![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/69/7068c1b222ad52898d3529e62b816d30.jpg)
今日から4回シリーズで企画されている ありた町民生涯学習講座 ” ありた探訪バスツアー ” に申し込んでいました。 募集26名 限定
応募多数で、補欠キャンセル待ちの3番目での繰り上げ当確で参加にこぎつけました。
今日の午後は診察予約を受けず、ふるさと有田町の歴史、文化財をたずね、説明が聞ける企画への参加を優先しました。
今日はその第1回目、およそ4000年前 「坂の下縄文遺跡」を含め、初めての話を多く聞きながら訪ねてきました。
まずは、腰岳の黒曜石から 矢じりの作製、生きるための 道具として使ってきた時代の話から
「坂の下遺跡」から出土した縄文土器 ” 坂の下式土器 ” の話、国見岳山系の南東山麓に位置する「坂の下遺跡」は後方に広大な広葉樹林帯があり、扇状地に位置しているために豊富な湧き水があり、目の前に黒曜石を産出する腰岳を望むという縄文人が住むのには最適な場所だったそうです。
椨の木(たぶのき)と言えば、鍼灸の世界では 樹皮の粉から 線香が作られること、国家試験にも出る木の種類ですが、椨の木を見るのは始めでした。 クスノキ科の木です。
この木の周囲が『 坂の下遺跡 』です。 この遺跡は昭和47年に発掘調査がなされ、縄文時代中期終わり頃から後期始め頃とみられ、発掘で植物質遺物や 19基の食料貯蔵穴が見つかった大事な遺跡だと説明がありました。
貯蔵穴からは木の枝や葉で上下をふさいだ多くの木の実が見つかり、その中の樫の実(ドングリ・アラカシの実)は突然発芽し、佐賀市の佐賀県立博物館敷地に育っているようです。
次に案内していただけたのは、大木神社肥前鳥居です。
この神社の三の鳥居は地方色ある鳥居で、佐賀を中心とする肥前地方では戦国末期ごろから、この形式の石造鳥居が各地に建てられているようです。 笠木・島木・柱がそれぞれ 2~3本の石材を継いで構成され、笠木・島木は一体化し木鼻は船の舳先のように反り、柱は下になるほど太くなっている特徴があるとのことでした。
次は、龍泉寺山門です。
龍泉寺は天文元年(1532年)に唐船城主有田丹後守親が唐船山の南麓に創建。
しかし、寛文年間(1661~1673年)に現在の地に移転されたとのこと。 この山門は天保4年(1833年)の建立されているそうです。
竜造寺には李参平こと 初代金ケ江三兵衛の過去帳が保管されているそうです。
次は山田神社
山田神社拝殿天井絵・三十六歌仙絵馬
黒髪山~白川~流れてくる 有田川の水は、有田川右岸の二ノ瀬の水田を潤すため引かれ、この山田神社の前を流れていました。
この水はさらに、嘉永3年(1850年)山の岩をくりぬかれて、約120m トンネルが掘られ 城江井樋 と呼ばれているそうです。
その入口(入水口)へ
中間の 空気穴
出口の 出水口
そして、水田へとそそがれていました。
この 有田川 を語る話は初めて聞きました。
今後、9月24日、10月22日、10月29日 と続きます。
窯業技術センター、井上萬二窯、酒井田柿右衛門窯 も周ることになっています。
地元の 貴重な歴史に触れることができました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます