~二次加害者とならないために~
日本人慰安婦の話と、元日本軍慰安婦に関する正確な知識
2015.1.14
【日本人慰安婦の話~橋下“維新の会”は聞け 美輪明宏】(2013年6月のライブドアニュースより)
今日はですね、橋下さんが発言しちゃって問題になっております、従軍慰安婦問題。
あれは若い方はトンチンカンで、何の話だか全然お分かりにならないんじゃないかと思いますね。10代後半20代30代の方なども。
従軍慰安婦というのはもう60年以上前の、つまり半世紀以上前の第2次大戦の戦争中のお話でしょう。
これでいろんなメディアが昔を語るという、終戦記念日に近くなると、よく昔の焼け跡だとか兵隊さんの話とか色々なものを聞いて、爆撃でやられた話とか、そういった人たちを取材した話ができますでしょう。
でも従軍慰安婦の人たちというのは、直の話を聞けないんですよね。
そして聞けるのは大体、韓国と中国の従軍慰安婦の人ばかりが取り上げられますけれども、日本人の従軍慰安婦の人たちもいたんですよ。いっぱいいたんです。
でもそういった人たちは何故取り上げないのかといったら、その人たちが、もう酷い目に遭ったんですね。
まず、私が何故そんなことを知っているかと言いますと、終戦後にその人たちが満州、つまり今の中国から引き揚げてきたんですね。
引き揚げてきて私長崎でございましょう、長崎には丸山遊郭という有名な、女郎さん遊女たちがいて売春する、そういう街があったんですね。
坂本龍馬なども遊んでいたような有名な所ですね、日本の3大遊郭という。
これが、戦争中に遊興の場所というのはカフェやバーも遊郭もみんな閉店させられて全部が商売営業停止になったんですよ。
そしてその人たちは行き場が無くなったんですね。
その人たちはどういう人たちが遊女になっているかというと、主に、人身売買が当たり前になっていた時代でしたから。
貧しい農家の娘さんとか、
貧しい家の子供たちが、自分が売られていけばお父さんもお母さんも弟たちも飢え死にしないで済むからといって、
女衒(ぜげん)と言われる人買いの人に話をしてもらって遊郭に身を売られて、身を売っていったんですね。
一家の犠牲になっている貧しいお嬢さんたちが多かったんです。
閉鎖されて行き場が無くなった時に、軍の出先機関で大政翼賛会(たいせいよくさんかい)という組織があったんです。
そこの人に声をかけられて、満州に良い仕事があるぞ。
カフェとか遊郭があるから、そっちへ行って稼げばいいということで、そして喜んでそちらへ行ってみたらなんと、話が違って従軍慰安婦だったというんですね。
従軍慰安婦というのは街ならその街にずっと居着いて遊郭にいて、そして男の人たちの相手をするというだけではなくて、
従軍慰安婦の人たちは「従軍」と言いますでしょう、軍に従うと書いてあって第一線を付いて周るんですね。
そして筵(むしろ)みたいなものを敷いて、筵みたいなものを立てて、
コーリャンという麦よりももっと不味い穀物で作った真っ黒いおにぎりですけれど、
私も長崎で食べたことがありますけれど、食べられた物じゃないです。
それを枕元に置いて食べながら、表には兵隊たちが木札をもってズラリと並んで、それを一人ひとり相手をして。
そして鉄砲の練習をさせられて、敵が来たら身を守るためといって銃の練習をさせられて、敵が押し寄せてきますでしょう、馬賊(ばぞく)とか匪賊(ひぞく)とか。
そうすると兵隊と一緒に戦うんですって。
戦って流れ弾に当たって死んだら、今度は日本婦人がそういうことをしていたというと恥になるからといって、
モンペやなにかを脱がされて支那(しな)服に着替えさせられて、そして放り出されるんですって。
そして埋めてももらえない、焼いてももらえない、野ざらし雨ざらし。山犬の食い荒らすままになっていて。
そして終戦後引き揚げてくるときに、まず軍人の将校たちと家族がトラックに乗って逃げて、自分たちは置いてきぼりになったんですって。
他の移民団、開拓団の人たちと一緒になって、命からがら引き揚げてきて村に帰ったら、村の恥さらしとか面汚しとか言われて。
そして家へ帰ったら、自分はお父さんお母さん、一家のために売られて行ったのに、
「お前のやっていたことが世間様に知られたら、家の恥になる、出て行ってくれ。」と。
もうそれはどこに恨みを持っていったらいいのか、それは悲憤慷慨(ひふんこうがい)ですね。
それを行き場所が無いから、自分が従軍慰安婦だったというのを隠しているんですよ。
だから日本人の従軍慰安婦は一人も出てきませんでしょう。そういう事情があるんですね。
そして女郎屋さんが再開して進駐軍の兵隊たち相手に遊郭が復活したんですよ。
日本人は出入り禁止で、進駐軍だけのセックスの処理として遊郭がまた再開して、そこで働いていたんですね、また戻ってきて。
そこでも内地の女郎さんには白い目で見られて、さんざん馬鹿にされて、
ところが3人の人たちはバラバラに引き揚げてバラバラのところにいたのだけれども仲良くなって、それでいろんな思い出話をするんです。
それを私は脇でじっと聞いていて「はぁー、どんなに辛いことだろう。」と思ったんですね。
それで私はもうものすごく頭に来ちゃって、義憤(ぎふん)に駆られて「祖国と女たち」という歌を作って。
今度のコンサートでも歌いますけれど。
みんな政府や右翼の人たちが怖くてその歌を歌わないし言いもしませんけれど、やはりそれはその人たちの供養のためにも表に出してあげることが必要だと思います。
ですからその辺を橋下さんは何にも知らないで、それで軽々しくあんなことを言ったり、また沖縄の兵隊たちも風俗を利用してやってくださいと、あんなことを言うべきじゃないんですよ。
一遍であの人のことを大嫌いになりました。
ですから、もっと人間には尊厳があるということを、維新の会の人たちはもっと知るべきだと思います。
●美輪明宏『祖国と女たち』(6分3秒)
北は青森から 南は沖縄
売られ買われて 今日も旅行く
違うお国訛りで 慰めあいながら
捕虜の女囚も 同じ仲間さ
荒れ果てた肌に やせこけた頬
今日も覚悟の最後の衣装
万歳 万歳
毎日百から二百 兵隊相手に
朝日が昇り 月が落ちるまで
いずれ死んでゆくことが 決まっている男
虚ろに空を 見つめる女
涙も渇れはて痛みもないさ
そこには 神も仏もない
万歳 万歳
誰の子かわからぬ 赤子残して
死んだ女やら 銃を片手に
愛する若い兵士と散った女やら
歌える女は 子守唄を唄う
あまりの怖さに狂った女
嫌な将校に斬られた女
万歳 万歳
男はなんていいんだろう羨ましいじゃないか
死ねば死んだで 名誉の戦死とやらで
立派な社に奉られるんだろ
私も男に生まれていたら
今ごろきっと勲章だらけ
万歳 万歳
戦に負けて帰れば 国の人たちに
勲章のかわりに 唾をかけられ
後ろ指さされて 陰口きかれて
祖国の為だと死んだ仲間の
幻だいて 今日も街に立つ
万歳 万歳
ニッポン 万歳
大日本帝国 万歳 万歳 万歳
日本軍慰安所マップ
これほど広範囲に展開。話題なるのは中国、韓国のことばかりだけど、南方も大規模に設置されている。(拡大:元リンク)
【正確な知識を!~元日本軍「慰安婦」をこれ以上傷つけてはならない】
●右派の「強制連行はなかった」論は国際社会に通用しない。“強制連行”の定義が日本と海外でまったく違うからだ。主張すればするほど日本の品位を貶める。
安倍氏ら極右政治家は「強制連行」の意味を「軍が無理やりトラックに詰め込み拉致すること」と考えている。
そして「慰安婦募集の際に、仕事内容を“看護婦”“給仕”“工員募集”などと騙したのは朝鮮人の悪徳ブローカーであり、日本軍は関係ない」と主張している。
一方、国際社会の人権感覚では、日本軍管理下の慰安所に騙されて送られた女性が、自由を奪われ売春を強要されたことを「強制連行」と見なしている。
嘘の募集広告で戦地へ連れてこられ、無理やり慰安婦にされた女性が「家に帰して」と懇願しても返さなかった。
つまり、「拉致の方法」が問題なのではなく、「どうして騙されて慰安所に連れて来られた女性を故郷に帰してあげなかったのか」と批判されているのだ(女性たちを前線まで移送したのは軍の船や車)。
極右政治家の強制連行否定は、海外から見れば、
「確かに悪いことをやったが、方法はそこまで酷くない」と開き直っているように見え、
だからこそ安倍氏ら保守グループが米国の新聞に「日本は強制連行していない」と意見広告を出したときに、
アメリカ議会は「事態の深刻さを何も分かってない」と、それまで日本寄りだった議員までが呆れ、対日非難決議が可決されたのだ。
連行された方法が何であろうと、慰安所は軍の要請で設置された施設であり(軍医が性病を検査)、管理運営に軍が深く関わっていたことから非難を免れることはできない。
レイプの言い訳が国際社会でどれほど恥ずべきことか安倍氏周辺は分かっていない。
※日本軍が各地域の有力者に「A村からは5人、B村からは8人の慰安婦を出させろ」と強要した事例も多く、これらも一種の強制連行といえる。
●元慰安婦の証言が変わる理由
保守系ブログなどで「元慰安婦は証言内容がコロコロ変わる。
だからでっちあげだ。賠償金目当てだ」という聞くに堪えないことを言う人がいる。
彼女たちの名誉のために社会背景を説明し弁護したい。
韓国は一族の名誉、家名を非常に重んじる儒教社会であり、身内から元慰安婦が出れば大きな恥辱となる。
元慰安婦の多くは、「看護婦募集」「ウエイトレス募集」というニセ広告に騙されて戦地で性交を強要され、明らかに被害者であるのに、“日本兵の慰み者となった”と理不尽な汚名を背負わされた。
戦後、差別を恐れて社会から身を隠すように生きてきた元慰安婦が、近年になって自らの過去を語り始めたのは、
日本の一部保守政治家が「慰安婦などいなかった」「いたとしたら売春婦」と言い始め、それに深く傷つき、また激怒したからだ。
元慰安婦たちは勇気を出し、「私が証拠」「日本政府に謝って欲しい」と主張したが、
元慰安婦であることをカミングアウトすることは、80年代、90年代の韓国社会において侮蔑対象になることだった(今では理解が進み“犠牲者”と認識されている)。
だからこそ、当初は韓国社会からのバッシングを恐れて、“同情して欲しい”という思いから、証言内容がより悲劇性を強調するものになった人がいた。
また、地名や日時に記憶違いがあるのは、半世紀以上も昔のことをご高齢の方が思い出しているためで、人間なら誰でも起こりえること。
それらを何ら考慮することなく、「Aという証言とBという証言のここが違うから、この話は全部ウソ、そしてこの慰安婦はニセモノだ!」と糾弾するのは無情すぎる。
※そもそも若い女性が出稼ぎに追い込まれた朝鮮半島(特に農村地帯)の貧困は、日本による農地収奪が原因だ。
都会でも経済を握っていたのは日系企業。
保守“有識者”の中には「仕事で慰安婦を選んでおいて被害者ヅラするな」と言う人物も多いが、
その意見は彼女たちが騙されて慰安婦にされたことをスルーしているうえ、なぜ彼女たちが日本の支配下でそこまで貧困に苦しんでいたのか歴史を理解していない。
●自分で証拠資料を焼いておいて「資料はない」と主張する恥ずかしさ
日本政府や軍は、降伏前に戦争犯罪の証拠となるような機密文書や命令書を徹底的に焼却した。
これは歴史的事実。保守論客は「強制連行の証拠を出せ」というが、証拠を大量に隠滅しておいてそれを言うのは、同じ日本人として勘弁してほしい。
廃棄しきれなかった関係資料は見つかっているし、河野談話の後も様々な資料が発掘されている。
●「元慰安婦は高給」という非難の愚かさ
確かに彼女たちはお金を受け取ったが、それは日本軍が現地通貨を廃して作った独自通貨=“軍票”であり、それはすべて敗戦と共に紙クズになった。
しかも、この言い方ほど元慰安婦を侮辱するものはない。
想像して欲しい。もしあなたが給仕や工員募集に応募したのに戦地へ連れて行かれ、
性交を毎晩15~20人も強要され(水木しげる氏は“80人”も目撃している)、
「金をやるんだからいいだろ」と、札束で頬を叩かれる扱いを受けて納得できるのかと。
1942年9月時点の陸軍専用慰安所は約400カ所。
これらは軍当局の要請により設営された。慰安婦たちは心身がボロボロになっても「廃業の自由」がなく、また故郷に帰りたくても軍の監視下にあり脱出できず「移動の自由」もなかった。
これは国際社会では「奴隷状態」と認定される境遇であり、世界の人権感覚ではまさに“性奴隷”そのものだ。
元慰安婦の人に二次加害を加えることは、人として許されない。
※水木しげる氏は出征先ニューギニアの出来事をこう記している。
「敵のいる前線に行くために、「ココボ」という船着場についた。ここから前線へ船が出るのだ。そういうところには必ずピー屋がある。
ピー屋というのは女郎屋のことである。
(略)ピー屋の前に行ったが、何とゾロゾロと大勢並んでいる。
日本のピーの前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。
これを一人の女性で処理するのだ。僕はその長い行列を見て、一体いつできるのだろうと思った。
一人三十分としてもとても今日中にできるとは思われない、軽く一週間くらいかかるはずだ。
しかし兵隊はこの世の最期だろうと思ってはなれない、しかし…いくらねばっても無駄なことだ。僕は列から離れることにした。
そして朝鮮ピーの家を観察したのだ。
ちょうどそのとき朝鮮ピーはトイレがしたくなったのだろう、小屋から出てきた。
とてもこの世のこととは思えなかった。
第一これから八十人くらいの兵隊をさばかねばならぬ。
兵隊は精力ゼツリンだから大変なことだ。
それはまさに「地獄の場所」だった。兵隊だって地獄に行くわけだが、それ以上に地獄ではないか。
と、トイレに行った朝鮮ピーを見て思った。
よく従軍慰安婦のバイショウ(賠償)のことが新聞に出たりしているが、あれは体験のない人にはわからないだろうが…やはり「地獄」だったと思う。
だからバイショウはすべきだろうナ」。(
その後、彼女たちは病院船で移動する際に潜水艦にやられ全員死亡したとのこと。賠償することさえ不可能になった)
日本人慰安婦の話と、元日本軍慰安婦に関する正確な知識
2015.1.14
【日本人慰安婦の話~橋下“維新の会”は聞け 美輪明宏】(2013年6月のライブドアニュースより)
今日はですね、橋下さんが発言しちゃって問題になっております、従軍慰安婦問題。
あれは若い方はトンチンカンで、何の話だか全然お分かりにならないんじゃないかと思いますね。10代後半20代30代の方なども。
従軍慰安婦というのはもう60年以上前の、つまり半世紀以上前の第2次大戦の戦争中のお話でしょう。
これでいろんなメディアが昔を語るという、終戦記念日に近くなると、よく昔の焼け跡だとか兵隊さんの話とか色々なものを聞いて、爆撃でやられた話とか、そういった人たちを取材した話ができますでしょう。
でも従軍慰安婦の人たちというのは、直の話を聞けないんですよね。
そして聞けるのは大体、韓国と中国の従軍慰安婦の人ばかりが取り上げられますけれども、日本人の従軍慰安婦の人たちもいたんですよ。いっぱいいたんです。
でもそういった人たちは何故取り上げないのかといったら、その人たちが、もう酷い目に遭ったんですね。
まず、私が何故そんなことを知っているかと言いますと、終戦後にその人たちが満州、つまり今の中国から引き揚げてきたんですね。
引き揚げてきて私長崎でございましょう、長崎には丸山遊郭という有名な、女郎さん遊女たちがいて売春する、そういう街があったんですね。
坂本龍馬なども遊んでいたような有名な所ですね、日本の3大遊郭という。
これが、戦争中に遊興の場所というのはカフェやバーも遊郭もみんな閉店させられて全部が商売営業停止になったんですよ。
そしてその人たちは行き場が無くなったんですね。
その人たちはどういう人たちが遊女になっているかというと、主に、人身売買が当たり前になっていた時代でしたから。
貧しい農家の娘さんとか、
貧しい家の子供たちが、自分が売られていけばお父さんもお母さんも弟たちも飢え死にしないで済むからといって、
女衒(ぜげん)と言われる人買いの人に話をしてもらって遊郭に身を売られて、身を売っていったんですね。
一家の犠牲になっている貧しいお嬢さんたちが多かったんです。
閉鎖されて行き場が無くなった時に、軍の出先機関で大政翼賛会(たいせいよくさんかい)という組織があったんです。
そこの人に声をかけられて、満州に良い仕事があるぞ。
カフェとか遊郭があるから、そっちへ行って稼げばいいということで、そして喜んでそちらへ行ってみたらなんと、話が違って従軍慰安婦だったというんですね。
従軍慰安婦というのは街ならその街にずっと居着いて遊郭にいて、そして男の人たちの相手をするというだけではなくて、
従軍慰安婦の人たちは「従軍」と言いますでしょう、軍に従うと書いてあって第一線を付いて周るんですね。
そして筵(むしろ)みたいなものを敷いて、筵みたいなものを立てて、
コーリャンという麦よりももっと不味い穀物で作った真っ黒いおにぎりですけれど、
私も長崎で食べたことがありますけれど、食べられた物じゃないです。
それを枕元に置いて食べながら、表には兵隊たちが木札をもってズラリと並んで、それを一人ひとり相手をして。
そして鉄砲の練習をさせられて、敵が来たら身を守るためといって銃の練習をさせられて、敵が押し寄せてきますでしょう、馬賊(ばぞく)とか匪賊(ひぞく)とか。
そうすると兵隊と一緒に戦うんですって。
戦って流れ弾に当たって死んだら、今度は日本婦人がそういうことをしていたというと恥になるからといって、
モンペやなにかを脱がされて支那(しな)服に着替えさせられて、そして放り出されるんですって。
そして埋めてももらえない、焼いてももらえない、野ざらし雨ざらし。山犬の食い荒らすままになっていて。
そして終戦後引き揚げてくるときに、まず軍人の将校たちと家族がトラックに乗って逃げて、自分たちは置いてきぼりになったんですって。
他の移民団、開拓団の人たちと一緒になって、命からがら引き揚げてきて村に帰ったら、村の恥さらしとか面汚しとか言われて。
そして家へ帰ったら、自分はお父さんお母さん、一家のために売られて行ったのに、
「お前のやっていたことが世間様に知られたら、家の恥になる、出て行ってくれ。」と。
もうそれはどこに恨みを持っていったらいいのか、それは悲憤慷慨(ひふんこうがい)ですね。
それを行き場所が無いから、自分が従軍慰安婦だったというのを隠しているんですよ。
だから日本人の従軍慰安婦は一人も出てきませんでしょう。そういう事情があるんですね。
そして女郎屋さんが再開して進駐軍の兵隊たち相手に遊郭が復活したんですよ。
日本人は出入り禁止で、進駐軍だけのセックスの処理として遊郭がまた再開して、そこで働いていたんですね、また戻ってきて。
そこでも内地の女郎さんには白い目で見られて、さんざん馬鹿にされて、
ところが3人の人たちはバラバラに引き揚げてバラバラのところにいたのだけれども仲良くなって、それでいろんな思い出話をするんです。
それを私は脇でじっと聞いていて「はぁー、どんなに辛いことだろう。」と思ったんですね。
それで私はもうものすごく頭に来ちゃって、義憤(ぎふん)に駆られて「祖国と女たち」という歌を作って。
今度のコンサートでも歌いますけれど。
みんな政府や右翼の人たちが怖くてその歌を歌わないし言いもしませんけれど、やはりそれはその人たちの供養のためにも表に出してあげることが必要だと思います。
ですからその辺を橋下さんは何にも知らないで、それで軽々しくあんなことを言ったり、また沖縄の兵隊たちも風俗を利用してやってくださいと、あんなことを言うべきじゃないんですよ。
一遍であの人のことを大嫌いになりました。
ですから、もっと人間には尊厳があるということを、維新の会の人たちはもっと知るべきだと思います。
●美輪明宏『祖国と女たち』(6分3秒)
北は青森から 南は沖縄
売られ買われて 今日も旅行く
違うお国訛りで 慰めあいながら
捕虜の女囚も 同じ仲間さ
荒れ果てた肌に やせこけた頬
今日も覚悟の最後の衣装
万歳 万歳
毎日百から二百 兵隊相手に
朝日が昇り 月が落ちるまで
いずれ死んでゆくことが 決まっている男
虚ろに空を 見つめる女
涙も渇れはて痛みもないさ
そこには 神も仏もない
万歳 万歳
誰の子かわからぬ 赤子残して
死んだ女やら 銃を片手に
愛する若い兵士と散った女やら
歌える女は 子守唄を唄う
あまりの怖さに狂った女
嫌な将校に斬られた女
万歳 万歳
男はなんていいんだろう羨ましいじゃないか
死ねば死んだで 名誉の戦死とやらで
立派な社に奉られるんだろ
私も男に生まれていたら
今ごろきっと勲章だらけ
万歳 万歳
戦に負けて帰れば 国の人たちに
勲章のかわりに 唾をかけられ
後ろ指さされて 陰口きかれて
祖国の為だと死んだ仲間の
幻だいて 今日も街に立つ
万歳 万歳
ニッポン 万歳
大日本帝国 万歳 万歳 万歳
日本軍慰安所マップ
これほど広範囲に展開。話題なるのは中国、韓国のことばかりだけど、南方も大規模に設置されている。(拡大:元リンク)
【正確な知識を!~元日本軍「慰安婦」をこれ以上傷つけてはならない】
●右派の「強制連行はなかった」論は国際社会に通用しない。“強制連行”の定義が日本と海外でまったく違うからだ。主張すればするほど日本の品位を貶める。
安倍氏ら極右政治家は「強制連行」の意味を「軍が無理やりトラックに詰め込み拉致すること」と考えている。
そして「慰安婦募集の際に、仕事内容を“看護婦”“給仕”“工員募集”などと騙したのは朝鮮人の悪徳ブローカーであり、日本軍は関係ない」と主張している。
一方、国際社会の人権感覚では、日本軍管理下の慰安所に騙されて送られた女性が、自由を奪われ売春を強要されたことを「強制連行」と見なしている。
嘘の募集広告で戦地へ連れてこられ、無理やり慰安婦にされた女性が「家に帰して」と懇願しても返さなかった。
つまり、「拉致の方法」が問題なのではなく、「どうして騙されて慰安所に連れて来られた女性を故郷に帰してあげなかったのか」と批判されているのだ(女性たちを前線まで移送したのは軍の船や車)。
極右政治家の強制連行否定は、海外から見れば、
「確かに悪いことをやったが、方法はそこまで酷くない」と開き直っているように見え、
だからこそ安倍氏ら保守グループが米国の新聞に「日本は強制連行していない」と意見広告を出したときに、
アメリカ議会は「事態の深刻さを何も分かってない」と、それまで日本寄りだった議員までが呆れ、対日非難決議が可決されたのだ。
連行された方法が何であろうと、慰安所は軍の要請で設置された施設であり(軍医が性病を検査)、管理運営に軍が深く関わっていたことから非難を免れることはできない。
レイプの言い訳が国際社会でどれほど恥ずべきことか安倍氏周辺は分かっていない。
※日本軍が各地域の有力者に「A村からは5人、B村からは8人の慰安婦を出させろ」と強要した事例も多く、これらも一種の強制連行といえる。
●元慰安婦の証言が変わる理由
保守系ブログなどで「元慰安婦は証言内容がコロコロ変わる。
だからでっちあげだ。賠償金目当てだ」という聞くに堪えないことを言う人がいる。
彼女たちの名誉のために社会背景を説明し弁護したい。
韓国は一族の名誉、家名を非常に重んじる儒教社会であり、身内から元慰安婦が出れば大きな恥辱となる。
元慰安婦の多くは、「看護婦募集」「ウエイトレス募集」というニセ広告に騙されて戦地で性交を強要され、明らかに被害者であるのに、“日本兵の慰み者となった”と理不尽な汚名を背負わされた。
戦後、差別を恐れて社会から身を隠すように生きてきた元慰安婦が、近年になって自らの過去を語り始めたのは、
日本の一部保守政治家が「慰安婦などいなかった」「いたとしたら売春婦」と言い始め、それに深く傷つき、また激怒したからだ。
元慰安婦たちは勇気を出し、「私が証拠」「日本政府に謝って欲しい」と主張したが、
元慰安婦であることをカミングアウトすることは、80年代、90年代の韓国社会において侮蔑対象になることだった(今では理解が進み“犠牲者”と認識されている)。
だからこそ、当初は韓国社会からのバッシングを恐れて、“同情して欲しい”という思いから、証言内容がより悲劇性を強調するものになった人がいた。
また、地名や日時に記憶違いがあるのは、半世紀以上も昔のことをご高齢の方が思い出しているためで、人間なら誰でも起こりえること。
それらを何ら考慮することなく、「Aという証言とBという証言のここが違うから、この話は全部ウソ、そしてこの慰安婦はニセモノだ!」と糾弾するのは無情すぎる。
※そもそも若い女性が出稼ぎに追い込まれた朝鮮半島(特に農村地帯)の貧困は、日本による農地収奪が原因だ。
都会でも経済を握っていたのは日系企業。
保守“有識者”の中には「仕事で慰安婦を選んでおいて被害者ヅラするな」と言う人物も多いが、
その意見は彼女たちが騙されて慰安婦にされたことをスルーしているうえ、なぜ彼女たちが日本の支配下でそこまで貧困に苦しんでいたのか歴史を理解していない。
●自分で証拠資料を焼いておいて「資料はない」と主張する恥ずかしさ
日本政府や軍は、降伏前に戦争犯罪の証拠となるような機密文書や命令書を徹底的に焼却した。
これは歴史的事実。保守論客は「強制連行の証拠を出せ」というが、証拠を大量に隠滅しておいてそれを言うのは、同じ日本人として勘弁してほしい。
廃棄しきれなかった関係資料は見つかっているし、河野談話の後も様々な資料が発掘されている。
●「元慰安婦は高給」という非難の愚かさ
確かに彼女たちはお金を受け取ったが、それは日本軍が現地通貨を廃して作った独自通貨=“軍票”であり、それはすべて敗戦と共に紙クズになった。
しかも、この言い方ほど元慰安婦を侮辱するものはない。
想像して欲しい。もしあなたが給仕や工員募集に応募したのに戦地へ連れて行かれ、
性交を毎晩15~20人も強要され(水木しげる氏は“80人”も目撃している)、
「金をやるんだからいいだろ」と、札束で頬を叩かれる扱いを受けて納得できるのかと。
1942年9月時点の陸軍専用慰安所は約400カ所。
これらは軍当局の要請により設営された。慰安婦たちは心身がボロボロになっても「廃業の自由」がなく、また故郷に帰りたくても軍の監視下にあり脱出できず「移動の自由」もなかった。
これは国際社会では「奴隷状態」と認定される境遇であり、世界の人権感覚ではまさに“性奴隷”そのものだ。
元慰安婦の人に二次加害を加えることは、人として許されない。
※水木しげる氏は出征先ニューギニアの出来事をこう記している。
「敵のいる前線に行くために、「ココボ」という船着場についた。ここから前線へ船が出るのだ。そういうところには必ずピー屋がある。
ピー屋というのは女郎屋のことである。
(略)ピー屋の前に行ったが、何とゾロゾロと大勢並んでいる。
日本のピーの前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。
これを一人の女性で処理するのだ。僕はその長い行列を見て、一体いつできるのだろうと思った。
一人三十分としてもとても今日中にできるとは思われない、軽く一週間くらいかかるはずだ。
しかし兵隊はこの世の最期だろうと思ってはなれない、しかし…いくらねばっても無駄なことだ。僕は列から離れることにした。
そして朝鮮ピーの家を観察したのだ。
ちょうどそのとき朝鮮ピーはトイレがしたくなったのだろう、小屋から出てきた。
とてもこの世のこととは思えなかった。
第一これから八十人くらいの兵隊をさばかねばならぬ。
兵隊は精力ゼツリンだから大変なことだ。
それはまさに「地獄の場所」だった。兵隊だって地獄に行くわけだが、それ以上に地獄ではないか。
と、トイレに行った朝鮮ピーを見て思った。
よく従軍慰安婦のバイショウ(賠償)のことが新聞に出たりしているが、あれは体験のない人にはわからないだろうが…やはり「地獄」だったと思う。
だからバイショウはすべきだろうナ」。(
その後、彼女たちは病院船で移動する際に潜水艦にやられ全員死亡したとのこと。賠償することさえ不可能になった)
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