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「死ぬまで大統領」という野望は潰えたか…ロシア軍の劣勢でついに「プーチンおろし」が始まる

2022-09-29 18:19:36 | 日記
「死ぬまで大統領」という野望は潰えたか…ロシア軍の劣勢でついに「プーチンおろし」が始まる

9/29(木) 10:16配信 

■70歳目前のプーチン氏は退陣するのか  ウクライナのゼレンスキー大統領は9月21日の国連総会ビデオ演説で、「ウクライナも、欧州も、世界も平和を求めているが、1人だけが戦争を望んでいる」と述べ、名指しを避けながらプーチン・ロシア大統領を非難した。


 プーチン大統領も同日、30万人規模の「部分的動員令」を発表し、徹底抗戦の構えを示した。現状では、戦闘は越年し、長期化の可能性が強い。  一方で、ロシアのエリート層は1年半後の2024年3月17日に行われる次回大統領選を意識し始めた。10月7日に70歳になる高齢のプーチン大統領が続投するのか、それとも後継者を指名して退陣するのか。「戦争を望む唯一の人物」の去就が「プーチンの戦争」を左右する。 ■右派勢力は国防相の「銃殺刑」を要求  ロシアは9月になると、社会に緊張感が高まる。9月1日に全国の学校で新学期が始まり、急に涼しくなって、国民は長い冬を意識する。  秋は「政治の季節」といわれ、今年も9月11日に統一地方選があった。ウクライナ軍が9月、反転攻勢に成功すると、左右両翼から政権非難が噴出した。  左のリベラル勢力では、モスクワやサンクトペテルブルクの地区議員30人以上が連名で大統領の弾劾や辞任を要求する声明を発表。著名歌手のアラ・プガチョワさんも「ウクライナ侵略戦争」だと非難した。  右の愛国勢力では、退役軍人や保守派団体がずさんな作戦・戦術を非難し、総動員令を要求。右派の急先鋒イーゴリ・ギルキン氏は侵攻作戦を失敗させたショイグ国防相を銃殺刑に処すよう要求した。  左右両翼の政治的主張の高まりは、「政治の季節」到来を意味し、次回大統領選をめぐる「暗闘」が浮上しつつある。 ■「ウクライナ戦争が後継争いを引き起こした」  政治評論家のアンドレイ・ペルツェフ・カーネギー国際平和財団研究員は、同財団のHPで、「ウクライナの戦争長期化で、エリートは自らの将来を考え、居場所を見いだす必要に迫られた。プーチンは退陣する気はなさそうだが、ますます過去に追いやられている。戦後の未来像にプーチンの居場所はない。彼の役割は、後継者を指名して舞台から去ることだけだ」と述べ、「ウクライナ戦争が公然たる後継争いを引き起こした」と指摘した。 
同研究員は、「与党の官僚や幹部が脚光を浴びようと必死で、互いになじり合うなど、活発な選挙戦が始まった」とし、後継候補として、メドベージェフ安全保障会議副議長(57)、キリエンコ大統領府第1副長官(60)、ボロディン下院議長(58)、ソビャーニン・モスクワ市長(64)、ミシュスチン首相(56)らの名を挙げた。  メドベージェフ、ボロディン両氏は欧米を侮辱する発言を精力的に発信して存在感を強め、ウクライナ担当のキリエンコ氏はドンバス地方の併合を主導する政治力を誇示する。ソビャーニン、ミシュスチン両氏は逆に、ウクライナ侵攻から距離を置き、戦後の欧米との関係改善に備えているという。ただし、これらの人物は以前から後継候補に挙がっており、新味がない。 ■ダークホースのパトルシェフ農相とは何者か  後継者のダークホースとして、プロの専門家の間で注目されているのが、事実上の政権ナンバー2、パトルシェフ安保会議書記の長男、ドミトリー・パトルシェフ農相(44)だ。  経済学博士号を持つ銀行家出身で、農業銀行頭取時代、「バンカー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。連邦保安局(FSB)アカデミーでも学び、FSB中尉の称号を持つ。サラブレッドで、政権を支えるシロビキ(武闘派)とオリガルヒ(新興財閥)の双方から支持を得やすい。  政治評論家のイリヤ・ゲラシチェンコフ地域政策開発センター所長は、プーチン大統領は24年の大統領選には出馬しないと断言し、「メドベージェフ大統領・パトルシェフ(子)首相による新タンデム(二頭立て馬車)体制」になると予測した。  「SVR(対外情報庁)将軍」というハンドルネームでクレムリンの内情を投稿している正体不明の人物は7月末、ロシアのSNS「テレグラム」で、プーチン大統領が10月17日に内閣改造を断行し、ミシュスチン首相を更迭、パトルシェフ農相を起用すると予測した。首相は大統領が職務執行不能に陥った場合、大統領代行を務める重要ポストだ。 

「SVR将軍」は9月20日、父のパトルシェフ安保会議書記が中国を急遽訪れたのは、息子が大統領に就任した際の内外政策を説明するためだったと伝えた。中国側が「あなたの子息はウクライナ戦争をどう終わらせるつもりか」と尋(たず)ねると、父は「ドミトリーが大統領になる前に戦争は終了する」と答えたというが、これは信憑性に乏しい。 ■部外者から選ばれるのは「あり得ない」という見方も  野心家で執念深いプーチン大統領は続投するとの見方も根強い。政治評論家のアンドレイ・コレスニコフ氏は筆者らとのオンライン会見で、「プーチン体制は安定しており、国民を結集できている。プーチンはあくまで5選を目指し、ウクライナの戦争をやり遂げようとする。後継者の噂はあるが、指名することはない。周辺のエリートも反対すれば、命がないと恐れている。トップを交代させるルールもない」と指摘した。  政治学者のドミトリー・ジュラブレフ氏は「プーチンの側近以外が後継者になることはあり得ない。部外者が大統領になると、政権幹部を一掃して自分の仲間を連れてくるため、地位や利権が危うくなる」と指摘した。プーチン大統領が退陣する場合でも、「プーチンなきプーチン路線」が続くかもしれない。 ■アルコールで政権の規律が乱れている?   2024年問題の行方は、ウクライナの戦況も影響しそうだ。女性の政治専門家は匿名を条件にしたオンライン会見で、「今後は世代交代が重要。2024年に何が起きるか分からない。プーチンが力を持っていれば、続投するか、子飼いから後継者を選ぶが、ウクライナ戦争で敗北し、政権が弱体化すれば、まったく新しい人物が出てくる。まだ占い程度の段階だ」と述べていた。戦況が後継問題を左右するとの見立てだ。  政権に近いエリート層の間で、厭戦気分が広がっているとの情報もある。ラトビアに拠点を置く独立系メディア「メドゥーザ」は9月16日、政府幹部の間でストレス発散のため酒量が大幅に増えており、酒をほとんど飲まないプーチン大統領を悩ませていると報じた。  それによると、アルコール依存を強めているのは、閣僚や大統領府幹部、安保会議メンバー、国営企業トップ、知事らで、「一部の幹部は重要な行事を欠席するなど、規律が損なわれ始めた」という。  ロシアの歴史を動かすのは、庶民ではなく、昔も今も一握りのエリートだ。戦況が悪化し、国内政治・社会情勢が緊迫する中、エリート層がプーチン大統領を担ぎ続けるかも注目点だ。


 ---------- 名越 健郎(なごし・けんろう) 拓殖大学特任教授 1953年、岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒。時事通信社に入社。バンコク、モスクワ、ワシントン各支局、外信部長、仙台支社長などを経て退社。2012年から拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学特任教授。2022年4月から現職(非常勤)。著書に、『秘密資金の戦後政党史』(新潮選書)、『独裁者プーチン』(文春新書)、『ジョークで読む世界ウラ事情』(日経プレミア新書)などがある。 ----------
拓殖大学特任教授 名越 健郎



総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月

2022-09-27 17:35:55 | 日記
「総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした」 “友人代表”菅前総理が追悼の辞 安倍元総理国葬

9/27(火) 15:00配信

菅前総理

 安倍晋三元総理の国葬が27日午後、東京・日本武道館で執り行われ、菅義偉前総理が友人代表で追悼の辞を読み上げた。 

菅前総理「追悼の辞」 涙ぐむ場面も  歴代最長の安倍内閣で総務大臣、長らく官房長官を務めた菅前総理から語られたのは、無念さや安倍元総理に対する尊敬の念、また感謝を述べる際には涙ぐむ場面もあった。

 *****  

友人代表弔辞  7月の8日でした。

  信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。

あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。 

 その一心で現地に向かい、そして、あなたならではのあたたかなほほえみに、最後の一瞬、接することができました。 

 あの運命の日から80日が経ってしまいました。

  あれからも朝は来て、日は暮れていきます。

やかましかったセミはいつの間にか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。 

 季節は、歩みを進めます。

あなたという人がいないのに、時は過ぎる。

無情にも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。 

 天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。 

 悔しくてなりません。哀しみと怒りを交互に感じながら、今日のこの日を迎えました。

  しかし、安倍総理…とお呼びしますが、ご覧になれますか。

  ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。 
 20代、30代の人たちが、少なくないようです。

明日を担う著者たちが大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

  総理、あなたは今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。

若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。

  そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。

――これが、あなたの口癖でした。 

 次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて経済も成長するのだと。 

 いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。

報われた思いであります。 

 平成12年、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。 

 私は、当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、これが新聞に載りました。

  すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と電話をかけてくれました。 

 「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。

  信念と迫力に満ちたあの時のあなたの言葉は、その後の私自身の政治活動の糧となりました。 

 そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感いたしました。

この人こそはいつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。

 私が生涯誇りとするのは、この確信において、一度として揺らがなかったことであります。

  総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。

そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。 

 最後には2人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命、あなたを口説きました。

それが、使命だと思ったからです。  3時間後には、ようやく首を縦に振ってくれた。

私はこのことを菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも誇らしく思い出すであろうと思います。

  総理が官邸にいるときは、欠かさず一日に一度、気兼ねのない話をしました。

今でもふと1人になると、そうした日々の様子がまざまざとよみがえってまいります。

  TPP交渉に入るのを、私はできれば時間をかけたほうがいいという立場でした。

総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。

  一歩後退すると勢いを失う。

前進してこそ活路が開けると思っていたのでしょう。

総理、あなたの判断はいつも正しかった。 

 安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案をすべて成立させることができました。

 どのひとつを欠いても、我が国の安全は確固たるものにはならない。

あなたの信念、そして決意に、私たちはとこしえの感謝をささげるものです。 

 国難を突破し、強い日本を創る。

そして、真の平和国家日本を希求し、日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。

  そんな覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは常に笑顔を絶やさなかった。

いつもまわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。 

 総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした。

  私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。

何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした。

  衆議院第一議員会館、1212号室のあなたの机には、読みかけの本が1冊ありました。

岡義武著『山県有明』です。 

 ここまで読んだ、という最後のページは、端を折ってありました。

そしてそのぺージには、マーカーペンで線を引いたところがありました。

  しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。

  総理、いまこの歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。 

 かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ  
かたりあひて 尽しゝ

人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ  深い哀しみと、寂しさを覚えます。

総理、本当に、ありがとうございました。 

 どうか安らかに、お休みください。  

令和四年九月二十七日 前内閣総理大臣、友人代表 菅義偉 (ABEMA NEWS)

私たちがアベノミクスで豊かにならなかったわけ超金融緩和の固定化にはこんなにも弊害がある

2022-09-27 16:05:47 | 日記
私たちがアベノミクスで豊かにならなかったわけ超金融緩和の固定化にはこんなにも弊害がある

日本が貧しくなった原因を「デフレ」としたのは、そもそも誤診だった。

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過去30年、グローバリゼーションやICT革命で、日本ではメンバーシップ型雇用が減り、非正規雇用との二極化が進んだ。

働き方や家族形態の変容に社会保障制度が対応できず、消費が低迷し、少子化にもつながった。

10年前、多くの人は「2000年代に貧しくなった元凶はデフレ」と判断し、アベノミクスが採用された。

そうした政策で私たちは豊かになったのか。

時間当たり実質賃金を見ると、1980年代は年率1.8%、1990年代は1.1%上昇したが、2000年代は0.2%下落し、確かに貧しくなった。

そして2010年代は0.3%とわずかに上昇した(上図)。

生産性上昇率は低下した

時間当たり実質賃金の変化率は、
①時間当たり労働生産性上昇率、
②労働分配率の変化率、
③交易条件の変化率、の3つに分解できる。

このうち、実質賃金の引き上げに不可欠な生産性上昇率は、1980年代は年率2.8%だったが、1990年代は1.8%、2000年代は0.8%、10年代は0.3%と低迷した。

アベノミクスには「3本の矢」があったが、1本目と2本目の金融政策・財政政策頼みで、3本目の成長戦略は進まなかったと考える人が多い。

ただ、反成長戦略が取られたわけでもない。なぜ生産性上昇率は低迷を続けたのか。

筆者は、追加財政や金融緩和を完全雇用の下でも続けたことが、生産性上昇率を低下させたと考える。

資源配分を歪め、成長戦略の効果を相殺したとみている。

では、生産性上昇率の低下にもかかわらず、2010年代の時間当たり実質賃金が悪化しなかったのはなぜか。

労働分配率、続いて、交易条件を見ていこう。

1990年代以降、欧米では労働分配率が大きく低下した。

イノベーションで生産性上昇率が上がって経済全体のパイが拡大しても、アイデアや資本の出し手に所得増加が集中し、平均的な労働者の所得はなかなか上昇しないからだ。

日本の労働分配率はどうだったか。

1980年代に年率0.5%下落、1990年代は0.3%上昇し、2000年代は0.2%下落した。

2000年代は、金融グローバリゼーションで、資本市場のプレッシャーから経営者は賃金を引き上げづらかった。

一方、2010年代の労働分配率は年率0.2%とわずかだが上昇した。

アベノミクスの賃上げ策が奏功したのか。

イノベーションが進まず、生産性上昇率が低迷する代わりに、欧米のように一部の人に所得が集中することもなかったためだと考えると、痛しかゆしだ。

2000年代に貧しくなった真因

交易条件はどうか。

1980年代は年率0.5%悪化し、1990年代は0.9%悪化。2000年代にも0.9%悪化して、1970年代の1.1%の悪化に迫った。

だが2010年代は0.2%の悪化と大きく緩和した。

2000年代の悪化は、中国の旺盛な需要によって原油などコモディティー価格の水準が切り上がったためだ(下図)。

資源価格が上昇すると、資源国に所得が移転してしまい、輸出価格に転嫁できなければ、交易条件が悪化して実質所得は抑制される。

2000年代初頭に1バレル=30ドルだった原油価格は、ピークの2008年には140ドル台をつけ、2010年代に入っても100ドル前後で推移していたが、2014年秋に急落し、交易損失は改善された。

ここで筆者が強調したいのは2000年代に貧しくなった真因である。

これまで見たように、
①労働生産性上昇率の低下と、
②労働分配率の比較的大きな低下、
③交易条件の大幅悪化が、実質賃金の減少をもたらしていた。

しかし、経済学者の齊藤誠も指摘するように、原油高でGDPデフレーターが低下したため、デフレで貧しくなったと多くの人が誤解した。

交易条件の悪化は、原油高によるインフレ現象であり、デフレ現象ではない。

しかし、輸入物価の上昇はほかの物価統計と異なりGDPデフレーターを低下させる。GDP統計上、輸入は控除項目であるためだ。

診断を誤り、リフレ政策という誤った処方箋を出してしまったことの帰結が、生産性上昇率の低下であり、それが、2010年代に交易条件の悪化が和らいだことや労働分配率の低下が止まったことによるプラスの効果を相殺したのである。

ちなみに、日本銀行は2014年10月の原油価格急落時に、追加緩和で円安を促し、せっかくの原油安の家計への恩恵を相殺してしまった。

2014年といえば、消費増税が家計の実質所得を抑制した年だ。

現在のコモディティー価格上昇は、コロナ禍で供給の回復が遅れる一方、経済再開で需要回復が先行したことが背景にある。

「カーボンニュートラル2050」を意識した化石燃料関連の更新投資の滞りやウクライナ危機もエネルギー高に拍車をかける。

その結果、交易損失は2022年1~3月期の段階で、2008年7~9月期を超えて悪化した。

円安は家計を圧迫している


ただ今回は、コモディティー高による輸入物価上昇を円安が増幅し、インフレ的現象であることが一目瞭然

人々の関心が再び日銀に向かうとしても、求めるのはリフレ政策ではないだろう。

筆者の新著『成長の臨界 「飽和資本主義」はどこへ向かうのか』。

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円安は、日本の財・サービスを割安にし、輸出拡大を促すため、確かに景気刺激効果を持つ。

家計が損失を被っても、景気刺激という点からはプラス効果が大きい。

日銀のイールドカーブ・コントロール(YCC)政策には、海外金利が上昇しても、日銀が金利上昇を抑え込み、内外金利差を拡大させることで円安を促し、インフレを醸成するメカニズムがある。

2%のインフレ目標の達成を目指す日銀としては、チャンス到来ということかもしれない。 

しかし、インフレが安定的な2%の目標に達しないという理由だけで、景気循環を超えて超金融緩和を固定化することは適切だろうか。

景気刺激効果だけで政策を決めるのは、視野狭窄ではないか。

名目賃金の上昇が限られる中、円安が輸入物価上昇を増幅すれば、家計の実質購買力は抑制され、消費回復の足かせとなる。

輸出企業に恩恵が及ぶとはいえ、企業は儲かってもため込むだけで、賃金を増やさず、人的資本や無形資産、有形資産への投資も活発化させない。何のために経済が存在するのか。

また、超低金利政策の長期化・固定化は、ゼロ金利や超円安なしでは存続できない生産性の低い企業を生き残らせるため、潜在成長率の回復も阻害する。だから実質賃金が上昇しない。

2012年末に日銀の金融政策に社会の関心が集まることで、「政策の窓」が開きリフレ政策が発動された。

2000年代の交易条件の悪化がデフレ問題と誤認されたことも背景にあった。

今回は、資源高による輸入物価上昇を円安が増幅し、家計の実質所得を抑制していることが、正しく認識されるだろう。

円安に関心が集まる今こそ、景気刺激という短期の視点を超えて、超金融緩和を固定化することの長期のメリット、デメリットを再検討する必要がある。

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「靖国参拝を再開せよ」

2022-09-26 18:11:50 | 日記
「靖国参拝を再開せよ」

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会長・政治評論家 屋山太郎


安倍晋三元総理の存命中に申し上げておけばよかったと悔いる問題がある。

何年か前、元総理から「靖国神社参拝問題について考えておいてくださいよ」と言われたことである。

当然、御自身も一つの問題、それは「参拝」ということについて確かな思想を持っておられたことは間違いない。

しかし「参拝」を表明する時期と理屈は極めて困難である。

そもそも1985年の中曽根康弘首相の時代まで粛々と続いてきた首相の靖国参拝がなぜ途切れることになったか。

当時の後藤田正晴官房長官は「中国が納得していない」旨を述べている。

しかし靖国参拝中止の決定的根拠になったのは、昭和天皇が内密に語られた次の発言ではないか。

これは2006年(平成18年)7月20日)に日経新聞が一面に挙げたスクープ記事である。

元宮内庁長官富田朝彦氏の聞き書きのメモと言われる。

文章を簡潔にするため箇条書きにした。

天皇は、

①私は或る時に、A級が合祀され、

②松岡(松岡洋右元外相)、白取(白鳥敏夫元駐伊大使)までもが合祀されたと聞いた。

③筑波(筑波藤麿靖国神社宮司)は慎重に対処してくれたと聞いたが、

④松平(松平慶民元宮内大臣)の子の今の宮司(松平永芳靖国神社宮司)はどう考えたのか。

⑤松平は平和に強い考えがあったのに、親の心子知らずだ。

⑥だから 私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」

(肩書は筆者注)A級合祀が間違いなら、元に戻す分祀をすればいいとの案があるが、神道の教義上分祀はできないことになっており、この筋上には解決案がない。

A級戦犯が合祀されたことについて昭和天皇に不満があるようだが、B級、C級や樺太の電話交換手までが祭られている

反戦的ムードのマスコミが吠えそうだが、吠える根拠があるのか。

世界全体を見渡して、戦死者が公式に葬られていない国があるのか。

河野克俊前統合幕僚長が安倍首相のお供で硫黄島を訪れた時、ふと見ると安倍首相が滑走路沿いに埋められた遺骨に手をついてお祈りしていたという。(雑誌WILL9月号)。

安倍元首相は訪問国の戦没者墓地をよく回る首相の一人だった。

日本国民の平凡な気持ちは8月15日でも春秋例大祭でも、首相と天皇がそろって靖国神社をお参りすることだ。

こういう平凡でどこの国でもやっている祭祀が再開されて、どこの国がどう文句を言うだろうか。

問題は国際問題よりも国内の理屈の建て方である。

先ほど述べたように、公式参拝を止めている決定打は、昭和天皇が言われたとする「松平には強い考えがあったと思うのに『親の心子知らずだ』」というセリフである。

これは昭和天皇の本心だと思うが、れっきとした証拠がない。

特に「松岡(洋右元外相)までが合祀された」という個人の怒りが神社の歴史を曲げかねない。

この発言に目をつぶれば、全て円く収まる。

(令和4年8月10日付静岡新聞『論壇』より転載) バックナンバーはこちら 



「国家運営の見直しをすべき国、韓国」

2022-09-26 17:51:07 | 日記
「国家運営の見直しをすべき国、韓国」

―海外脱出・出生率低下・自殺率増加・条約不履行・三権の役割不確立・歴史捏造―
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会長・政治評論家 屋山太郎


韓国の大統領選挙が3月9日に迫った。かつては誰が当選すれば、対日関係はどう変わるか注目していたものだが、今は全く関心がない。

退陣する文在寅氏がいきなり投獄されても驚かない。

韓国政治は予想もできない程、路頭に迷っているように見える。

今や700万人が海外に脱出し、合計特殊出生率はわずか0.84(2020年)。

出生率が1.0未満の国は、世界でも韓国しかない。

しかもソウルの0.64は、信じられないほど低い。

自殺も多く、OECD(経済協力開発機構)加盟国の中で自殺率は10万人当たり25.7人となっており、加盟国38ヵ国平均である10.9人の倍を超えている。

特に70歳代の自殺率は38.8人に上っている。

以上、見てきた数字だけで、若者が国を捨て外に出ていく一方で、残された人達は70歳を過ぎると死にたくなるという状況が見て取れる。

国民全体が自暴自棄に陥っているのではないか。

国家再生のためにやるべきことは、まず国家の威信を取り戻すため、国と国がむすんだ条約は、何があっても守る姿勢を打ち出すことだ。

日本と韓国は1965年に日韓基本条約を結び、その付属協定として日韓請求権協定を定めた。

請求権として日本から韓国に無償3億ドル、有償2億ドルが支払われた。

日本として韓国との貸借関係はこれで終わりである。

5億ドルは本来、韓国人で損害を被った人に対する賠償や年金にも使われるはずだったが、当時の朴正熙大統領の判断で製鉄会社や農業への投資、道路やダムなどのインフラ投資に使われた。

結果は“漢江の奇跡”と呼ばれる経済復興をもたらした。

その代わり賠償金も年金もない、という人達が対日請求をする裁判が日本で起こされた。

見当違いだと却下されたのは当然だ。

そこで韓国裁判所に訴えたところ韓国の裁判所は「政府は日本に請求せよ」とか「日本企業の財産を差し押さえよ」という判決を出した。

対日請求を要求した時点で「条約を結んだから無効だ」という説明をするのが司法の役割だ。

韓国が司法、行政、立法の三権がきちんと区別されていない国家であることを示している。

退任した大統領が刑務所に入ることが韓国では常時起きている。

これも三権がその権限をわきまえないことから起こっている。

韓国人は「植民地時代」を恨みに思っているようだが、日本は韓国を併合したのであって、欧米人のように植民地にした訳ではない。

併合したからには、まず首都は日本並みにしようと、台北もソウルも下水道造りから始めている。

手元に朝鮮人陸軍特別志願兵制度の記録がある。

これは朝鮮人も日本人も公平に扱っていた一つの証拠でもあるが、昭和15年の採用者は3,060人、応募者は84,443人。

応募倍率は28倍程である。昭和17年には4,077人を採用し、倍率は62倍だった。この数字を見て「奴隷のように扱われた」と言う人は何と反論するのか。

(令和4年2月23日付静岡新聞『論壇』より転載