経済大国の日本は貧困大国だった!?
2021年現在、日本はアメリカ、中国に次ぐGDP世界3位の経済大国だ。その一方で「貧困大国」と呼ばれることがある。その根拠となっているのが、主に先進国の貧困を定義する相対的貧困率だ。
途上国の貧困率は、絶対的貧困といって1日に1.9ドル以下で暮らす人々の割合で示す。その数は、おおよそ世界の10人に1人といわれている。
ただ、先進国ではこれでは食べていくことができないため、その国の国民全体の所得と照らしあわせて貧困率が算出される。それが相対的貧困率だ。相対的貧困率とは、国の等価可処分所得の中央値の半分未満で生活する人々の割合のこと。具体的には、122万円未満で暮らす人の割合となる。
現在、日本ではこの相対貧困の割合が、国民の15.4%になっている。実に7人に1人が貧困者という計算だ。日本が貧困大国とされるのは、相対貧困率が世界で14番目に高いことからだ。
そんなに多いの? と驚く人もいるかもしれない。でも、親子2人の家庭で、可処分所得が月額14万円以下であれば相対貧困層ということになる。母親1人がアルバイトで生計を立てている家庭と考えれば、決して意外な数字ではないだろう。
さて、そんな日本を賃金を得る手段にもとづいた階級で分類してみよう。『新・日本の階級社会』(橋本健二:著/講談社:刊)を参考にしてつくったのが下図だ。
「階級」という言葉が気になるかもしれない。
階級は社会が決めた身分を指す言葉で、階層は自然発生的にできたそれを示す言葉として使用されることが多い。著者はそれを承知のうえで、あえて階級という言葉をつかっているのだろう。図表を引用させてもらうので、ここでのみ「階級」という言葉を用いたい。
日本の平均年収は約430万円だ。一般的にそれ以上の収入のある企業の経営者や役員などの仕事をしている人を「資本家階級」、管理職・専門職・男性の上級事務職等を「新中間階級」と呼ぶ(女性の事務職は多くが一般職なので、この図では新中間階級に含んでいない)。この階級では、共働きの場合も含め、夫婦の収入が1000万円前後あれば、マイホームを所有して子どもを養うゆとりがある。割合としては、全体の4分の1ほどだ。
いまの日本で中流と呼ばれるのが「正規労働者階級」「旧中間階級」だろう。ただ、この層は人によって生活水準にかなり違いがある。中流でも上のほうであればそれなりの暮らしはできる。下のほうであれば家庭を持つことさえままならない。
未婚率が30%超になるのはそのためだ。
そして下流に位置するのが「アンダークラス(非正規労働者)」だ。アパートで自分1人が食べていくのが精一杯という状況で、生活保護の人たちも含まれる。妻子を養う余裕はなく、未婚率は非常に高い。
同じ階級同士になる子どもたちの交友関係
こうした社会を形づくっている原因の1つが、教育格差が生み出す経済格差だ。
資本家階級や新中間階級に位置する人々は、家庭を持って子どもに対して十分な教育を施すことができる。塾や英会話に通わせ、小中学校受験をさせて私立校で学ばせ、一流大学へ進学させる。
今は習いごとも費用に応じて質がかなり違う。授業料の高い有名進学塾は優秀な講師を集め、英会話教室は外国人講師をそろえている。スポーツだって競技によっても、所属するクラブによってもかかる費用は桁違いだ。
そうなると、子どもたちの交友関係は自然と絞られていく。私立校や習いごとで出会った同じ階級の子どもたちと付き合い、お互いに似たような影響を受けあいながら成長し、人生設計をするようになる。日本は学歴社会であるため、学歴が高い人ほど一流企業や安定した職業に就きやすい。
社会で出会うのも同じような階級の人たちだ。
親の年収が、子どもの学歴や就職にどれだけ影響を及ぼすのかはデータからも明らかだ。東京大学の学生に限った場合、親の世帯年収が年収950万円以上の家庭が60.8パーセントとなっている。
日本人の平均年収と比べれば倍の額だ。また、国公立の医学部に通う学生の親の3割は医師であり、私立の医学部では5割に及ぶ。
こうしたことからも、親が高所得というだけで子どもが得られるメリットの大きさがわかるだろう。
これを象徴しているのが、月刊誌『文藝春秋』の名物コーナー「同級生交歓」だ。
1956年から始まった企画で、毎回グラビアページを設けて、幼稚園・小・中・高の有名人となった同級生たちが顔をあわせて学生時代を回顧する。
たとえば、東京で「御三家」と呼ばれる名門校の1つ、私立麻布高校の回がある。
大学教授や国内最大の損害保険グループの社長、メガバンクの副頭取などが母校に集まり、握りこぶしをつくってポーズをとっている。
ほんの一部の卒業生を取り上げただけで、これだけのそうそうたるメンバーが集まるのが驚きだが、格差がより広がった現代では、この傾向はより顕著になっているはずだ。
一方、労働者階級の中でも収入が乏しい層や、下流階級の人たちは違う。
彼らは家庭を持ったところで、日々の生活で精一杯で、お金をかけて子どもに習い事をさせたり、私立校へ進学させたりすることができない。
地元の公立校へ通い、習いごとの代わりが、お金のかからない学校の部活動だ。
彼らがそこで知りあうのは、同じような階級の子どもたちだ。
なかには「塾は行かせられない」「私立への進学はダメ」「学校へ行きたいなら自分で学費を稼いで」と言われて育ち、早い段階で大学進学をあきらめてしまう子も少なくない。
学歴がなければ、条件のいい職につくのは難しい。
大卒エリート社員に使われる立場で、最初から給与格差の現実に直面する。
非正規雇用であれば福利厚生も乏しく、いつ失業するかもしれない不安のなかで生きていくことになる。
教育にお金をかけられなかった子どもたちが、大人になっても貧困に苦しんでいるデータもある。
日本の生活保護世帯で育った子どもの4人に1人が、成人したあとも仕事につけずに生活保護を受けている。
一度貧しい家庭で生まれたら、社会の構造的にそこから這い上がるのが非常に難しいことを示している。
※本記事は、石井光太:著『格差と分断の社会地図 16歳からの〈日本のリアル〉』(日本実業出版社:刊)より一部を抜粋編集したものです。