三浦 瑠麗 の ”リベラリズムとリアリズム”
「解決済み」のはずがなぜ? 韓国・徴用工問題から考える“史実”と“対応”
三浦瑠麗
カテゴリ:ワールド 2018年9月3日 月曜 午後6:30
•国家間による一括処理以外に「戦争を終わらせる」方法はない
•日本政府が韓国に支払った5億ドルは、主に経済復興に使われた
•徴用工問題で、対応を迫られる日本の民間企業がとるべき対応は?
歴史問題としての難しさ
2017年8月 ソウル・龍山駅前に設置された徴用工像
歴史問題は、日本がアジア各国との関係を強化する上で喉に引っかかったトゲであり続けている。
その中で、今後注目を浴びそうなのが徴用工問題だ。
戦前から戦中にかけて、日本は労働力不足を補うために朝鮮半島をはじめとするアジア各国から労働力を移入した。
これらの労働者に対してなんらかの補償が行われるべきか否かとするのが歴史問題としての徴用工問題である。
アジアにおける歴史問題が難しいのは、それが過去の問題であるのと同じ程度に、現代の問題でありイデオロギーの問題だからだ。
歴史研究の蓄積を参照する限り、徴用工の問題にも一定の「幅」があったと判断せざるを得ないというのが、私の認識である。
労働者の徴用には、通常の出稼ぎ労働者の斡旋のような場合もあれば、強制そのものである場合もあった。
また、労働条件や給金の在り方についても、当時の各国の水準に照らして恵まれていた場合もあれば、非常に劣悪であった場合もあったということだ。
鉱山などの危険な労働環境の中で亡くなられた方も多くあったことは事実である。
であるからして、すべてを一色で塗りつぶすことはできないにせよ、史実として、強制的な労働者の徴用があり、劣悪な労働環境の中で耐え難い被害にあった方が多くいたというのは間違いないことと認識すべき、というのがスタート地点となる。
「戦争を終わらせる」ということ
戦争は、人間が生み出してきた最大の不幸である。
それ故に、人間は戦争をいかに終わらせるかということについても歴史を積み上げてきた。17世紀に近代的な国際法の概念が生まれてから400年近くが経過する中で、確立されてきた原則が国家主導による一括した請求権の処理という方法である。
戦争に伴う被害を平時の損害と同じ方法で処理するとすれば、いつまでも戦争を終わらせることができなくなってしまう。
というのも、平時の民間のものさしを当てはめては、不都合なことがいろいろと起きてしまうからだ。
例えば、日韓の関係では被害を受けた韓国人も多くいるのは当然だが、被害にあった日本の民間人も多くいる。
合法的に韓国内で財産を築いた日本人の多くが、敗戦に伴って帰国を余儀なくされ、財産権に大きな侵害を受けたことも事実。
平時の民間の理屈に基づけば当然補償を受けるべき被害が存在するにしても、それを言いだしたらキリがない。国家間による一括処理以外に戦争を終わらせる方法は乏しい。
この点、ドイツがイスラエルとの間で(ナチスによるホロコースト被害者の個人的犠牲のもとに)一括処理を行ったことは、当時のイスラエル政府の生存と発展のために許容されるべき考え方ということになるだろう。
イスラエルの人びとはイギリス占領下で独立を試みつつ貧しい生活を行っていたが、そこへナチスドイツによる迫害で着の身着のままの大量の難民が流入する。
建国間もないイスラエルが国民全体を養って、外敵と戦い生存していくためには、武器やインフラが死活的に必要だった。
しかし、ナチスドイツにおいて強制労働から利益を得た企業を相手取った裁判は、当然続くことになる。
日本とアジア各国との戦後処理も基本的には、この考え方で処理が行われた。
中国との間では1972年の日中共同宣言において、韓国との間では1965年の日韓基本条約において。
韓国との請求権の問題は、「最終的かつ不可逆的」に解決したと確認されている。
この点については、外交的には解釈の余地はないだろう。安倍政権の下で合意された慰安婦問題に関する日韓合意についても、この大原則を確認しつつ、人道的な観点から取り組んでいるという建付けになっている。
韓国国内の構図
ところが、日韓の間ではこのような国際法上の大原則にも関わらず、請求権や補償の問題がいつまでも燻りつづけている。
もちろん、韓国の外交当局や行政は、日韓基本条約の原則を理解し、今のところは尊重している。
ところが、韓国国内の政治的には、ことはそれほど単純ではない。
1965年の時点で日本政府は、請求権の問題を処理するために韓国に対し5億ドルの補償をしている。
この金額の使途を決定したのは韓国政府だ。
韓国政府には、それを徴用工や慰安婦の方など、戦争の被害にあわれた方に分配する選択肢も当然あった。
しかし、当時の朴正煕政権の最優先課題は経済復興であり、そこに資金が注がれた。
結果的に、韓国はベトナム戦争での米軍への協力の対価と相まって「漢江の奇跡」とも言われる経済発展を実現した。
そこでは、インフラ整備その他の点で日本政府からの補償が貢献した。
したがって、被害者個人への分配を優先しなかったのは韓国政府の国益を踏まえた判断だったわけだ。
先般、大統領職を追われた朴槿恵氏は朴正煕の娘であり、韓国の保守派にとってはこの事実が「脛に傷」となっている。
今日の韓国において、個人の請求権問題が再燃するのは、韓国国内にこのような政治的構図があるからだ。
そして、現在の韓国では司法も請求権の問題に積極的に関与している。
国際法の大原則をひっくり返してまで個人の請求権は消滅していないとするのは、人権意識の高まりという側面もあるのだが、韓国の司法の政治化しがちな現実を反映している。民間企業としての考え方
今後の日本政府や日本企業は、徴用工問題にどのように対処すべきだろうか。
まず、国のレベルでは、「戦争を終わらせる」ための原則から逸脱すべきではないだろう。
目の前に具体的な被害にあわれた方がいるときに、請求権の問題は解決済みという立場をとることは、いささか杓子定規に感じられるかもしれない。
けれども、それこそが人類が積み上げてきた知恵なのだ。
最近でも、ギリシャやポーランドがドイツに対して新たに補償を求めるような発言を行っている。
ありていに言って、EU内でドイツが突出した経済力や政治力を持ちつつあることへの嫌がらせなのだが、いつまでも戦争を終わらせないことは全く建設的ではない。
国家の一番の役割は、民間が自由に交流できるような平時をつくりだすことだからだ。
その上で、民間企業としての対応としてはリスクに見合った自己判断とならざるを得ないと思う。
事実の問題として、日本政府がどれだけ原則論を主張したとしても、例えば韓国国内で徴用工への請求権問題が「解決」することはないだろう。
仮に、政府間で合意が成立したとしても、民間企業が裁判の過程で被る費用や被害が補償されるわけでもない。
企業からすれば、その市場でビジネスをする際のリスクやコストと、市場のポテンシャルを天秤にかけた経営判断にならざるを得ないのだ。
その意味で、参考になるのが三菱マテリアルによる中国の徴用工の遺族達との和解ではないだろうか。
民間企業である三菱マテリアルは、非常にポテンシャルの大きい中国市場でビジネスを継続する上で、自らの経営判断として、被害者遺族と和解することを選択した。
日本企業にとって、アジア市場は主戦場だ。
日本企業は、日本という国が有する高品質、安心、信頼などのブランドを享受しながら競争している。
そして、日本ブランドには残念ながら負の側面があることもまた現実。日本政府は、北東アジアにおいて各国との友好関係を築ききれていない。
結果として、国家間の関係がうまくいかないことのコストは、残念ながら民間企業にのしかかってくることになる。
とすれば、企業に残された方針はただ一つ。民間の個々のプレイヤーは、国家レベルの原理原則論とは別のしたたかな経営判断に応じて、この問題を処理していくべきだ。
(執筆:国際政治学者 三浦瑠麗)
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