よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

舫(もやい)-大阪府泉佐野市:泉佐野漁港

2024年10月18日 | 大阪(大阪市以外)
Izumisano Fishing Port, Izumisano City, Osaka Pref.

さてさて、「さの町場」の散策もそろそろ終わりの時を迎えようとしていました


見越しの松が見事な古い民家がありました。「見越しの松」とは、こんなふうに塀や壁から外へ松を出して、
外から見えるようにしている松のことですね


かと思えば、昭和の時代から時間が停まったかのような古いアパートがありました。
今の時代はもう手前のようなブロック塀は、倒壊した際の危険性を考えて設置できませんな


この建物は銭湯だった建物だそうです。今はもう銭湯としては利用されていません。
ワタクシはこの後、一旦泉佐野駅前の駐車場に戻り、車に乗って次の目的地へ向かいました


泉佐野漁港に着きました。大阪府南部にはここ泉佐野漁港をはじめ、
田尻漁港、樽井漁港、深日漁港など、漁港がいくつもあるんですよ


港などに船が繋ぎ止められていることを「舫」(もやい)と言いますが、ワタクシはなぜかこの言葉が好きなんですよ。
船が舫う…ワタクシにはこの言葉からのどかな漁港の姿が頭に浮かんでくるのです


ここ泉佐野漁港ではシャコ、ワタリガニ、タコ、タイなどが水揚げされるのですが、特に有名なのがガッチョという魚です。
ガッチョは全国的にはネズミゴチ、メゴチと呼ばれるのですが、ワタクシ達にはガッチョという呼び方が馴染んでいます


ガッチョはなんと言っても天ぷらで食べるのが美味しいのです。
知人にこの地域出身の人がいるのですが、「天ぷらも美味いんですけど、唐揚げも美味いんですよ」とのことです

この
ではでは、この漁港に来た本当の目的の場所に向かうとしましょうか

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


同じ大阪府でも、この辺りは昔の和泉国で「泉州」と呼ばれます。私が暮らしているのは昔の河内国でして、
大阪府でも北部は昔の摂津国になるんです。この3つの地域は文化、風習、言葉がやっぱり違うんですよ。
狭い大阪府なんですが、地域差がはっきりとあるのは面白いですね。



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地図好き-大阪府泉佐野市:さの町場

2024年10月17日 | 大阪(大阪市以外)
Sano Machiba, Izumisano City, Osaka Pref.

さてさて、古い街並みが残る「さの町場」と呼ばれる旧市街地をワタクシは歩いていました


この辺りは観光地ではありません。そして、昔ながらの旧市街地ですので住民の高齢化も進んでいるようです。
ですので、子ども達の元気な声が聞こえてくることもなく、ワタクシは静かな散策を楽しんでいました


昭和の雰囲気満載の路地。その彼方に高層ビルが見えますが、これは「スターゲイトホテル関西エアポート」というホテルです。
泉佐野市の沖合には関西国際空港がありますので、このホテルも多くの外国人観光客が利用しているのでしょうね


雑然とした狭い路地と近代的な高層ホテル…この対比が面白く、ついついレンズを向けてしまいました


そんな路地の端っこに、随分とポップな絵が描かれた建物がありました。
「なんじゃ、これは?」と思ったのですが、ここは駄菓子屋さんということでした。
ワタクシ、子どもの頃は駄菓子屋が好きで、よく駄菓子を買いに行ったのですが、
駄菓子屋さんって必ずおばあちゃんがお店を切り盛りしているイメージがあるんですよねぇ


面白いものがありました。これは「力石」というそうで、重さが150kgもある石なんですよ。
17~19世紀、「いろは蔵」と呼ばれる土蔵へ、物産を運ぶ人達の船待ち場がありました。
この力石は彼らの力だめし、鍛錬、娯楽として使われたと考えられています


迷路のように狭い道が入り組んだ「さの町場」。ここを初めて訪れた人は、かなりの確率で道に迷うんじゃないかと思います。
ただ、ワタクシは数少ない特技が「東西南北の方角が常に頭にある」ということでして、余程でないと道に迷わないんです。
この日のように晴れていれば太陽の位置を確認すれば東西南北が判断できますし、
高層ビルやタワーがあればそれが目印となって方角がわかりますからね


なにせ子どもの頃から地図を見るのが好きで、地図を見る習慣が身についています。
ですので、「地図が読めない」「地図見ていても道に迷う」というのがワタクシにはあり得ないことなのです


この日も「さの町場てくてくマップ」というのを持ち歩いていましたので、道に迷うことはもちろんですが、
どこを歩けば良いのか悩むこともありませんでした

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


地図を見るのが好き、方角がすぐにわかる、乗り物に長時間乗るのが苦にならない、早起きが得意…。
我ながら旅行に向いた体質だなぁと思います。これはありがたいことです。
さあ、あと何年旅行に行けるかわかりませんが、できる限りは旅を続けていきたいですね。



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停まった時間-大阪府泉佐野市:さの町場

2024年10月16日 | 大阪(大阪市以外)
Sano Machiba, Izumisano City, Osaka Pref.

さてさて、泉佐野市にある「さの町場」と呼ばれる旧市街を訪れたワタクシは、
カメラを手に古い町並みを歩いて行きました。この日(9月7日)も相変わらず強い日差しでした


泉佐野市は大阪市から南海電車で約30分ほどの距離です。しかし、この辺りは今でも蔵や古い町屋が残っています。
この地で廻船業者を営み、江戸時代の長者番付に度々登場した「食野家」が生活していた拠点として繁栄していました


食野家(めしのけ)は江戸時代中期から幕末にかけて泉佐野を拠点として栄えた豪商の一族だそうです。
北前船による廻船業や商業を行うほか、大名貸や御用金などの金融業も行い、巨財を築いたということです


なんともレトロな、昭和30年代生まれのワタクシには懐かしい雰囲気の散髪屋さんがありました。もちろん今も現役です


「泉佐野ふるさと町屋館」という建物がありました。約200年前に新川喜内が醤油問屋を営むために建てた町屋で、
泉佐野市の指定文化財となっています


土間・仏間・座敷・外蔵・内蔵がある館内には、江戸時代中期の生活の様子を伝える展示がされており、
当時の人々の暮らしぶりを窺い知ることができました


この建物の中で落語、茶会などのイベントも行われていたり、建物の貸切利用なども出来るようです


地元のボランティアの方の話を聞きながら、館内を見学しました。ボランティアの方の話というのは楽しいものです


昔懐かしい白黒テレビがありました。ワタクシの実家はワタクシが物心ついた時は、まだ白黒テレビでした。
小学校2年生か3年生の時に、カラーテレビが我が家にやって来たのですが、カラーテレビが家に運び込まれる時は、
なぜか家族全員正座をしてセッティングの様子を見ていたことを記憶しています


古い女性雑誌が置いてありました。右の雑誌の表紙は、一瞬アン・ルイスかと思いましたわ

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


大阪市の中心部から30分ほどの場所に、まるで時間が停まったかのような町並みが残っていることに驚きます。
ただ、私が前回訪れた時に比べて、随分と新しい家屋が増えているなと思い、ボランティアの方に「どうしてですか」と訊いてみたんです。
すると、平成30年に大阪に大被害を与えた台風21号の暴風で、多くの古い家屋が破損したので新築、建て替えをしたのだそうです。
そういえばあの台風で、泉佐野市にある関西国際空港が水没したり、暴風で流されたタンカーが関空連絡橋に衝突したのは、
私たちの記憶にも新しいですよね。



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迷路のような町-大阪府泉佐野市:さの町場

2024年10月15日 | 大阪(大阪市以外)
Sano Machiba, Izumisano City, Osaka Pref.

さてさて、9月7日の土曜日にワタクシは近場で散策を楽しもうと思い、大阪府南部にある泉佐野市へと向かいました。
8:30に南海電車泉佐野駅近くの駐車場に車を停め、町並み散策に向かうことにしました


泉佐野駅に来てビックリ。駅の上にベッセルホテルという大きなホテルが出来ていたんです。
関西以外の方はあまり知らないかもしれませんが、泉佐野って関西国際空港があるんですよ。
インバウンド効果で多くの外国人観光客が来るので、こういうホテルが造られたのでしょうね


驚くほど近代的になった泉佐野駅から海側に向かって歩いて5分ほどで、「つばさ通り」というレトロな商店街があるんです


この商店街もなかなかの寂れ具合でして、多くのお店のシャッターが降りていました。
この商店街から海側に広がる泉佐野の旧市街地は「さの町場」と呼ばれ、
古き良き時代にタイムスリップしたかのような町並みが広がっているんです。
今回は「さの町場」をのんびりと散策するために、泉佐野へとやって来たんですよ


商店街のすぐ西側に、1897年に設立された泉陽銀行の跡地があり、当時の名残を示す蔵がありました


その蔵の石積みに「お多福石」と呼ばれるかわいい石がありました。
この場所で、どれほどの長い期間 繁栄を願って微笑んでいたのでしょうね


商店街を抜けると「春日神社」という立派な神社がありました


社伝によれば、宝亀年間(770年~781年)に坂上田村麻呂が奈良の春日大社から
春日神四座を勧請したのが始まりであると伝えられていますので、ずいぶんと古い歴史があるんですね


現在の本殿は江戸時代中期に建立されたものと考えられています。
この神社は泉佐野市の旧市街であり古くからの港町でもあるさの町場の鎮守で、
泉佐野市では有数の神社として人々に親しまれているということです

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


大阪の表玄関でもある関西国際空港のすぐ近くに、2020年に「日本遺産」に認定されるような古い町並みがあるのが不思議な気がします。
でも、新旧が混在するような混沌さが、大阪らしいという気がします。
ではでは、迷路のように入り組んだ町並みを散策するとしましょうか。



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いずれは名刹に-大阪府泉南市:長慶寺

2024年07月08日 | 大阪(大阪市以外)
Choukeiji Temple, Sennan City, Osaka Pref.

さてさて、大阪府泉南市にある長慶寺にやって来たワタクシ達は、紫陽花の花が咲く境内を歩いていました


ワタクシ達は車で来たので、お寺の裏側にある駐車場からお寺の境内に入っていきましたが、
本来はこちらの石段から仁王門に向かうのがお寺への入り口になるのですね。
石段の両側には多くの紫陽花が咲いていました


昨日のブログに書きましたが、境内にある伽藍のほとんどが現在の住職さんの尽力で建てられたものです


ですので、どの建物も今は歴史が浅い建物ばかりですが、いずれ長い歳月が過ぎていくと「平成の時代に建てられた寺院建築」として、
高い評価を受けることになるかもしれません。いずれは「名刹」と呼ばれるお寺になるかもしれませんね


この日は明け方に雨が降りました。そのおかげで紫陽花の花や葉がしっとりと雨に濡れていたんです


花の写真を撮るときは、陽光あふれる晴天の日がいいなぁと思うのですが、紫陽花や菖蒲は雨に濡れている方がいいですね


ここにカタツムリでもいてくれるといいなぁ…そんなことを思いましたが、そううまくはいきませんでした


この日、長慶寺は「あじさい祭り」を開催しており、いろんなイベントが企画されていました。
その中に10時から住職さんの話を本堂で聞くことが出来るようだったので、せっかくなので話を聞かせていただくことにしました


お坊さん達による読経の後、住職さんから話がありました。高齢なのですが滑舌も良く、バイタリティに溢れている感じがしました。
ただ、この時に頭と口はまだ大丈夫なのだが、もう足が悪くなってきたので、住職の座を次の人に譲るという話があり、
その後には次の住職さんのお話がありました。改めて思ったのは、どのような役職であっても「引き際」というのは大切だということ。
皆に惜しまれ、皆に感謝されながら自らの引き際を決めた住職さんの姿を見て、
自分もどのタイミングで今の仕事をリタイアすべきか…そんなことを考えたのでした

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


このお寺の住職さんに比べて、引き際の悪い人が世の中には多いですね。
特に「政界」というのは、いつまで老害としか思えないような連中がのさばっているのかと思いますわ。
「日本の政治はあかんな」などと思っていたら、民主主義と自由を標榜するアメリカ合衆国の大統領選挙ですら、
民主党も共和党も引き際を見誤ったような老人を候補に立ててくるんですから困ったものですな。



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