![]() | 「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」紀伊國屋書店 |
大バッハの生年は1685年である。大バッハはJ.S.バッハのことで、つまりバッハ家の中でも一番偉大な、バッハといえばこれ、というバッハであります。そのバッハの「鈴木バイオリン教本」第三巻の「ブーレ」をヒビキが只今バイオリン・レッスンでやっている次第。
当たり前なようだが、J-POPsをコドモがいいと思うのはさほど難しいことではなくて、バッハはいいとか、ブラームスが好きだとか、やはりブルックナーに限るとかいうコドモがいたらかなり珍しいはずだ。というのは、やっぱり現代の音楽は、彼らを対象に作られているからである。バッハはヒビキのために音楽を作ったか、といえば、そんな気も一瞬してしまうのだけれども、まあよくよく考えればとりたててヒビキのために作ったわけではないだろう。(当たり前か!)
これをヒビキが自分の音楽として弾くには、できれば「たくさん聴いたから、マネして弾けるようになった」よりも、何らかの音楽的な発見を通じて自分のものにしてもらいたいものである。つまりJ-POPsとは「違う」けれども、○○な音楽なんだ、というふうに。そうすることによって、すばらしいけれども白々しくない音楽になるんじゃないかなあ。現代人にも感動を与えるっていいますか。
(うーん、クラシックイタチこと私にはいまいちやっぱりつかめてないからなあ。だから○○になってしまうのだ)
で、そうするにはいったいどうすればいいのかというと、先生の指示をきいていると非常に物理的にというか、このように弾けばいい、こう弾いていると違うということを分析的に説明している。そのたびにクラシックイタチは「なんか違う」と思ってたことは「これこれ」という違いなのか! と知って結構ガクゼンとするのである。しかも実際にはたいへん細かな違いなんだけれども、もはや先生にそう指摘されると、「そうかあ! なんて違いなんだろう!」って思っちゃうのである。
不思議なことにヒビキも変音記号なんかは簡単に間違えていつまでも直らないくせに、そういう弾き方の指導はさっと身についているようである。
すると、今年の発表会あたりはもっとすばらしいバイオリンになるのかなあ、と親は例によって呑気。(自分ができないのをいいことに!)
※上記画像は、DVD「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」。バッハといえば、そんな映画を昔観たことを思い出して、リンクを貼ってみました。今売られているDVDでは「アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記」というタイトルになっているのだそうです。カラー作品で、チェンバロの映像をよく憶えているんだけどな。ところが! 白黒映画だそうです。(何を見てたんだか)