ボニーを失った喪失感はあまりにも大きく
心に大きな穴があいたままで
それでも 今までと同じように時は過ぎていきます
ボニーは我が家にはもったいないくらいの立派な優しい子でした。
動物病院に運んだあの日――
あの日 すでに危篤寸前だったあの時――昼に
排泄のためにふらふらになりながら下に降りていったのです。
部屋を汚してはいけないと 最後の力をふりしぼったのだと思います。
あんな状態で…そのまましてしまって構わなかったのに…
それを思うと後になって 今さらですけれど
かわいそうで たまらない気持ちになるのです。
早期発見で何とかなったとは思っていません。
腫瘍は1~2ヶ月もあればこのくらいになると言われました。
そして血管肉腫は血管内ですぐに転移するとのことでしたので
もうその時点で助かることはなかったと思います。
ただ、わたしは ただただ
病気に気付いてやれなかったのがつらいのです。
夫との時間は少ないけれどボニーとの時間はたっぷりあると思い込んでいて
あんな形でお別れすることになるとは思いもよらず・・・
そのことが悲しくてならないのです。
昨年の6月2日――
6月2日はわたしが勝手に決めたボニーの誕生日ですが
ボニーはこの日10歳になりました。
この時点でもわたしはボニーを老犬とは認識していませんでした。
老いたと気付いたのは 白内障になってからでした。
目が見えづらい状態になって 初めて
「ボニーはわたしの年齢を越してしまった」
と思いました。
あと何年一緒にいられるのだろう…5年?6年?
そう思うと切なくて愛おしくて たまらなくなって
ボニーを抱きしめました。
一緒にいられたのは実際には3ヵ月でした。
わたしは夫にも
ボニーがいるのだから ボニーが5年6年は生きるのだから
あなたはそれ以上生きてくれなくては困ります
そう言っていました。
それは夫を励ます言葉だったのですが
今となってはそれは ひどく残酷な言葉でした。
夫の病状では生存期間の平均値が1年…と前に書きましたが
実は生存1年というのは10%~40%だけで
逆にいうと60%~90%はそれ以下ということになります。
それ以上の記載はありませんので どれだけ厳しい状況か…と思います。
「でも、それはその時の古いデータなのだから」
「今後はまた新たな治療法が見つかるはず」
かなり苦しいですが 励ます言葉が見つからず…
それでも生きる希望を捨てないでほしくて
そう言っていました。
ボニーは本当に家族思いで
息子が夫にふざけてプロレス技をかけた時
「いたたたた・・」
と言う夫を 本気で心配して 何とか止めようとしたり
夫が病気になってからは心配して様子を見に行ったり…
前は夫を起こそうと ベッドに回り込んで夫の手を鼻でつついたりしていたのに
いつの間にか寝室の入口までしか行かなくなり
そして そこで伏せて静かに見守っていました。
本当に優しい素晴らしい子でした。
わたしはボニーに正しい生き方を教わったような気がするのです
あの苦しい日ですら 泣き言もいわず
あんな状態の体で頑張って下に降り
声もあげず 静かに目を閉じ
死を受け入れるようにして
旅立っていったあの子に
『正しく誠実に生きなさい』
そう教えられたように思うのです