
先日のApple Storeのキッズワークショップの講師の方が、のっけに
「これから大阪弁でしゃべるからな」
と念のためおことわりという感じで話し始めたのだが、そのことが日を降るにつれて忘れがたくなってきた。標準語などというものの中には日本語はない──なんてクラシックイタチ(私のことです)が言うと、意外だなあ、と思う知り合いは案外多い、とは思う。私は生まれてこのかた東京~神奈川というエリアにしか住んだことがないし、まれに「大阪弁」を真似たところで「まったくわかってない」というリアクションをもらうのがオチである。
ともかく。大阪弁による、コドモたちへの、コンピュータの説明というのは、たいへんすばらしかったのである。私だってまさか銀座のアップルストアで関西弁を再々発見するなどとは微塵だに予想しなかった。だが大阪弁は、自分に馴染みのない考えや言葉を天降り式に導入する、ということを断固拒否するのである。
たとえば、○○という操作をするには「コマンドキーを押しながらTを押す」という説明では、このコマンドキーを導入しなければならない。すると
「あのな、コマンドキーっていうのがあるんやけどな」となる。
アップルのソフトではスペースバーを再生ヘッドの移動に使うのだが、このスペースバーの導入さえ
「手前のほうに長いキーがあるやん、それスペースバーっていうねん」とかってなる。
なにしろ大阪弁はよくわからないのですごいまちごうてると思うねんけど、ま無理ですわ、急には。
とにかく。この説明のおかげで、「スペースバー」が、日頃考えたこともないようなキャラクターというか、存在感を持って立ち現れてくるのである……まったく、ありありと。──いやあ、関西弁には日本語のあらゆるノウハウが詰まっているなあ。
もちろん、スペースキーはスペースキーに過ぎない。だからキーのひとつひとつが別に親しみやすくなくたっていいのだけれど、初めて習う人は、ああこれがスペースバーかというように覚えやすいだろう。なぜなら「スペースバー」とその物を単に1対1対応させているだけではないからだ。だとすれば、ふと、関西出身の村上春樹氏が「翻訳」にこだわる理由のひとつに思い当たったような気さえする、午前の銀座のアップルストアであったのですよ。