昨日、仕事をしていたら、同じ部署のおじさんが「三浦春馬ってまだ若いよね?」って唐突に聞いてきました。
何の脈絡もなく聞いてきたので、「はい…(???)」と戸惑いながら答えたら、「死んだって」。
はッ???
思い切り声に出しました。
ちょっと何言ってるかわからないw(サンドウィッチマン風)
自殺だって、と聞いてさらに、何で?という思いが。
このおじさん、前に志村けんがなくなった時も、仕事中に「志村けんが死んだって」と唐突に言ってきたことがあるので、訃報速報おじさんと今日から命名します。
しかも、昨日はおじさんより上司の、部長の目の前で言ってきました。そこは自重してください。そして勤務時間中に芸能ニュース見ないでください。仕事しろ。
そんな訃報速報おじさんのことは置いといて。
また日本の宝を一人失ってしまいました。
どうすることも出来なかったのでしょうか…。原因が分からないから何とも言えませんが。
喪失感がすごい。
死が、人生の一つの選択肢になっていることがとても悲しいです。
考えるだけなら、私も何度も死にたいと思ったことはあります。ただ、死ぬ勇気がなかっただけ。
ただ「死にたい」とそう思えば、言えば、少し楽になれた。悲しみや怒りをぶつける先がなくて、自分のダメな部分に向かって「ほんと死ねばいいのに」って、一人の時にひたすら呟いていました。
それを実行してしまったことが、誰も止められなかったことが、この世界に引き留められなかったことが、ただただ悲しいです。
その選択肢を選ぶ他なかったことが。
自殺する人は往々にして、いったんその世界に入ったら、回りが目に入らないんだと思います。自分は、世の中は負の感情に溢れてる、と。
楽しいことがどこか遠くの世界のことのように感じて、自分だけが取り残されてしまうような感覚。
いつも一人でいた、という情報も目にしましたが、現代のこの状況下では、一人でいることほど危険なことはないと思います。
孤独なように見えて、意外と人って、色んな人に影響を与えているものなんですよね。自分が気付いていないだけで。
私も母の葬儀を経験して心からそう思いました。晩年、友人との連絡も、親戚からの連絡も途絶えていた母ですが、葬儀には、私が会ったことのない、顔も名前も知らない人達が沢山来ました。
(連れてこられた人もいるんでしょうけど…)
自分が死んでも悲しむ人がいないなんて思わないでほしい。自分がそう思ってるだけで、悲しむ人は沢山いるんです。芸能人なら尚更でしょう。
この世界は悪意に満ちていると考えないでほしい。全体的に見れば、悪意の総数が多いのかもしれませんが、それが全てじゃない。善意もあるんです。自分がそこに目を向けられてないだけなんです。悪意にばかり気を取られないで。
追い詰められた時は、善意だけ見つめていればいい。プラスの感情だけ。
死なせたくはなかった。
今となってはどうしようもないことですが…
これから先、死を選択肢の一つとして選ぶ人が減って欲しいと心から思います。
最近になって性善説と性悪説を考えるようになりました。人間の本性は善で出来ているのか、悪で出来ているのかを説くものです。ちょっと勉強しよう。
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