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韓国経済を破壊し独裁化する文在寅、就任2年で露呈した限界
文在寅大統領の支持率と 主要政策への評価には大きな乖離
政権発足2周年を迎えるに当たり、韓国ギャロップが4月10日に行った世論調査によると、文大統領の支持率は45%で、
就任当時の84%と比べると大幅に低下したが、それでも就任後2年時点の比較では、歴代大統領の中でも金大中氏に次ぎ2位である
各政策を肯定する評価と否定する評価は、経済政策が「肯定23%:否定62%」、公職人事が「肯定26%:否定50%」、雇用労働政策は「肯定29%:否定54%」であった。
文政権が力を入れる北朝鮮政策でも、過去1年間で肯定的評価が83%から45%に、外交政策でも74%から45%に大幅に低下している。
このように、文政権の政策への支持が急降下しているにもかかわらず、支持率が依然として歴代2位にあるのには韓国特有の事情があるからだ。
韓国では朴正煕(パク・チョンヒ)、全斗煥(チョン・ドファン)大統領と軍事政権が続き、軍事革命や光州事件といった暗いイメージが付きまとっている。
これを打倒すべく立ち上がったのが、金泳三(キム・ヨンサム)、金大中(キム・デジュン)といった民主政治家であり、「民主政治家=革新系」とのイメージができているのである。
韓国人は、「頭ではなくハートで考える」といわれるが、頭で考えれば、文政権の政策は韓国の多くの人々に受け入れられていないが、無条件で革新系を支持する市民がいまだに多いということであろう。
朝鮮日報は「発足2年で国民を生活苦に追い込んだ文在寅政権」と題する社説を掲載している。
朝鮮日報と韓国経済研究院による世論調査で、文政権発足後、生活が苦しくなったと感じている人が58.9%、1年前の調査時点(28.8%)の倍に達している。
特に自営業者は82%が文政権の発足後、生活状況が悪化したと回答した。
昨年廃業した自営業者は100万人を超えた。
所得主導成長政策が弱者の財布を補うどころか、貧しさを増幅させた。
それでも政府の対応は税金をつぎ込み、見せかけの雇用を作り出し、福祉名目で現金をばらまくだけである。
さらに中央日報は「文政権の反市場政策2年間で…製造業が『脱韓国』」と題する記事を掲載している。
韓国の海外直接投資は07年から17年まで毎年80億ドル前後を維持してきたが、18年はその倍の164億ドルに達した。
それは国内生産環境、経営環境の悪化による生産拠点の海外脱出である。
賃金の上昇、労働時間の制限、法人税の引き上げ、規制強化または法制度の変革など国内の事業環境は悪化しており、「今韓国で事業を拡張する者は『愛国者』」だと皮肉る声も聞く。
こうした企業の脱出は韓国の質の高い雇用を奪っている。
さらに東亜日報は、4月1ヵ月間のウォン安は金融不安のトルコに次いで2位であり、
これは韓国内外の投資家が韓国経済の減速ぶりが尋常でないと受け止めているからであるとの分析を紹介している。
このように、文政権の経済政策は韓国の経済力を弱体化させ、雇用を奪い、国民を生活苦に追いやっている。
韓国国民の経済、雇用政策に対する肯定的評価がいずれも20%台に低迷しているのも理解できる。
対北融和姿勢が 米朝会談の物別れの一因
過去2年間の中で、文在寅大統領、韓国国民ともに一番失望したのが北朝鮮との関係だろう。
文政権としては、米朝首脳会談を成功させ、これをきっかけに北朝鮮への経済協力に乗り出す腹積もりであった。
しかし、2月末のベトナムにおける米朝首脳会談は物別れに終わった。
韓国は米朝双方から、これまでの役割を否定されている。
北朝鮮は4月27日の南北首脳会談1周年記念に姿を見せなかった。
加えて、北朝鮮は、文氏は米朝の仲介役ではなく米国の同盟者であると反発した。
文氏は米韓首脳会談の単独会談が実質2分に終わり、米国からも仲介者としての役割を事実上否定されている。
それはこれまで韓国が米朝対話を促すため、聞き心地の良いことを言い、双方をミスリードしてきたからであろう。
これまで文政権の最大の“売り”は北朝鮮との関係改善によって、南北の緊張緩和を図ってきたことである。
しかし、韓国が実際にやったことは、一方的な北朝鮮に対する軍事力の削減である。
昨年の南北首脳会談の際の軍事合意で、38度線付近での偵察飛行と合同軍事演習の中止は、韓国軍の作戦能力を一方的に低下させるであろう。
また、最近では軍事装備の強化をおろそかにしつつ、米韓連合軍の指揮権を韓国に返還させる動きを示している。
国の安全保障を維持強化するのは大統領の責務である。
それをおろそかにし、北朝鮮との接近を図ることは韓国の安全を脅かすもとになりかねない。
文大統領が進める積弊清算は 就任演説になかった
大統領の最も重要な任務は、国民の融和を図り、国民の団結をもたらすことである。
しかし、文大統領は北朝鮮との融和に熱心であるが、国民の融和に対する関心がないのではないか。
大統領は2日、各方面の有識者を招いた懇談会で、「ある方たちから、もう積弊清算はやめて、統合に向かって進むべきだとよく言われる」とした上で、「生きて動く捜査に対し政府は統制できないし、また統制すべきでもない」と述べた。
積弊精算とは、朴槿恵前政権が行った政策を正し、精算するという意味だ。朴槿恵前政権の不正疑惑の捜査もこれに当たる。
文大統領の言葉は、積弊清算やその捜査が文氏の意向とは関係なく捜査機関独自の判断で始まり、今も続いているように聞こえる。
しかし、文大統領は、「時効が過ぎた事件でも事実関係を究明せよ」と指示を出している。
文大統領にとって、積弊清算は就任直後に挙げた国政課題の第一であり、「自分が最も重視するのは積弊清算」なのである。
ちなみに、就任演説では「積弊清算」という言葉は1回も使われず、国民統合をやたら強調していたという(朝鮮日報)。
このやり取りを聞いていると、徴用工問題に関し、「司法判断を尊重する」と述べただけで、問題の解決を投げ出しているやり方と同じである。
このように自分にとって面倒なことは他人に押し付け、逃げている大統領を国民が心底から尊敬できるであろうか。
うまくいかない焦りから ますます独裁志向に
文政権はますます独善的な政策を進めている。民主主義の基本である議会を無視し、言論弾圧に走っている。
文政権の特徴の1つが、行政に関して未経験の人材でも、文大統領の考えに近い政治活動家を要職に就けていることである。
そのため、強引なやり方で人事を断行しており、公職者の任命に関する評価が低い。
現政権になって国会の報告書採択なしに任命された人事聴聞対象者は計15人。
直近では「高額株投資」で物議をかもした、李美善(イ・ミソン) 氏を憲法裁判官に任命した。
また、開城工団、金剛山観光事業の実施に情熱を燃やす金錬鉄(キム・ヨンチョル)氏を統一部長官に任命した時も、野党の反対を押し切って強行した。
言論に対しても今年3月、与党である共に民主党が、ブルームバーグ記事の見出しで文在寅大統領を「金正恩(キムジョンウン)氏の首席報道官」と表現した韓国系の記者を公の席で非難した。
さらに警察は、ソウル大学、延世大学、釜山大学など全国100以上の大学で文在寅大統領を「王」に例え、
「経済王」「雇用王」「太陽王」と表現し、「彼(文大統領)の偉大な業績に酔ってみましょう」などと風刺したことに対し、厳しい捜査を行った。
この風刺では現政権による「自分がやったら恋のロマンス、他人がやったら不倫」式の時事に対する批判も込められている。
こうした与党や警察の締め付けに関し、米国の知韓派有識者は文大統領に公開の書簡を送り、「韓国政府は名誉棄損を乱用し、政治的に反対の意見を検閲している。
この点を懸念する」と憂慮を示した。また、「国境なき記者団」や国際新聞編集者協会も、「記者は政府の応援団ではない」「記者の役割は公益の事案に対し独立かつ批判的に報じることだ」と批判している。
韓国では、現政権の施策がいずれも壁にぶち当たっており、打開の道も見当たらなくなってきている。
また、大統領周辺や政権幹部、与党関係者を巡るスキャンダルが頻発している。そのため、大統領や政権に対する批判には極めて敏感になっており、批判を抑圧する傾向を強めている。
与党、共に民主党が 目指すのは20年政権
文大統領とその与党は、大統領の任期が終わった後、保守派が政権を奪回すれば、今度は自分たちがたたかれることを恐れ、革新政権の存続にきゅうきゅうとしている
これらの与党にとって都合のいい法律が、ファーストトラック(迅速処理案件指定)で審議する法律が、自由韓国党を除く与野党4党の合意で先月国会に上程されたが、共に民主党はこれを押し切る意向ではないかとみられている。
政権存続のための備えは、政権発足以降継続して進めてきている。
青瓦台主導の国政運営を行い、国防部、外交部などを思うように動かしている。
主要政府機関の局長以上のポストには政治活動家を送り込んでおり、あらゆる行政事項をコントロールしている。
そして、国家情報院、検察、警察、国防部などの権力機関の改革を行い、革新系の支配を強めている。
司法は憲法裁判所、大法院とも文大統領が任命した裁判官が主流となっている。
マスコミに対しても放送局人事を行い、文政権支援の放送を行わせている。
文在寅政権がこのまま権力基盤を固めていけば、革新系の地盤が一層強固なものになりかねない。
過去の軍事政権に正統性がなく、国民の反発があったのは、朴正煕氏、全斗煥氏がともに、
軍事クーデターで政権を奪取したこと、そして朴氏の場合、国民の反対を押し切り日韓国交正常化を果たしたこと、全氏の場合は光州事件で市民を弾圧したことが挙げられる。
文氏の場合には、民主労組や全教組など、北朝鮮との関連が疑われる革新系の主導によるローソク革命で朴槿恵氏を政権の座から追い出したが、
そこには市民の絶大な支持があったため、逆に市民の文氏に対する蜜月期間が長くなったといえる。
しかし、実際には朴氏は清廉な人物であり、発端となった崔順実(チェ・スンシル)氏とのやり取りを記録したとされるPCも偽物であったといわれ、同氏に対する嫌疑にはでっち上げの側面があった。
そこから見えるのは、軍事力は使わないまでも巧妙に仕組まれた「革命」であるという点では共通性があることである。
過去の政権は、軍事的な力を背景に独裁的な政権を築き、特に朴正煕氏の場合には生涯大統領を目指したとされている。
ただ、それは、国の発展のため、自分がやらなければとの強い思いが背景にあったともいわれている。
現に朴氏、全氏の時代には韓国は高度経済成長を続けてきた。文大統領が韓国の教科書から「漢江の奇跡」に関する記述を削除させた(朝鮮日報)といわれるが、いかに隠そうとしても朴氏の実績は消えるものではなく、歴代大統領の中でいまだに最も評判の高い大統領である。
文氏の場合、これまで述べてきたように、三権分立を否定し、行政府ばかりでなく立法、司法を掌握し、政権を20年存続させようとしている。
そこには軍事政権と同じように、独裁政権の延命の意図が見える。ただ、大きな違いは韓国経済を破壊していることである。
いかなる政権を選択するかは韓国国民の問題ではあるが、韓国国民が情緒的に文政権を支持するのではなく、文政権の現実を理解し、判断することが極めて重要になっている。文政権に対する後世の評価が見たい。
(元・在韓国特命全権大使 武藤正敏)
GSOMIA破棄で“大ウソ”連発…韓国の国家安保室第2次長はどんな人物?
サムスン電子社長だった過去、対米工作で失敗も
(1/2ページ) 室谷克実 新・悪韓論
韓国の政権が、日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の終了を決定するまでの過程、その後の大ウソ弁明連発の過程でも、最も活躍した人物は、韓国大統領府の金鉉宗(キム・ヒョンジョン)国家安保室第2次長だ。日本の輸出管理強化に対して、「韓国にはDRAMの出荷を制限するオプションがある」と述べたのも、この人物だ。
では、国家安保室第2次長とは、どんな職務を担当するポストなのか。はたまた、金鉉宗氏とはどんな人物なのか。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下で、彼は通商交渉本部長として米韓自由貿易協定(FTA)交渉を担当し、“上がりポスト”である国連大使を務めて退官した。その後、サムスン電子に入り社長を務めた。
社長といっても、サムスン電子には「執行役員・社長」が10人以上いる。彼の肩書は「海外法務担当社長」。
こんなポストがあること自体、同社がどれだけ特許訴訟を抱えているのかを示す証左だ。
朴槿恵(パク・クネ)氏の大統領当選が決まった直後、彼はサムスンを去った。そして、文在寅(ムン・ジェイン)政権で3代目の第2次長として起用された。
国家安保室の第1次長は、国家安保会議(NSC)の事務処長を兼ねている。
それで、「GSOMIA終了」の発表は第1次長がした。
第1次長の下には、▽安保戦略▽国防改革▽サイバー情報対策を担当する秘書官がいる。
第2次長の下にいる秘書官の担当は、▽平和企画▽外交(在外同胞)政策▽統一政策。明らかに「対北」部門だ。
GSOMIAの取り扱いは第1次長の本務だ。
通商問題の交渉を専門とする金鉉宗氏が国家安保室にいること自体が、実は不可解なのだ。文政権の人材不足を物語る人事とも言える。
日本が輸出管理強化を発表すると、彼は米国に派遣された。米国を仲裁役に引きずり出す工作の“切り札”としてだ。彼の経歴からすれば、これこそが「本務」なのだ。
ところが、対米工作は、まったくの失敗に終わった。
韓国人は本務で失敗すると、他人の職務領域にしゃしゃり出てきて大言壮語を発したり、極論を吐く傾向がある。そうすることで、失地回復の気分になるのだろう。
米国からの帰国後、彼は自らブリーフィングを主宰して、日本の輸出管理問題、いわゆる徴用工問題、そして、GSOMIA問題でも発言を始めた。その発言領域を見ると、まるで外相だ。
そういえば、康京和(カン・ギョンファ)外相は、GSOMIAの終了を決定したNSC(国家安全保障会議)に出席していなかった。中国出張から戻ったとき、すでにGSOMIA終了は決まっていた。
元サムスン電子社長が、純軍事問題にしゃしゃり出てくるのもすごいが、いくら“お飾り”だとしても外相不在のままGSOMIA終了を決めてしまったとは、もう滅茶苦茶だ。
しかし、金鉉宗氏は外相になったようなノリで発言を続けている。
「米国とは(意思)疎通を十分にした」 「今回の決定は今後、韓米同盟をアップグレードさせる契機になるだろう」と。
■室谷克実(むろたに・かつみ) 1949年、東京都生まれ。慶応大学法学部卒。時事通信入社、政治部記者、ソウル特派員、「時事解説」編集長、外交知識普及会常務理事などを経て、評論活動に。著書・共著に『悪韓論』(新潮新書)、『崩韓論』(飛鳥新社)、『韓国リスク』(産経新聞出版)など多数。
在寅外交のキーパーソン――金鉉宗とは誰か?
(5,041字)
日韓関係が悪化しているなかで、韓国政府内においてその存在が注目されているのが金鉉宗(キムヒョンジョン)大統領府国家保安室第二次長(60歳)である。
今年7月に日本の経済産業省が韓国向け輸出管理運用の見直しを発表すると、すぐさまアメリカの政府関係者に日本による措置の不当性を訴えるために渡米した。
帰国の際には「われわれの民族は国債補償運動1など危機を克服する民族の優秀性がある」と述べて、事態克服のために国民が立ち上がることを求めるかのような発言をおこなった。
また対抗措置となる日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)破棄の決定において大きな役割を果たしたとされる。
日本のマスコミでは「民族派」とも称される金鉉宗次長とは、いったいどのような人物なのであろうか。以下、金鉉宗の著作『金鉉宗、韓米FTAを語る』2などから、彼の経歴、そして人となりを探ってみたい。
国際派の経歴と民族派の心性
金鉉宗は1959年に外交官の長男として生まれ、幼少期は韓国、アメリカ、日本を行き来する生活を送った。
特に14歳の時からは家族と離れて単身アメリカで生活し、コロンビア大学のロースクールまで進んで博士号を取得後、アメリカの法律事務所で弁護士として4年間活動した。
その後、韓国の大学での学究生活等を経て、ジュネーブの世界貿易機関(WTO)法律局に法律諮問官として勤務した。
そして盧武鉉新政権が誕生した2003年に通商交渉担当のナンバー2である調整官に就任して韓国に戻り、翌2004年に通商交渉本部長に昇格した。
その後、2007年から2008年にかけて国連大使を務めた後は政府から離れていたが、2017年に文在寅政権が誕生すると再び通商交渉本部長に就任し、2019年3月に現職に移っている。
どちらかというと韓国語は苦手で英語で夢を見るとも言われ、経歴だけをみると紛うことなき国際派の人物と言える。
しかし、こうした豊富すぎる国際経験が、逆にみずからの民族アイデンティティを強く意識させるようになったようである。
日本では公立小学校に入学し、高校ではアメリカの私立学校で寄宿舎生活を送った。
それぞれ、日本人、あるいは白人ばかりの環境のなかで、マイノリティとして過ごさざるをえないなかで韓国人としての意識を強めていった3。
さらにWTOでの勤務経験は彼の大国への強烈な対抗意識を生むことになった。
金鉉宗によれば、WTOは大国が自らの国益を貫徹するために闘争を繰り広げており、韓国のような小国の利益は常に踏みにじられていた。
WTOの組織内部も自分のような東洋人に対する無理解と偏見が溢れていた。
金鉉宗はWTOで判決文の作成や加盟国の法律諮問をする際に、韓国人であるという理由で失敗が十倍、百倍に拡大解釈されて祖国に迷惑をかけるのではないかと気に病んだという。
米韓FTAの立役者
金鉉宗は何よりも盧武鉉政権の時代に韓米FTA交渉の責任者であり、交渉を妥結に導いた功労者として広く知られている。
金鉉宗は著作において、自らが構築したとする盧武鉉政権のFTAロードマップを語っている。
それによれば、その前の金大中政権は、最初のFTA交渉国に日本を選んだが、この選択は適切でないと金鉉宗は見ていた。
というのも、北東アジアにおいて日本や中国と自由経済圏を形成するためには、三国間で秩序ある均衡が確立される必要がある。
しかし、日本は源泉技術、中国は巨大な市場を持っているが韓国には確実なものがない。
日中と対等に渡り合うためには、まず遠い地域にあって韓国の成長潜在力を高めてくれる大きな市場とFTAを結ぶのが適切な順序であった。
ここで出てきたのがアメリカとのFTAである。
アメリカとのFTA交渉において金鉉宗は、アメリカの法律事務所での弁護士活動、そしてWTOで通商紛争をつぶさに見てきた経験を生かしたタフ・ネゴシエーターぶりを発揮した。
まず韓国は、アメリカと隣接するカナダとのFTA交渉をスタートしてアメリカを刺激し、アメリカ側から交渉入りを提案させることに成功した。
交渉においては、最初に高い自由化水準を持ち出して名目上の優位を維持することによって最終段階でアメリカからより多くの譲歩を引き出そうとしたり、あるいはアメリカにとってのアキレス腱である反ダンピング法を集中的に取り上げるなど、様々な交渉術を駆使した。交渉での原則は「国益」の貫徹、つまりいかに自らの自由化を最小化しつつ相手側の自由化を勝ち取るか、であった。
他方で神経を使わざるを得なかったのが国内での調整であった。
政権支持層である進歩派はアメリカとのFTAに反対であり、金鉉宗は薬価問題では代表的な進歩派経済学者である柳時敏保健福祉部長官と、スクリーンクォータ問題4では進歩派の牙城として政治的な影響力を持つ映画界との調整に苦慮したが、盧武鉉大統領の支持もあって何とか乗り切った。
交渉の最終段階において、アメリカ側はコメ問題をちらつかせながら牛肉の自由化を求めてきたが、アメリカ側に決裂のカードはないと踏んで拒否を貫徹し、2007年4月に交渉を妥結させることに成功した。
それだけに、その後、再交渉に持ち込んで牛肉問題で譲歩を求めてきたアメリカ政府と、それを受け入れてしまった次の李明博政権に対する金鉉宗の憤りは強いようである。
日本に対する強硬な姿勢
他方で金鉉宗は、先に見たように日本とのFTAに対しては極めて消極的であった。
金鉉宗の考えでは、当時の韓国は主力輸出製品であるIT製品の部品素材をはじめ自動車、機械、精密化学などでも日本と比べて競争力が弱く、農水産品でもみかんやコメなどは韓国に競争力があるとはいえなかった。
韓国の対日貿易赤字が拡大しているなかで、なぜ日本とFTAを推進するのか、金鉉宗には理解できなかった。
このことを盧武鉉大統領に報告すると大統領は驚き、FTAによって韓国が損害を蒙らないような結果を出すようにとの指示があった。
ここで金鉉宗は、日韓FTAが第二の日韓併合化となることを防がなければならないという決意を持ったという。
米韓FTA交渉に先立つ2003年12月から日韓FTA交渉が開始されたが、日本側は自分たちに有利な工業製品は高い水準の開放を主張しながら、敏感品目である農水産物の関税引き下げやサービス分野および政府調達の開放には消極的だった。
金鉉宗からみると、日本の日韓FTAの目的は、韓国が部品素材分野で日本に依存せざるを得ない状況をより強固にすることにあった。
金鉉宗は日本の農水産品の開放比率が低すぎると強い態度で臨んだ結果、2004年11月の第6次交渉を最後に交渉は中断することとなった。
FTA交渉が暗礁に乗り上げたのとほぼ同時期に、日本との新たな通商問題として浮上していたのが海苔の輸入割当て問題である。
ここでも金鉉宗は、日本に対してそれまでにない強硬な態度を取った。日本は海苔の輸入について割当制を取り、2004年まで年間2億4000万枚の割当てを韓国が独占してきた。
ところが、中国が新たに日本に海苔の輸入を求めてきたことを受けて、日本は韓国に対して輸入割当てを中国と分け合うことを要求したという。
しかし、それでは価格競争力のある中国に大幅に割当てを奪われることは目に見えていた。
ここで金鉉宗が考えた対抗策は、そもそも海苔の輸入割当制はWTO協定に違反するとして提訴する方法であった。
提訴してしまうと割当てがゼロになって海苔の輸出がまったくできなくなるリスクがあるうえに、日韓関係全体の悪化も憂慮されたことから、韓国政府内でも多くの反対意見が出された。
しかし、金鉉宗は国益を守るためには現状に安住していてはだめだとして強い姿勢を貫き、ついに2004年12月に韓国は史上初めて日本をWTOに提訴した。
提訴後も(金鉉宗曰く)日本水産庁の担当課長が高慢な態度をとり続けるのに対し、韓国側は日本の海苔養殖業者に接触するなど日本側を刺激しつつWTOパネルでの審理も有利に進めた。
結局、2006年1月に日本は韓国に対して独自に大幅増の12億枚の海苔輸入割当てをおこなうこととし、それを受けて韓国はWTOへの提訴を取り下げた。
進歩派との共鳴
以上からわかるのは、金鉉宗は世界に目を向けることを強調してはいるものの単純な対外開放論者ではなく、国際協調よりも国益重視を鮮明にしていることである。
ここでの国益とは交易を通じてトータルで輸出超過、つまり貿易黒字を拡大しようとするものであり、典型的な重商主義の発想である。
盧武鉉大統領は米韓FTA交渉にあたって商人の論理を強調したとされるが5、金鉉宗はまさにそれを体現していた人物と言える。
またアメリカや日本など大国と交渉するにあたっての気負いは並々ならぬものがあり、特に旧宗主国である日本への対抗心は強烈である。
文在寅政権はいわゆる進歩派政権であり、「386世代」(この言葉が登場した2000年頃に30代で1980年代に学生時代を過ごした60年代生まれ)が大きな役割を担っているとされる。
彼らはかつて民主化闘争において韓国の対外従属を問題とし、独裁政権を支えているとしてアメリカや日本を強く批判していた。
金鉉宗は386世代ではなく民主化闘争とも無縁であり、対外貿易を通じてこそ韓国は豊かになると考えている点で一般的な進歩派と考え方は異なる。
しかし、日米など大国への対抗意識という点で進歩派と強く共鳴していると言えよう。
弁護士として培った金鉉宗の交渉術は自国に有利なものを勝ち取ることを求められる通商交渉の場では成功していることは事実である。
他方で常に勝利を求めるその姿勢は関係国との間に軋轢を生み、現在、金鉉宗が担っている外交の場にはそぐわないとの声は韓国内でもあがっている。
それでも金鉉宗に対する文在寅大統領の信任は厚く、国家安保室長への昇進や外交部長官への転身も取り沙汰されている。
当面、彼の言動、去就から目を離せそうもない。
韓国・文在寅政権はこうしてアメリカの恫喝に屈した
韓国大統領府(青瓦台)は11月22日午後1時、文在寅大統領が出席した国家安全保障会議(NSC)常任委員会を開き、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の失効を停止することを正式決定した。
外交ルート(在韓日本大使館)を通じて日本側に通告してきたのは同日夕方で、安倍晋三首相が知らされたのは、同日に首相官邸で開催された月例経済報告関係閣僚会議直前に北村滋国家安全保障局長、林肇官房副長官補、今井尚哉首相補佐官、秋葉剛男外務事務次官、安藤久佳経済産業事務次官らと協議した席であった。
時系列を振り返って検証する。10月下旬から11月中旬にかけてトランプ米政権は相次いで政府高官や軍幹部をソウルに送り込んでいる。
マーク・ナッパー国務次官補代理(日本・韓国担当)10月30日、デビッド・スティルウェル国務次官補(東アジア太平洋担当)11月5日、マーク・ミリー米統合参謀本部議長(陸軍大将)13日、フィリップ・デービッドソン=インド太平洋軍司令官(海軍大将)13日、マーク・エスパー国防長官14日、ランドール・シュライバー国防次官補(アジア太平洋担当)14日、ジェームズ・ディハート米韓防衛費特別協定(SMA)交渉首席代表18日――ラッシュアワー並みの要人韓国訪問である。
こうした米側要人の訪韓もさることながら、実は韓国が対日強硬路線の大転換に踏み切らざるを得なかった契機は、青瓦台の国家安保室(鄭義溶室長)の金鉉宗第2次長が18~20日に訪米したことだった。
文政権において一貫して対日強硬策を主導してきた同氏は、事実上、ホワイトハウスに呼びつけられたのである。
先述のNSS幹部によると、米紙ウォール・ストリート・ジャーナル記者を退職、海兵隊に志願してアフガン戦争、イラク戦争に情報将校として従軍した異色のキャリアの持ち主であるポッティンジャー氏は普段の温厚な人柄を殴り捨てるかのように声を荒げて金鉉宗氏に対し、GSOMIA破棄が米国の安全保障に重大な脅威を与えると警告、直ちに政策転換するよう強く求めたのだ。
永く外交官を務めてきた対米政策責任者の言葉を借りると、米国が同盟国相手に怒りを露わにしたことはこの10年間で初めてだとした上で、「米国はいざとなれば本性を表す怖い国なのですね」と筆者に語った。
平たく言えば、文在寅政権はこうした米国の恫喝に屈したということである。
一方、ドナルド・トランプ大統領は北朝鮮の金正恩労働党委員長と良好な関係を維持、4回目の米朝首脳会談の早期実現を諦めていない。
だが、一度北朝鮮が米国との核・大陸間弾道ミサイル(ICBM)開発凍結の約束を違えるようであれば、トランプ政権は金王朝に対して牙を向いて転覆に打って出るのはほぼ間違いない。
金正恩氏は今回、それを改めて認識したに違いない。
安倍首相はこれを奇貨として、12月24日に中国の成都で開かれる日中韓首脳会談を前に日韓関係修復に向けて外交攻勢をかけるべきだ。
ショックから立ち直れないでいる韓国の今こそが、まさに間隙を衝いて日本イニシアティブを発揮する絶好なチャンスである。
歳川 隆雄