思いつくままに書くブログ

基本旅行記と日本ハムファイターズの事しか書きません。そして忖度なくものを言う。いいものはいい悪いのは悪いと。

大宮の鉄道博物館を10年以上ぶりに見学する その1

2021-01-07 07:45:28 | 2021年の旅行記(国内)
上野から高崎行きの電車に乗って向かったのは埼玉の大宮、ここに来たということは目的地はだいたい分かったかなと思います。



鉄道博物館にやって来ました。前回は山梨に住んでいた頃に車で来たので2008年だと思いますので13年ぶりになりますね。勿論新館が増築される前の話ですから、あれから随分と変わったでしょうか。



床のタイルが東北新幹線の時刻表なんだ、秋田新幹線開業時のダイヤでした。



本来は火曜日休館日なんですが元旦を臨時休館した関連からか臨時営業日。入場券ですが現在はここでは販売していません。密対策で時間を区切った形でセブンチケットやローチケなどで入場券を購入するスタイルです。京都の鉄道博物館も同様のスタイルを採用していますね。なので昨晩、バスに乗る前にセブンで前売入場券を購入してきました。その前に背中のリュックをロッカーに仕舞いましたが300円かかるんですね!博物館のロッカーって100円のリターン式のイメージが強い。そしてなぜか300円は現金のみでICカードは使えないタイプ。入場ゲートをくぐれば、昔のなんとなく記憶にある鉄道博物館とは違いますね。結構大きく改装したんだな。



まず見たかったのが外に展示している455系。普段は弁当を食べられる休憩所として開放されているがコロナ対策で閉鎖されています。私が北海道以外で初めて乗ったJR車両が455系ですね、1994年3月26日の話ではっきり覚えています。苫小牧から太平洋フェリーの「旧きそ」で仙台へ来てはじめて青春18に日付を入れて使いました。仙台から東京へ向かったのですが、初めて乗ったのが白石行きの455系でした。車内で駅弁を食べたら向かいに座ったオッサンに怪訝そうな顔されたなあ。長町には廃車になったEF71が放置されてたり、福島から黒磯行きに乗ったら若いお母さんに「すみませんがうちの子を二本松まで預かってください、二本松のホームにこの子のお爺ちゃんが迎えに来るので」と幼稚園児を預けられたことも。当時運転してた〈フェアーウェイ〉で新宿に降り立つとそこは異世界な感じがしたこと。すべてはっきりと思い出せます、初めての一人旅だったので。







マイテ39は当時としてはとんでもなく上級な車両で、客層も名士か外国人といったあたりでしょうが、この座席では寛げたかという点ではどうですかね。シートに身を委ねるようなことはできませんし、東京から大阪まで乗ったら意外に疲れるかも。





旧型客車は背ずりが小さいというか、さすがにこれに長時間乗りたくないというか。でも白熱灯がいい感じですね。子供のころに乗った一番古い記憶は旭川発函館行き122列車で青い客車だったからスハフ44だったでしょうか、昔の列車は使ってない車掌室は解放されていたものですからいつもそこに乗りました。親が言うには客席でもし泣かれると迷惑かけるがここなら半個室だからとのこと、だいたいは幌内線の栄町仮乗降場から乗ったので、この列車で切符を買っていた記憶もあるし車掌が来なくて白石駅で精算した記憶もある。



新型コロナ対策でむやみやたらにべたべた触るなということは書いてあるが座るのは問題ありません。





クモハ40のシートは固いな。通勤電車だから長時間座らないからいいということでしょう。鶴見線のクモハ12を思い出しました。



そしてやはりC57135は特別な機関車ですよね、日本最後の定期運転のSL列車に充当された機関車、室蘭発岩見沢行き8両編成というから最後ということもあるけど今とは輸送力が全然違います。当時もホームから外れる駅はあったのではないかな?手動ドアの時代ですから誰も気にしません、ドアカットなにそれ?の世界。





岩見沢第一機関区のサボがいいですよね、国鉄時代は蒸気機関車の第一機関区と電気機関車の第二機関区とあって、岩見沢のほかに高崎や稲沢、敦賀に吹田なんてのもそうでしたね。いまの岩見沢は鉄道の町の面影が殆どなくなった。第二機関区であった空知運転区が無くなったころまでかな?


国内旅行ランキング