られた雲の写真があるのですが、やっぱり龍のように長く光っていました。
木村さん自身も、日本海中部地震前日に見た雲とそっくりの雲を東日本大震災前日に見たのでとっさに「大きな地震が起きなければいいが」と思ったとのこと。
新刊なので、これ以上書くとネタバレになって申し訳ないですから、詳しく知りたい方はぜひ木村さんの本を手にとって読んでくださいね。木村さんの知人が送ってくれたという龍のような雲の写真も出ていますよ。
すべてはつながっている・・・という前提に立てば、地面の下で起こっていることと地面の上、さらにその上空、木村さんのいわれるように見えないものを見ようとすること・感じることによって、普段見過ごしていたものが、今までと違うメッセージを発しているように見えてくるものではないでしょうか。
---続く
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