愛しのボニー

元保護犬
2020年9月21日没(推定10歳)
ラブラドール・レトリバーのボニーの思い出

普通に暮らせている幸せ

2021-02-20 12:35:37 | つぶやき

2019年の年明けすぐに近くの内科医院に検査結果を聞きに行った夫――

病名を聞かされ「黄疸がでたらすぐ(死)だ」と言われて

涙ながらにわたしに言いました。

「ごめん、もう○○ちゃんを守ってあげられないんだ」(○○はわたしの名前です)

 

保護者…そう、両親を早く亡くしたわたしにとって

夫はまるで保護者のような存在でした。

 

その後専門の病院を紹介され 延命治療を始めましたが

その病院のWebサイトのデータを見ると 

夫の状態では余命半年くらい…ということになります。

 

日ごとに痩せ衰えていく夫をどうしてあげることもできず

ネットや書籍を読みあさる毎日で それは今から思うと嘘ばかりでしたが 

何とかしたくてサプリメントを多種取り寄せたり

異常なほど食事に神経をとがらせたりしていました。

 

まさに『溺れる者は藁をもつかむ』の心境でした。

驚くほど藁だらけでしたけれど。

 

治療直後は副作用でとくに具合が悪く 5日ほどはほとんど食事はとれず

やっとおさまってきたかと思うとまた治療日が近づいてくるというストレスを抱えて

どんどん痩せていきました。

 

元々の体重は74kgでしたが(どちらかというと大柄なほうです)

60kgをきった後は体重を聞いても教えてくれなくなりました。

つらくてわたしも聞けなくなりました…

骨と皮だけになってしまい 55kgくらいまでになったと思います。

 

それでも夫は仕事に復帰しました。

以前ほどではありませんが働いています。

息子・娘は止めましたが 仕事が生きがいの夫ですので

止めることはできませんでした。

 

ただ、このままでいいの?という思いは常にわたしの頭から離れません。

夫には年老いた母がいますが 兄弟で話し合い 母には病気のことを隠しています。

母は歩行は困難なもののそれなりに元気で暮らしていますが

病気のことを知ったらおかしくなってしまう…というのです。

 

そうすると…このまま終わってしまっていいの?

仕事ばかりして 母には会わず(今はコロナ禍で会えませんが…)このままで…?

そう思ってもわたしには何も言えませんし

母のことに関しては(夫にとっていちばんの身内であるにもかかわらず)

わたしはなんの意見も言えません。

 

本当はわたしもあっぷあっぷと溺れているような苦しい状態で

でも夫を思うと弱音も吐けず

今は何かに集中することで正気を保っている気がします。

でも…本当はひとりになるのが怖くて怖くてたまらないのです。

 

ただ、不思議なのですが

最近は何かの力で守られている気がするのです。

 

昨年の12月、夫の体調は最悪でした。

非常に悪い状態なのに病院に行くのを拒んでいました。

それは前に高熱を出し苦しんでいたときに 

解熱剤を出すだけで何もしてくれなかった

病院に行っても苦しさは何も変わらないという気持ちからでした。

 

そんな状態で病院に行きましたがすぐに入院となりました。

 

わたしはこれで終わりかと絶望しましたが、

原因は元々の病気とは別のところだとわかり

治療の結果、とても体調が良くなり年内に退院できました。

 

退院直後 見た目は痛々しい姿でしたが 食欲が出て

散歩にも出られるようになりました。

最近では歩く速度も速くなり

こんなに元気に歩いたのは2年数カ月ぶりで夢のようです。

 

病気自体は治らない…とわかっていますが

病気を抱えながらでも長生きしよう

そう言って励ましています。

 

思うと現在の病院を紹介されたこと

黄疸になっていないこと(むしろ黄疸になって病気に気付くケースが多いらしいのです)

担当の医師がわたしの思っていたことをきっぱりと否定してくれたこと

(おかげで怪しい治療に足を踏み入れずにすみました)

入院のことも…(あのタイミングを逃していたら危なかったと思います)

すべてに幸運だったと思います。

 

今は体重も60kgあると言います。

食欲もあり 最近は治療後も一日で回復するようになりました。

奇跡的に普通に暮らせています。

 

たぶん、今後 夫も病院の研究データとして残されるのでしょう。

 

おかしなことかもしれませんが

わたしは何かに助けられ守られている気がしてならないのです。

何ものかの力で生かされているように思えるのです。