日本と世界

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洪思翊は、朝鮮人であり、日本軍の中将出身であり、第二次世界大戦の戦犯

2023-04-13 17:22:57 | 日記
洪思翊(ホン・サイク)…

近代史の中で、彼ほど、興味深い人生を送った者はいない。

洪思翊は、朝鮮人であり、日本軍の中将出身であり、第二次世界大戦の戦犯として戦後、フィリピンで絞首刑された人物だ。

朝鮮人の中では、英親王(李垠)が日本軍の中将出身だが、洪思翊のように王族ではない一般人が、それも日本軍で将軍になるというのは、本当に興味深い人物である。

また、日帝時代に、日本の陸軍大学を卒業した人物は、英親王、李鍵、李グウ、そして一般人出身としては洪思翊が唯一である。

洪思翊は、安重根が伊藤博文を暗殺した年に純宗皇帝の命を受けて日本留学の途に出る。

純宗の軍人勅諭を持って、朝鮮の軍人として日本に国費留学し韓日併合後、日本陸軍士官学校を卒業して日本軍に入った洪思翊。

日本軍で将軍にまでなれば、親日派と後ろ指を指されてもおかしくないが、今もなおこの洪思翊という人物が、親日派と言うのには疑問がある(もちろん、親日派名簿には入っているが…)。

四書三経を丸ごと覚えた朝鮮の天才であり、最後まで創氏改名をしなかった。将校階級章をつけ、一線の舞台に配備されれば、必ず「私は、朝鮮人だ」と堂々と身分を明らかにした。

勤務先でも日本の陸軍士官学校の同期で、日本軍の中尉から独立軍に転身した池青天と連絡を取り、独立軍に加勢して家運が傾いた池を自分の給料から捻出して助けたりした。

朝鮮人の日本陸軍士官学校出身であれば、朝鮮で勤務し、偉ぶるのが当たり前の時代だったが、彼は朝鮮では一度も勤務したことがなかった。

息子の友達が、日本軍から脱走して逃げ出すのを知りながら、知らないふりをしたりもした。

日本の敗色が濃厚になった頃、東京で毎日朝鮮新報の東京特派員キム・ウルソルと会って、なぜ脱走して独立軍に加担しないのかと聞かれると…「今、朝鮮人の軍属数十万人(徴用)が連れてこられているが、将軍である私が中国の赴任地から脱出して朝鮮独立軍に行ったら、その軍属たちはどんな被害を受けるだろうか?」と話したという証言もある。

また、日本が敗戦すると、副官が「閣下、すぐに朝鮮に帰って素晴らしい仕事ができそうですね」と言うと、「私はまだ軍人だ。私がこの軍服を着ている限りは、そのような話は聞きたくない」と言ったという。

本当に興味深い…
洪思翊は軍人として生きていたかったのではないだろうか?
それが朝鮮であれ、日本であれ。

洪思翊が、フィリピンで絞首刑になった後、家族に渡った遺品はたった二つだった。
それは、純宗皇帝が中央武官学校入学生46人を日本に留学させた時に与えた軍人勅諭と陸軍大学を卒業した時に、日本の王から与えられた懐中時計だった。

純宗皇帝の軍人勅諭を37年間保管していたのだ。

日本の軍人勅諭と朝鮮の軍人勅諭は似ていた。
朝鮮は6個で、日本は5個だった。
忠節・礼儀・武勇・信義・質素…この5つは韓日で似ていたが、朝鮮だけにあったことは「軍人は言葉を慎みなさい…」だった。

洪思翊は、戦犯裁判の中で、一言も弁解もせず、証言もしなかった…
勅諭を守ったのである。

ちなみに、洪思翊は日本軍中将だったが、最後まで創氏改名をしなかったという。

翻訳元:http://www.ilbe.com/7895109574


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